月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

極論、自分の責任だから何選んでもいいよねって話

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遅くなってごめんなさい。質問箱の回答をようやく書きます。
本当はもっと早くに返そうと思っていたのだけれども、あまりにも長くなりすぎて死ぬほど読みにくかったので、ブログに書くことにしました。


いろんなことを書く前に、ひとつだけ。
私は一般的な恋愛感情や恋愛に行き着くまでの感情がそこそこ欠落している人間です。この後を読む上で、その点だけは絶対に頭に入れておいてください。
いろんな恋愛経験をしてきているであろう質問者さんや世の人とは、ちょっと視点がずれてるかもしれませんが、それはどうか許してほしいなあ、と思います。

 

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超極端に私の結論から書くと、

『今の彼氏とこれから先も一緒にいたいのであれば幼馴染を諦める』
『別にそこまでのつもりはないけどまだ彼氏を失いたくないのなら、諦めるか、マジで誰にもバレないように幼馴染と遊ぶ』
『最悪今の彼氏じゃなくてもいいなら、一番自分がたのしい道のりを経て幼馴染と付き合う』

の3択しか思いつきませんでした。

 

正直な話、別に結婚するつもりじゃなければ、最悪何したっていいんですよ。
私は、結婚に関してはそこに至るまでの誠実さが二人の未来を決めてしまうと思っているので、むしろ誰かを気になった時点で、その時の恋人との結婚ってすごく危ういなと感じています。私が潔癖すぎるのかなとも思うけれどもね。

でも、ずっと深いところまで知っている人への想いを、一時的に(たとえ気の迷いだったとしても)上回ってしまう相手がいるって、結構信用ならないですよね。気の迷いなんてこの長い人生、普通にいくらでもあるわけです。そんな時に気持ちがぐらつく経験をしてしまうと、私だったら、その時の彼氏への気持ちと自分を信用できなくなります。『私はこの人相手だと他の人を気になることがあって、その人と付き合ってもいいかもしれないって思うんだ、この人への気持ちはふっと動いてしまう軽さなんだったら、また今後いつ起こってもおかしくないな』って。
例えば恋人氏にこの先「気になった人がいるんだ」って言われたら、めちゃめちゃにキレた後、冷静になって別れるんじゃないでしょうか。それか、付き合うけど結婚はしない。おそらくそうなります。
だって、今後また恋人氏が誰か好きな人ができてるんじゃないかって絶対に疑っちゃうし、ネットストーカーは絶対にしちゃうし、LINEが来ただけで絶対に吐き気するし、そうやって一緒にいるのは疲れちゃうし。そんな人とずっとはいられないです。

え、勝手に想像したのは自分なのにすごく悲しい…え…恋人氏……

 

気を取り直して。
まあ人間そんなに強い生き物じゃないのでしかたがないとは思いますが、質問者さんみたいに「今の彼氏と付き合い続けてていいのだろうか」って気持ちがほんのちょっとでも出てきちゃうなら、私だったらその先ずっと彼を一番に思い続ける自信はないです。
で、自信がないと私は一緒にはいられないので、幼馴染の方に行きます。

 

結局、どうするかを選ぶのって全部質問者さんなのでね、どっちを選んだって、どうしたって良いわけですよ。
何をそんなに気にしているのかなぁ、迷うことあるのかなぁ、って恋愛感情の乏しい私は思ってしまうのですが、「より好きな方を選ぶ」じゃ、答えって出ないのでしょうか?

 もし『幼馴染の方が好き…でも彼氏とはもう2年になるし…結婚しようねって話もしてる…裏切れない…』とかって想いがあるのなら、なおさら彼氏とは別れて幼馴染を選んだ方が、私はいいと思います。そういう気持ちなら、ですよ?
だって、そう思ってるのにそのままにしてただ悩んでたら2年半越えて3年になり、4年になるんですよ。1ヶ月は31日しかないですからね、仕事の31日は死ぬほど長くて嫌になりますけど、悩んでる間の31日ってあっという間です。だったら、自分のためにも彼氏のためにも、好きと言ってくれている幼馴染のためにも、別れて幼馴染を選んだ方が、人生の喜びは多い気がします。

その時彼氏にものすごくキレられるかもしれないし、恨まれるかもしれないし、超面倒臭いことになるかもしれないけれど、大丈夫です。気持ちがなくなった時点でもうその人は所詮他人ですからね、自分の幸せに関与しない人のために自分の時間を無駄にする必要はないです。過去はどうであれ。
過去は過去、未来はこれからです。

 

って話を大学生の頃友人にしたら、「それは薄情すぎる」と怒られたことがあります。でも私は自分の人生は自分本位で生きていいと思っているので、いつでもこの理論を推しています。
ただ、自分本位で生きる上で忘れてはいけないのが、「どうなろうと責任は自分」ということ。

私と恋人氏の話をあえて嫌な言い方でしますが、私は当時彼女がいた恋人氏を誑かして、彼女と別れてもらい、その人が恋人氏と一緒に住んでいた家を出て実家に帰った日に、私たちは付き合いました。
彼女がいると知った上で、恋人氏にいろんなことをしました。だって、恋人氏と一緒にいられたら絶対に私はしあわせになるし、精神も安定できるし、ハッピーな人生だろうなって思ったから。
世で言うところのクソ女なのでしょうね。彼女側からしたらたまったもんじゃないし、自分のしあわせをぶち壊す女なんて死んでほしいと思うだろうし、酷い死に方をしてほしいとも思うでしょう。よくそんなツイートも見ますしね。私だって逆だったら怒り狂ってるとおもいます。

でね、責任云々の話なんですけど、これで私がその元カノさんに刺されたとするじゃないですか。そしたら私が刺されたのって、私が恋人氏のことを誑かして人のしあわせを奪ったからじゃないですか。いや、倫理観ぶっ飛んで刺す方に責任がある、と言う声も聞こえてきますが、でも元カノさんに「殺してやる」って感情を抱かせた原因は、私なわけで、私にも責任はあるわけですよ。恋人氏の責任はひとまず置いておきます。
殺された時に、私は「なんで…」って思っちゃいけないんです。なんでじゃないもん、答えわかるじゃん、私が恋人氏取ったからだし。そんなことがおきたとしても、私が選んだ物事の結果なので、仕方がないことなんですよ、ここで私が殺されるのは。

そんな風に考えているので、もし別れて彼氏さんに恨まれたり面倒なことになっても、それは自分の責任だよね、って言うところだけ肝に命じていれば、どちらを選んでもいいんじゃないかなぁ、と思いました。

 

 ここまで「どっちかなんて好きにしたらいいんじゃない」みたいなことを書いてきましたが、丸々1週間かかったお話をします。

これでも真面目に考えたんです。
「ずいぶん投げやりな答えだなぁ、こんなの求めてた答えじゃないよ」と思われてしまうかもしれないし、質問者さん以外の人がこれを読んだら「浮気をオススメしてどうするんだ」と思われるかもしれませんね。
でも、恋愛感情がわからない人間からしてみたら、まずそもそも悩んでるポイントが一切わからないのです。全然わからない。もう本当に。いや、現代文は得意だったので、テストの問題的な捉え方だと何について悩んでいるかはわかりますよ、もちろん。設問の意図は理解できる。でも、その悩みの感覚が全然わからないのです。

わからなさすぎて、水曜日くらいに恋人氏に相談しました。

「私は全然わからないんだけど、普通に恋愛ができる人間的に、恋人がいる時に誰かが気になったとして、一番悩むのは何についてなの?」
「どちらを選べば全てがうまくいくかじゃない?」
「全てをうまくいかせるのは簡単だよね。誰かに好意を向けられても、自分は誰にも恋愛感情を抱かず、三人で友人をやることだよ」
「そう言うことじゃないね」
「私はそれでやってきたよ。いっちばん楽だし、私はたのしかった。すごく残酷な人だね、って最後は言われたけど」
「そりゃそうだね」

ここじゃなかったです。もうちょっとあと。

「つきのは三大欲求の中で性欲がずいぶん食欲に吸収されてるから、食欲で考えてみたら?」
「私は和食も洋食もエスニックも全部すき!」
「そこじゃなくてさ、例えばつきのが住んでる街にはタイ料理屋さん一軒しかなくて、そこで毎日ご飯を食べてたとする。毎日タイ料理でも、大好きだからつきのはしあわせなんだよ。でもある日、もう一軒ご飯屋さんが建った。それはこれまで食べてきたタイ料理ではみたこともないような食材が使われてて、嗅いだことのないおいしそうな香りがする。看板を読むと、どうやらこのお店はフレンチらしい。お客さんはつきのしかいないから、行かなくなったお店はもうやってはいけなくなってしまう。つきのはどちらかを選ばなきゃいけない。さあ、どうする?」
「タイ料理に行き続けるかな。私はフレンチよりタイ料理の方が好きだから」
「でもフレンチのお店も、つきのが行かないと潰れちゃうんだよ。それでも?」
「食べてみて選ぶってことができるならフレンチも一回食べてみるけど、それがダメなんだったら私の胃袋を支えてくれていたタイ料理の方を選ぶなぁ」
「二度とフレンチを食べられなくてもいいの?」
「ちょっと食べときゃよかったなーって思うこともあるかもしれないけど、でもフレンチに行ってタイ料理屋さんが潰れるよりはずっとマシだから、フレンチは食べない!」
「じゃあわかった、例えを変えよう。俺が毎日家でしかご飯を食べないとする。つきのは外食もしたい。でも俺が絶対に家のご飯じゃなきゃ嫌だ、絶対外じゃ食べないって言ってる。そんな時につきのを外食に誘う人が現れて、おいしそうなお店に連れて行ってくれるらしい。でも、その人と行ったら俺はもう別れるって言ってくる。そしたらつきのはどうする?」
「どうにかして恋人氏と外食したいから、その道をがんばって探すなぁ。私は恋人氏とのご飯がおいしくて好きだから、恋人氏と外食したい。私がおいしいと思えるかどうかわからないお店に、恋人氏意外と行ってお金と時間を使うのは、すごくもったいないと思う」
「さっきから極端だなぁ。こっちもあっちも、みたいなことはないの?」
「それが許されるならそれもいいかもだけど、でもまあ無駄かなぁ。恋人氏がどうしても外食はしない、死ぬまでしないって言って、私がそれに耐えられなくなったとしたら、その誰かじゃなくて私は一人で外食しにいくよ」

なんて会話をしたんですよ。

 

ここまで人の手によって噛み砕いてもらわないと私はこの悩みがわからなくて、砕いてもらったところでわかってるかどうかも怪しいのだけれど、でもその結果私は「おそらく一番が決まっている人間で、そこに割って入れそうな人が現れた場合にも、その時点での『一番』を選ぶ人間」だと言うことを自覚しました。
その『一番』がどちらか、というのが最大の問題だと思うのだけれど、私は保証されている幸福がもっとも大切なので、保証された幸福がより長く続く方を選ぶのだと思います。

 

わからないなりにいろいろ考えてみましたが、
・どっちを選んだ方が質問者さんが幸せを感じられるか
・どんな幸せを大事にしたいか
を優先事項として考えたら、自ずと答えって出るのではないかなぁ、と思いました。

遅くなった上に、知ってるよ〜そう言われると思ってたよ〜って答えだったら申し訳ないですが、これが私の考えです。

質問者さんが、幸せな時間を過ごせますように。

 

 

結婚したい時もしたくない時もあった話

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質問箱にもらっていたメッセージがよくわからないアイコンを押したらどこかに行っちゃって、質問箱経由で答えられなくなってしまったので、ここに書きます。

 

「今の時代に結婚って必要なものなんですかね?」
って質問でした。

 

一緒にいたい相手との結婚って、実際は必要なんでしょうか。どうでしょう。
私の考えもあるにはあって、どう答えるのがいちばんニュアンスが伝わりやすいかなぁ、といつも迷うのですが…
「何に重きを置くか、どういう形を望むか」次第なのかなと思っています。簡単に言うとね。

 

私は結婚したいと思っていますが、なぜそう思うかというと、儀式や工程を積み重ねていく分「ちゃんとこの人と生きる」って気持ちをより強くできるのでは?と思っているからです。
ふたりで生きていく約束をしたのなら、お互いが自分と相手のためによりよい生活を送れる努力をしなきゃいけなくて、でもそれってけっこう大変なことだろうから、「どんな時もあなたと私で生きる」という覚悟を持つためにも、「結婚」という形があったほうが助かるのかなぁ、と。私の場合はね。

 

恋人氏も私もよく言うのが、「あなたしかいない」「あなたでよかった」「ずっと一緒にいようね」みたいなことなのだけれど、正直ね、恋人同士って別にいつさよならしてもいいわけですよ。
そんなさみしいこと言わないでよ、って思われるかもしれないけれど、【お付き合い】は別に拘束されているものでもないし、結婚みたいに契約を交わしているわけでもないし。だから、めちゃめちゃに束縛している人とか、「今何してるのー?」って連絡がただの業務連絡で済んじゃう恋人にとっても怒っている人とか見ると、「旦那さんじゃないのにそんなに怒るの?」「なんでそんなに相手を自分の手の内に籠めようとするの?」と思ってしまいます。
【夫婦】でないなら、もっと楽な気持ちでいていい関係なんじゃないかなぁ。そりゃもちろん、相手を思いやったり、相手を傷つけないようにという気遣いは必要だけれど、でもそこまで自由を無くしてしまうのはどうなの?と思うのです。

 

私は死んでしまうレベルで束縛が大嫌いなのだけれども、それはたかが【恋人】に個人の自由を制限する権利はないと思っているからです。ただこれは、お互いに誠実であるという条件下で、ですけどね。浮気ばっかりしている恋人のことは束縛してもいいと思います。まあ、束縛よりも別れたほうが幸せになれると思うけど。みんな幸せに生きよう。

とはいえまあ、冷めた話、「たかが恋人、されど恋人、でも所詮恋人」なわけです。夢もクソもない言い方だけれども。でも、これが本音です。

もちろん友人とは比べ物にならないくらい、私にとって恋人氏は大切で失えない人です。その上でもまだ【恋人】なわけで、最終進化はしていないから、もし万が一、今の私が実は社長令嬢で許嫁がいて政略結婚させられて「しまった」としたら、私は恋人氏ではなくどこの誰かもわからん好きでも何でもない【夫】の味方になります。それが私の【結婚】というものに対しての考え方なので。政略結婚じゃなかったらそりゃもうめっちゃくちゃに反対するけどね、今の私は絶対嫌だもの、恋人氏以外と一緒にいつづけるなんて。

 

ここまでだらだらと書いてしまったけれども、要約すると、【恋人】というのは「あなたのことが大切ですから、誠実でいます」「わたしもそうします」という暗黙の了解的なものの上に成り立った、とっても不安定な関係性だと私は思っている、ということです。

 

以上のことから、「こいつは結婚という形で関係を縛っていないと、どこかへ逃げていきそうだなあ」という印象を受けるかと思うのですが、相手が恋人氏じゃなかったら、その見解はあながち間違っていなかったと思います。

正直な話、最悪結婚なんてしなくていいと思ってたのでね、それまで。
「とりあえず今が楽しければいいよ、次に好きな人ができることもあるだろうし、あの子もその子もきになるなぁ」って人だったら、私もそれはそれは遊びまわっていたかもしれないし、私が唯一「結婚しないでいいなら一緒にいてもいいかな、お互い負のほうに引っ張り合うけど」って思っていた人を切ってなかったかもしれない。まあ、そうなってたらたぶんもう死んでるんだけどね。

今の私が、どんなに恋人氏とけんかをしても、どんなに大変なことになっても、お互いに理解できないぞこれはってことがあっても、「あきらめないでちゃんと理解しあおう」という気持ちを削がれないでいられるのは、最初のころから恋人氏が「一緒にいたい」「結婚したいと思っている」と言い続けてくれているからです。恋人氏がそういうこと言ってくれる人じゃなかったら、おそらく結婚に対しての考えは変わってなかったんだろうなと思います。
いい人ですなんですよ、恋人氏。私との関わり方を理解するのが最速でした。だからたぶん私が付き合いたいって気持ちになれたのです。奇跡みたいな人です。

 

 

ときどき、冷静に「このご時世、結婚する必要があるのか」って私も考えます。
どちらかにとてつもない負担がかかる名義変更や諸々の手続き、「〇〇家」という概念、そのほかにもたくさん『なぜなにどうして』が湧き上がってくるのも事実です。
だって結婚しなくても一緒に居られるし、子供だって産めるし育てられないこともないし、名字を一緒にする必要性はゼロだし。多少税金がどうとか家族以外面会謝絶の時にどうとか、くらいの事務的なメリットしか思いつきませんしね。
恋人氏と付き合う前は、社会からの逃避の手段としてしか結婚を考えていなかったので、なおさら「好きな人と結婚したい」というキラキラした印象が遠のいていたのだと思います。

そこまで結婚の必要性に対してドライな気持ちを持っているにもかかわらず、恋人氏と付き合う過程で、「この人と一緒の名前になりたい」「この人と一緒にがんばるための約束が欲しい」と思うようになって、結婚したいなという気持ちに至りました。奇跡。
「同じ苗字になって、表札がひとつになって、役所や病院で呼ばれる名前が変わって、最初は慣れないけれどいつの間にか当たり前のものになっていく」感覚も、ちょっとは知りたいし。

 

といった感じで私は結婚を望んでいるので、別に夢見てる感じもないし、最悪お互いの事情で結婚せずに恋人のまま生きることにしたとしても、おそらくすんなり受け入れられるんだと思います。

そんな感覚の私からしてみれば、「結婚って必要?」って質問に対して思うのは、「必要だと思う人もいるし、必要でないと思う人もいるだろうから、もうみんな好き好きに生きたらいいじゃん、周りのことなんか気にしないで」ってところかなぁ。

「周り」というのは、言われる側じゃなくて言う側も含みます。あの子は結婚してない、あの子は結婚したくないって言ってた、なんてどうでもいいじゃないですか。その人がそう思ってるのだからね。

結婚したあなたは勝ち組だって言いたいの?だったらそういう言葉をかけてくれるおともだちを作ったらいいんじゃないかな?結婚を選ばない人のことは放っておいてあげなよ、あなたとは価値観が違う人なんだから。あなたのその言葉は意外にも凶器なんだよ、と、何か聞くたびに思います。

 

結婚したい人も、したくない人も、好きな人と一緒に居たい人も、友だちでいられるだけでいい人も、好きな人がいなくていい人も、そんな思考になったことがない人も、みんなそれぞれのしあわせのなかで暮らしていける時代になったらいいなぁ、とおもいます。

私が令和に求めるのは、ただそれだけです。

 

 

プレゼント迷子と母の日

今週のお題「母の日」

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《今回のあらすじ》
今日が母の日だということを3日前に気づき、何も準備していないことにも気づき、例年通り紅茶にしようと思ったのだけれど、お正月に「紅茶の趣味が変わったのよ〜」と言っていたのを思い出す。が、どう変わったかを思い出せず、父に助けを求め、どうにかこうにかプレゼントを選びきった私。次に迎える父の日はもう1ヶ月後なのに、これまたノープラン。どうなる、私!?

 

 まあ、あらすじの通りなのだけれども、今日はとてもお利口さんだったので、詳細を聞いてください。

 

私はもともと明るいところで寝るのが苦手で、最近ひとりで寝るときは朝日で起きないようにアイマスクをしています。
アイマスクした方が、寝つきもよい気がしたりしなかったり。多分よい。はず。ほんのちょっとね。

今朝は、アイマスクしてるのにこの明るさ...もうお昼かなぁ、起きようかな〜、眠いけど。お洗濯もしなきゃだし、母の日のプレゼントも買い行かなきゃいけないし、と思いながら起きて、トイレに行って、戻ってきてカーテンを開けたら意外と日差しがやわらかかったので、今日はくもりかな?と天気予報を見るためにスマホをつけたら『 7:30 』。 

ふぁ!?!?7:30!?!?まだ朝!!!???

衝撃すぎて、そのあと30分間、二度寝に挑んだのだけれど全く寝付けず、仕方がないので起きることにしました。まずここがお利口さんでしたね、えらい。
今年は軽率に自分を褒めていくことにしました。楽しく生きよう。

 

とりあえず着替えて、第1弾の洗濯機を回して、恋人氏が大事に育てている植物たちにお水をあげてまわります。実は、この子たちがなかなか私と仲良くしてくれなくて、とっても困っているのです。
今年は恋人氏がそこそこの頻度で実家に帰っているのだけれど、その間は私が彼女たちを預かり、毎朝お水をあげています。でも、なぜか全員、私がお水をあげると元気がなくなってしまうのです。恋人氏に言われた通りにお水をあげているのに、なぜかしおれてしまって…。実家にもたくさん植物はあるから、どの程度お水をあげればいいかも何となくわかっているのだけれど、彼女たちとはなぜかうまくいきません。
挙げ句の果てには、枯れはじめる始末。ここが大問題。彼女たちにとっても、私にとってもストレスです。私のことが嫌いにもほどがある。いい加減にしてほしい。(多分こういう態度がいけないんでしょうね)

それなのに、恋人氏が帰ってくると「きゃー!!帰ってきた!!」とたちまち元気になり、一度恋人氏がお水をあげれば、もたげていた頭はシャキッと空に向かって伸び、しおしおと丸まっていた葉はピンと張り、見事に全員がみずみずしさを取り戻すのです。割とマジで勘弁してほしい。
この前恋人氏が帰ってきた直後に元気になった彼女たちを見て、なんで??私の水はそんなにおいしくないの??とキレたのだけれど、キレたせいで余計にヘソを曲げられているらしく、今回はこれまで唯一私のあげるお水でも元気だった『アボカドのアボ助』までしおれてしまって、主に彼の様子に振り回されています。
というか彼の様子の変化くらいしか、私にはわからないのもまた問題。

毎日みんなにお水を上げながら「たのむよ〜〜元気になって〜。お水多い?暑い?日に当たりすぎ?私がヤダ?」って聞いているのだけれど、みんなウンともスンとも言わないのが困る。当たり前なのだけれど。でもここまで元気をなくされてしまうと、「はい」か「いいえ」で答えてほしいくなります。無理なら葉っぱをピョピョッと上げ下げしてほしい。

とりあえず、恋人氏に懐いている生き物のお世話はとっても大変なことがわかりました。

 

そうしているうちに洗濯第1弾が終わって、干して、今日風強いなぁ、ちょっと寒いなぁ、外出るの面倒くさいなぁ……お腹すいたなぁ…昨日のイベントよかったなぁ、考え変えられたしいいタイミングだったほんとうに、、、久しぶりにnoteでも書こうかな、というようなゆるゆるとした午前中を過ごし、いつのまにか終わっていた洗濯第2弾を干して、さて、お出かけだ!!

とならないわけですよね、基本的に引きこもりなので。
母の日なことはとてもよくわかっています、もちろん。なんせ3日前に気づいたばかりですからね。
毎年母の日と父の日にはプレゼントを送ることにしているから、今回も探さなきゃいけません。実家は東京から遠く離れた僻地にあるから、配送。ということは今日母の手元に届くわけじゃない。平日は母も仕事だから、届けるとしたら来週の土曜日。最悪、3日前までに発送できればいい。となると、お?今日じゃなくてもいいのでは???
ということになりますよね。なるんです、引きこもりは。お母さんごめんね。

でもそうしてしまうといよいよ父の日とまとめてしまったり、父の日すら遅らせて、もはや7月になり、受け取った両親が「何のプレゼント?」なんてことになりかねなかったので、とりあえず私の庭である新宿に行こう!!と決めました。ここ、お利口さんポイントその2。この時点でもう14時なんですけどね。

 

がんばって外に出たので、お昼はどこかで食べていいことにしました。
私は食べることが大好きなくせにお店を新規開拓するのが下手で、今日も電車の中で新宿あたりのよく行くお店をぐわーっと思い出し(そんな勢いつけて思い出すほどは知らない)、新宿三丁目で降りることに。
とにかくパスタが食べたかったので、歩きつつ、どこのパスタにしようかなぁ、千円するパスタじゃなくていいや、プロントでもいいなぁ、あそこ地味においしいよね、ああじゃあ新宿まで乗っちゃえばよかったなぁ、この辺だとどこがあるかなぁ、イタトマもあるよね、新宿のイタトマは一回も入ったことないけどね、イタトマといえば元彼と初めてデートらしいデートした時に入ったお店だな、あの時まだチーズ嫌いだったのに元彼はチーズケーキ頼んで、いただきますしてから「あ!」って大声出すから何事かと思ったら「チーズ嫌いだったよね?」って大慌てで聞いてきたなぁ、あれが最初で最後の彼氏らしい気遣いだったなぁ、懐かしい。あの後「チーズケーキなら大丈夫だよ!」ってぶりっ子して答えたけど普通においしくなかったし、飲み込んだし、私もがんばってたなぁ、懐かしいなぁ、もう二度と会いたくないなぁ、ははっ。
そんなことを思いながら歩いていると、「新宿の地下って迷うよねー」という女の子たちの声が聞こえてきました。いやいや!新宿と三丁目の位置関係がわかっていれば、どの出口から出ればいいかなんて余裕よ!!なんせ私にとっては庭だからね!!なんて頭の中で返しつつ、Eの出口の方に向かい、黄色の案内板に書かれた建物名に、は?どこここ?とプチ迷子になり、来た道を引き返して、なんとかマルイアネックスの目の前の出口に到着。
全くもって庭じゃなかった。すみませんでした。

 

そんなこんなで思考が寄り道したせいで、パスタ欲を忘れてしまい、考えるのも面倒になったので、マルイアネックスの上の階にある、和食の「豆ちゃ」で食べることにしました。
ここのご飯は明太子が付いてくるのと、くず豆腐がおいしいのと、白味噌のおみそ汁がお代わりできるのが最高なのです。「本日の焼き魚御膳」が鮭の西京焼きの日は超絶ラッキーな日で、あれば絶対これにするくらい、好きです。
今日は塩鯖だったので、スパイシー唐揚げにしました。

tabelog.com

全然母の日と関係ない話なんですけど、唐揚げ頼んで竜田揚げが出てきたら、皆さんはどう思いますか?びっくりしますか?竜田揚げも唐揚げみたいなものでしょ、って思います?
私は唐揚げと竜田揚げは別物だと思っているので、わざわざ竜田揚げのメニューじゃなくて唐揚げを選んだんですよ、ふたつは別物なのでね。
……めちゃめちゃ竜田揚げな竜田揚げが出てきたんですよ。どこからどう見ても竜田揚げ。運んできてくれたお兄さんも「スパイシーの方の竜田です〜」って。の方て。それなら竜田って書いて、お願い。私は唐揚げが食べたかったの、、、とまあその瞬間はいろんな思いが脳内を駆け巡りましたが、今日もおみそ汁とくず豆腐がおいしかったので、全て良しということにします。

 

お腹いっぱいになったところで、父からLINEが届きました。
朝のうちに、今年は何をプレゼントしたか聞いていたのでね。そうそう、これまでガラケーだった父がつい1ヶ月前にスマホに変えたのです。これで念願の家族LINEが作れました。まだ母はガラケーですけどね。
Cメールでやりとりしていた頃は、父は大好きな母以外のメールはなぜか完全無視で、全くもって連絡手段として成立していなかったので、私たち子供は父とLINEができるようになって助かりました。
既読になってから返ってくるまでの絶妙な間が、一生懸命スマホで文字を打っている姿を彷彿とさせて、かわいいなぁと思っています。

 

で、父の話によると、今年は「冷たくも温かくもできるアイマスク」と「ツボ押しのボール」をあげたようです。多分ね。
「トゲトゲのツボ押しと、目にのせて冷やしたり温めたりするやつ」って返ってきたので。お父さん、何となくわかるけど語彙力…!

私が社会人になってから3年間は、父も私も紅茶をプレゼントしていたので、今年こそ茶葉がかぶる可能性あるなぁと思って聞いたのだけれど、なんか、お父さんが紅茶じゃないものあげたって聞いたら、私も違うものあげたくなるじゃん、もう朝のうちにティーポットにしようかな、カップにしようかな、それとも全然違うものにしようかなぁ、っていう葛藤を乗り越えて今年も紅茶で行くぞって決めたのにさぁ…、お父さんだけお母さんの生活に寄り添えるものあげててずるいじゃん……。
なんてちょっと拗ねモードに入ってしまったのだけれど、その雰囲気を察した父が

小田急百貨店の地下にある紅茶屋さんのオレンジペコが、お母さんは大好きだよ」

と、さらに追い打ちで

「その紅茶は特別紅茶にしてるからね、この前『飲み終わっちゃった』って残念そうにしてたよ」

と送ってきたので、やっぱり紅茶だな!と機嫌を直し、(面倒くさい娘でごめんね!)これまで足を踏み入れたことのない小田急百貨店の地下二階に向かいました。
本当に初めて行きました。上京して8年目だし新宿は庭一歩手前だけれど、百貨店の地下の食品って全部高くて、薄給の若者が買えるものなんてないんだもの。今日もぐるっと見てみたけれど、お前には用はないぜ!みたいなお値段ばっかり並んでいて寂しくなりました。

 

小田急百貨店に入っている紅茶屋さんは「マリアージュフレール」1店舗のみ。
私が前に日雇いバイトしていた職場をやめる時、一緒のチームだった人たちからもらった紅茶がここの紅茶でした。今日気づいた。香りが強くて、味はちょっと甘めかな?と思っています。

tea-magazine.net


日本橋とかに行くと、たくさん紅茶屋さんがあるのでどのお店の紅茶がいいかなぁ、と母の好みと自分のお財布とで大葛藤するので、今日はとっても買い物がしやすかったのです。
しかも、紅茶はオレンジペコを選べばよかったので、一瞬で決まりました。最高。
ここにくるまで、本当に長かったですね。大変だった。
途中で投げ出さなかったから、ここもお利口さんポイント。 

このお店は、紅茶のジャムやクッキーもあるので、一緒に包んでもらおうかとも思ったのだけれど、このお店のお向かいにある蜂蜜屋さんがどうしても気になってしまい、とりあえず紅茶一つだけをラッピングしてもらって、蜂蜜屋さんを覗くことにしました。

でもなぁ、私が蜂蜜あんまり好きじゃないから、お母さんと蜂蜜の話したことないんだよなぁ、でも前に冷蔵庫に入ってたことあったな、おばあちゃんは蜂蜜好きなんだけどお母さんは…どうだったっけ…、でもまぁどこかのお店で一緒に発送してもらわなきゃだし、他のお店はなんかお土産っぽくなっちゃうし、特別感ありそうな蜂蜜にしちゃうか!そんなに好き嫌いない人だしいけるでしょ!
と、勢いだけで「レモンとジンジャーのコンフィチュール」を手に取り、左手に柑橘味の強いものを持っているのを忘れて「レモンの蜂蜜」を選び、伝票を書いて紅茶を預け、これにて母の日のプレゼント選び終了!!!
最後の詰めの甘さね〜、これぞ私って感じです。レモンとジンジャーを選んでたことをかんっぜんに忘れてたもんね。まあどちらもおいしそうだったからいいのだけれどもね。

ちなみに私が会計している時に、私より年下の女の子がお店に入ってくるやいなや、「1万円のギフトセット(コンフィチュールと蜂蜜が計7瓶くらい入ってるセット)をください」って言ってて、私も来年はあの子くらいスパッと決められるようになりたいなぁ、と思いました。
もし今年蜂蜜が好評だったら、来年それにしちゃおっかな。

www.labeille.jp

 

私は自分にあまり欲しいものがないので、こうやって人にあげるものを選ぶときのほうが楽しく買い物ができるので好きです。拗ねたり迷ったりするけど。
世の人たちは、自分の買い物もこれくらい楽しくできるんだろうなぁ、とちょっと羨ましく思います。こんな風に毎月お買い物ができたら、そりゃ毎日お仕事だって頑張れちゃうし、お給料日なんてワクワクしてたまらないんだろうなぁ。いいなぁ。
今日のお買い物中も色々服とか雑貨とか見てみたのだけれど、やっぱり物欲は湧いてきませんでした。ちょっとさみしい。

この半年間継続して欲しいなぁとうっすら思えているのは、ロクシタンのピオニーという香りの、オードトワレ。

ロクシタン(L'OCCITANE) ピオニー オードトワレロールタッチ 10mL

ロクシタン(L'OCCITANE) ピオニー オードトワレロールタッチ 10mL

 

リンク貼ったけど、別に宣伝じゃないです。
これとってもいい香りなのです。全然香水つけない私が、唯一好きな香水です。
前持っていた時には、使い切る前に時間がたちすぎて香りが変わってしまったので泣く泣く処分しちゃったけれども、この前お店で香りを試させてもらったら、前買った時からまたより良い香りに進化していました。もしもう少し余裕ができて、自分のものにお金使おうかなぁという気になったら、その時は買おうかなと思っています。本当に好き。
今日もロクシタンのお店の前を数回通ったけれども、その度に試させてもらおうかなって思ったくらい好き。

 

脱線しましたが、母の日、これにて無事終了です。まだ届いてないけど。
今度もし実家に帰った時にロクシタンのお店に行けたら、いろんな香りを母にも試してもらって良さそうなものをリサーチしつつ、いつかの母の日には香水を送れたらいいなぁ、なんて思っています。
お母さんいつもありがとう。大好き!お母さんみたいなお母さんになりたいよ。
(ゲームと漫画と外遊びは許すけどね)(お母さんみたいに料理上手になりたい)

 

明日からは、父の日に何をあげようか考える日々になりそうです。
オススメのプレゼントがあれば、ぜひ教えてください。

 

 

いつまでも、私の友達でいてください

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私の大好きな友人たち、四天王の紹介をします。

 つねに「私は四天王以外の友達がいない」と自虐しているので、この話をしたら身バレしそうなだけれども、四天王というのはこれまでにできた貴重な友人4人のことを指します。

・小学5年生から中学3年生まで一緒だった地元の女の子
・私が小学6年生の頃から可愛がっていたひとつ下の後輩くん
・高校1年生で運命的な出会いをし上京してもなぜか徒歩圏内に住んでいた女の子
・大学で私のお世話をしてくれて卒業後はもはや同棲していた女の子。

の、以上4名です。

 

(1)地元の同級生の子、ひとはちゃん(仮)

ひとはちゃん(仮)とは小学5年生で同じクラスになり、家が近いことがわかって(近いと言ってもど田舎なので10分か15分は歩く)一緒に登下校しているうちに仲良くなりました。
その当時私は21時以降のテレビが観れなかったのだけれど、花男野ブタ、イケパラ、メイちゃんの執事などの人気のドラマをどうしても観たかった私は、学校へ向かう道中の30分間、ひとはちゃんに昨夜のドラマのあらすじと「きゅんきゅんポイント」を聞かせてもらっていました。
今考えると1時間ドラマの概要を正確に友人に伝えることができ、ドラマを見た自分と同じだけ相手をときめかせることができた彼女の話術は、とてつもなくすごい才能だと思います。小学生だからね、その頃。確かにひとはちゃんは話も文章も上手だったなぁ。

それから、小学6年生と中学1年生のとき私は盛大ないじめにあって、もちろんひとはちゃんはいじめる側についてたのだけれど、それでも私は彼女に恨みを抱くことはなく今に至ります。まあね、自分がいじめられるのは怖いからね、仕方がないなぁと思う。ひとはちゃんのことは、とうの昔に許しているので大丈夫です。
(ちなみにこれは私が彼女に対してそう思えているだけで、いじめに加担した友人誰でも許せる訳ではないです。愛しくて狂おしいほど憎い女の子もいます。その子の話も今度しようかな。いじめの主犯に対しては、Facebookで幸せそうな姿を見ると思わず👎を連打したくなるけれど、私は大人だからそんなことはしない。キャビンアテンダントしてるんだってさ。ヘッ。)

ひとはちゃんは地元に残っているので、私が帰省した時にはほぼ絶対に会うことにしています。そこでお互いの知らない間の報告をしたり、昔を懐かしんだり、将来の話をするのがとってもたのしいのです。別れた後に、その日の話を思い返しながら「こんな話をするほど時間が経ったんだなぁ」とちょっとうるうるすることが増えました。
ちなみに今年の正月に会ったときは、2人とも将来の話が現実的な物事ばかりになっていて、これまで以上に時の流れと自分の年齢を感じました。つらい。

もうひとつ楽しみにしていることが、お互いの誕生日に送りあっているメール。
携帯を初めて持った高校1年生からずっと続いている恒例行事で、最初の頃は普通のお祝いメールだったのだけれど、ネタ期をはさみ、今はわりと長文になっていて近況報告も兼ねています。お互い日付感覚が死んでいるので遅刻することが多々あるのだけれど、それでも毎年送りあっている大事なメールです。
いつまで続くのかなぁ、でもいつまでも続けられるといいなぁ。

そういえば、誰それ構わずに、知っている人の誕生日が来ると送りまくっていた高校時代だったことを今思い出して戦慄しています。顔と名前が一致しない子からメール来たこともあったなぁ。ネットリテラシーが有って無いようなの頃の話ってこわいね。デコメとかすごく好きだったけどね。

 

(2)後輩くんは、このブログのはじめの方に出てきている男の子、フタバくん(仮)。 

tskmrso.hatenablog.com

 1歳下なだけだから男の子なんて歳じゃないし見た目でもないのだけれども、背の順で前から4番目のチビだった私よりも、フタバくんの方ががちっちゃくてかわいいいクソガキだった頃からの付き合いなので、未だにその頃の印象が抜けなくてずっと男の子って言ってしまいます。やめた方がいいと思うのだけれどもね、大人の男性ですし本当は。でも年の離れた兄弟がもうずいぶん大きいのに幼稚園児のように感じてしまうのと完全に同じで、いつまでも男の子と言ってしまいます。
私には弟が2人いるのだけれど、フタバくんもそこの並びにいます。というと恋人氏に「俺に妹みたいな女友達がいていいんですか〜〜?」って言われてしまうのであまり言わないようにしているけれど、実際はそんな感覚。

フタバくんに関してはすでに色々書いてあるので、ひとつだけ。
お正月に会った時に《別れたことをずいぶん引きずってメンタルがボロボロになるくらいの恋愛をした話》を聞いて、「ああ、この子ちゃんと人間やったんや...まじか...え、ほんまに??」と驚愕しました。なんだかとってもエモいお話でした。
フタバくんが東京にいて、私と月イチで絶対に会って遊んでた頃、当時付き合っていた彼女のことを面倒くさいとか色々言っていたので「こいつ、とんだクズだな…」と思っていたのだけれど、まさかそんなに想える相手ができていたなんて。お姉ちゃんはうれしいです。
またすてきな出会いがありますように。そして付き合えた時はなるべく早く報告してください。以上。

 本当に即刻教えてください。

 

(3)高校からの女の子、三ツ葉(仮)

名前は4つあるものからとったので葉っぱの呼び方な訳ですが、彼女と三ツ葉って響の似合わなさがすごい。全然違う。なんというか彼女は、「双子葉類」みたいな名前が似合う子です。

第一印象は《え、怖い怖い、何この個性強烈な子》でした。
知り合いがほぼいない学区外の高校で、入学式が終わって初めて自分のクラスに入った時に、他の誰に対してよりも先に「うわ!伝統と厳かな雰囲気を重んじるこの進学校に通うには似つかわしくないファンシーな手提げを持ってる子がいる、こっわ!!」と思ったのが最初。100年以上の伝統(#とは)のある進学校は保守的で、合格したのも保守的な生徒たちばかりだったのだけれど、三ツ葉は数少ない前衛的な女の子で魅力的でした。的が多いね。

彼女とは所属しているグループが違ったのだけれど、なんとなくお互いにシンパシーを感じてちょこちょこ喋るようになり、私が不登校になると適度に学校のことを教えてくれるようになりました。
2年生になって、私が復活するのと入れ替わりで彼女が不登校になり、2人して英語と世界史で赤点を取り補講を受け、運命共同体みたいな感じで高校生活を送っていました。

とは言いつつまだその頃は苗字にさん付けの微妙な距離感だったのだけれど、卒業式の数日前に
「大学どこ?」
「神奈川だよ」
「私も神奈川。住むのどこ?」
「どこそこ(小田急沿い)だよ」
「え、私も一緒なんだけど」
「え!?」
「は!?」
という話から新居が徒歩5分圏内だと知って、急速に距離が縮まったのでした。
お互いに運命共同体みたいだなぁ、似てるなぁ、とは思ってはいたのだけれど、今ほど仲良くなるのはちょっと遅かったんだよなぁ。なつかしい。

学生時代は超依存しまくりの生活でした。
三ツ葉がどんな男と付き合って、どんな男に惚れて、どんな男に付きまとわれて、どんな男に憧れてたかを全部知っています。まあその分、三ツ葉は私のことを全部知ってるのだけれど。三ツ葉が危うい橋を渡ろうとする時に「待て待て」と声をかけるのは私で、私がドロドロの海に沈んでいこうとする時に「そっちじゃないよ」と声をかけるのが三ツ葉。
今ではあの頃ほど連絡の頻度は高くないけれど、会わずともそういうタイミングでお互いが気づくのは変わらないんじゃないかな。とても心地が良いのです。

大学生の頃私は寮に住んでいて、大学卒業とともにそこから徒歩10分のアパートに引っ越したのだけれど、その新しい家に迎えた家具家電は全部その子が使っていたものです。今恋人氏と住んでいる家にもちょこっとある。洋服ももらったりあげたりしていたので、友達だけど姉妹みたいな感覚になる時もあります。
2人とも大学時代に住んでいたあの街が、今もだいすきです。

ちなみに、ドタキャンしても怒らない、怒られない間柄なので、お互いよく予定を飛ばします。この前も三ツ葉が風邪ひいたということで、ピクニックの予定が飛びました。お互い、よくあることです(笑)

 

 

(4)大学で仲良くなった女の子、四葉ちゃん(仮)

四葉ちゃんは、恋人氏と付き合うまでの心の恋人というかなんというか、そういう感じです。
ハンサムな格好が似合う子で、彼女が白Tとジーンズに手ぶらで遊びにくるときがめちゃめちゃ好きでした。ときめくんですよ。手ぶらというのが評価高めのポイントです、イケメンに見えるのです。最近あまりこういう格好してくれないので寂しいのだけれどもね。

恋人氏と付き合う前、四葉ちゃんは結構な頻度で私の家に泊まりに来ていました。もはやあれは半同棲です。
当時、彼女の職場が私の家に近かったのだけれど、彼女は深夜まで仕事してボロボロになっていることがしょっちゅうで、「自分の家に帰るより私の家の方が近いんだから」と言いくるめて私の家に帰ってこさせていました。わざとです。寂しかったので。私も精神的に色々あって、四葉ちゃんに依存していたのでした。
朝、今日は何時頃に帰れそう?と彼女に聞いて、夜は仕事から帰ったらご飯を準備してお風呂を沸かして待つ。彼女がうちに帰ってきたらご飯を出して、着替えを出して、その日あった話を聞く。そんな毎日を送っていました。(文字にするとほんとうに恋人みたいだ)

2ヶ月前に四葉とちゃんと飲んだ時、「つきのに彼氏ができて私とあまりLINEができなくなったとき、私は事情を知らなかったから(当時の恋人氏は嫉妬深かったし全面にそれを出していたのであまり連絡ができなかったのです)、『ああ、捨てられたんだな』『別の女の子ができたか』って思ってたもん」って言われたのだけれど、そう思わせてしまうくらいには毎日一緒にいたし、同棲生活が終わってもくだらないことでLINEし合っていました。
今でも興味のあるニュースや芸能ネタ、そのほか下らないことをちょこちょこ送りあっています。これがねぇ、楽しいのだよねぇ。M -1のことを書いたブログに出てきた、一緒に漫才師のミキを応援している友だちは、四葉ちゃんのことです。

四葉ちゃんとはいろんな話をします。たぶん、この中でいちばん何でも話している気がする。(三ツ葉は私の人間関係周りのことはよく知っているけれど、それ以外のことはあまりわからない話も多いんじゃないかな。)
四葉ちゃんとの会話で時々、ずっと脳天が開きっぱなしになって大量にインプットしながら、最高に自分の琴線に触れるアウトプットができる時があるのだけれど、その時が私はとても楽しくて麻薬みたいだなぁと思っています。この時間が私はだいすきなのです。脳天がぱっかーんと空いてる状態でいろんなことが浮かんだり入ってきたりする感覚なのだけれど、伝わりますかね、伝わらないかな。まあ簡単にこの感覚を言い表すとすれば、「脳みそのセックス」です。確実にそう。めっちゃくちゃ気持ちいいので。だいたいふたりでご飯を食べたりお茶したりしているときに、そうなります。(あ、これは恋人氏に怒られそう、違う人と話してるときのことセックスとか言っちゃダメだよね。とはいえ、なるんだよなぁ。でも恋人氏と話してるときにも時々なります、ちゃんと。私の喋りが止まらなくなってるときはこれです)

学生の頃、四葉ちゃんは脚本を書くのが好きだったのだけれど、彼女の作品のいちばんのファンは私のつもりです。ほんとうに面白いものを書くのです。あと、四葉ちゃんはオノマトペの使い方が上手です。

ちなみに、私がnoteで書いた話に出てきた「友だちのへり」という言葉も、彼女との会話の中で生まれたものです。この話の時も脳天全開でした。 ちなみに元彼のパーカーを寝巻きにしているのは、三ツ葉がモデルです。彼女はしばらく忘れられなくて、いつまでも「元彼の匂いがする…」ってしくしくしてたけど。

note.mu

 

以上、こんな4人に甘やかされて私はここまで大きくなりました。
大事な友達はこの4人だけだけど、私はしあわせです。

みんな、いつもありがとう。
全然会えてないけれど、だいすきです。

 

紙たばこと悲しい話

夜なんですよ、今。2時なんです。私の仕事は朝ゆっくり夜めちゃ遅い仕事なんですけどね、それでも明日起きるの7時半なんです。こういう時にスマホ見ちゃうといけないんですよね。

でも、知ってるけど見ちゃうのが人ってものですよね。見ちゃうもん。見てるもん。

 

眠れないついでに、最近あった悲しい話をします。

 

 

これのことなんですけどね、ほんとうに悲しいのです。

12月にPloom TECH 買ってからずっとそれしか吸ってなかったんですよ。まあ誰しもそうなるんだと思うんですけど。基本的にたばこって無くなってから次を買うはずなのでね。

 

じつは私は二種持ち派なのですが、

・キャスター 5ミリとピアニッシモ メンソール5ミリ

・キャスター 5ミリとアメスピ 黄色 ←この時がいちばん意味わからない吸い方してた時

アメスピ 黄色とピアニッシモ メンソール5ミリ

アメスピ 黄緑とピアニッシモ メンソール5ミリ ←2年間これだっだけど、どっちもメンソール(笑)

こんな感じで二種持ちしていました。だからもちろん

 

・Ploom TECH メンソールフレーバーとアメスピ黄緑 ←結局メンソール

なわけです、この3ヶ月間。

 

なぜか私の身体は昔から、「吸いたい!我慢できない!もうむり!」ってなるまでたばこを吸うのを我慢できるようになっていて、実際紙たばこにはこの3ヶ月間手をつけていませんでした。いいよね、健康的だよね、ほんと。タールが入ってないだけで健康になっていく気がするもの。ニコチンは入ってるけれどもね。

 

でもついにこの前、ストレスが大爆発したとき

「はあ?Ploom TECH みたいなかわいいよわよわニコチンで私の気が治るわけないやろがい!ここはいっちょ久々にアメスピちゃんにでも出てきてもらいましょうかねぇ、ガツンと効かしてちょうだいよ!!」

って意気込んで3ヶ月ぶりに紙たばこ吸ったんです。

 

 

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まっっっっっっっっっっっっっずい!!!!

え!!!!いつも私はこんなにどヤバイ匂いのするモノを吸ってたのか!!!!!!ほあーーーーーーまっずーーーーー!!!!!えーーーー!!!!!機嫌悪いとかいってる場合じゃないよこれは!!!!!!!!くっっっさ!!!!!!!!!やっっっっば!!!!!腰を抜かすほど超絶まっっっっっず!!!!!!!えーーーーー!!!!!!なにこれ!!!!毒でしかない!!!

 

脳内大パニックでした。部屋着についたたばこの匂いも苦痛だし、自分の身体の中をめぐる酸素もたばこのイヤな匂いがしてそうだし、脳みその中モクモクしてそうだし、機嫌のことは一瞬でどうでもよくなってむしろ超絶ブルーになりました。

この日は恋人氏がお香を焚いてくれて、なんとか落ち着いて寝られたので良かったのですが...。

 

違うんですよ、そこじゃないんです。ショックの大本命は紙たばこを自分が吸えなくなった事じゃないんです。そんなの序の口なんですよ、私はPloom TECH を吸っていればいいので紙たばこが吸えなくなろうといいのです。最悪ね、最悪だよ、吸えたほうが気持ちとしては良いですよ。でも健康にもよくないし、まあ、いいんですよ自分のことはどうでも。

一番悲しかったのは、、、

 

 

 

一昨日外でご飯食べてるときに、ちょっと離れたカウンターに座ってたおじさんが吸ってるたばこをくさいと思ってしまったこと!!!!!不快だと思ってしまったんです!!!!ガッデム!!!!!

 

 

も〜〜やだ〜〜。たばここそ最高のお香だと思ってたのに。たばこの匂いがする男の人が大好きだったのに。

 

 

私、「私と家族にはやさしいけれども他の女の人にはやさしさのカケラもない男性」が最高に好きなんです。要はクズが好きなんですけど、たばこ吸ってるクズが好きなんです。

対面で座っているときに、私に煙がいかないように横を向いて煙を吐く人よくないですか?もうこれがめちゃめちゃ性癖に刺さるんです、キュンキュンしちゃうんですよ!あと、相手がたばこ吸ってるタイミングで私が話しかけた時の、ん、ってちょっと急ぎ目に煙を吐いて話し始めるまでのあの間!!サイコー!!私の手元の資料を覗きこむときに私にはたばこを近づけないようにしてるあの体勢も好き!!

伝わりますかね?わかります?皆さん人がたばこ吸ってるときに突撃したりしないんでしょうか。私は甘いお酒を飲みながら相手のたばこの香りに包まれるのが好きなんです。まあ、香りと雰囲気とクズがすきなだけなので、その人自身を好きにはならないんですけどね。

 

結局性癖なので、そういう人の近くにばかり行っていたのでしょう。

もちろん恋人氏もたばこを吸っていました、アメスピのオレンジを。依存してた先生もハイライトのメンソールを吸っていました。大学の時に仲良くしてくれた後輩くんも吸っていました。この子は外国のたばこだったかな、名前は忘れたけど紺色のパッケージでしたね。死ぬほどイケメンなんですよ、唯一、金髪でも平気な人です。私、何故か金髪の人が怖いんです。何故ですかね、金髪の人かっこいいので怖がりたくないんですけどね。あとは、前の会社の大好きな先輩も吸っていました。その人にたばこのおつかい頼まれてキュンキュンしたりして。楽しかったなぁ。この先輩はアメスピの黄色です。私のことめちゃめちゃ泣かせた上司と同い年の先輩はアイコスでした。アイコスは好きじゃないのでまあ、ノーカンなんですけど。

まあ、ほぼ全員ちゃんとクズ。褒めてます、褒めてますよ、私にとってクズは褒め言葉です。相手にとっては褒め言葉じゃない可能性が大きすぎるので言うことはないですが、だいたい心の中で「あ!!クズ!!好き!!」って思っています。こんな人たちを恋愛的な意味で好きになっていたらメンヘラになるだけでは済まなかったと思うので、旨味だけを味わえる人間でよかったなぁと思っています。

完全に余談ですが、やることやってすぐ女の子のこと放っておいてベッドの上でたばこ吸っちゃう男の人とか大好きです。ほんとうにそんな人いるのか知りませんけど。スクリーンの中のそういうクズをたくさん見て、ここまで大きくなりました。

 

そんなわけで、クズはたばこを吸ってなきゃいけなくて、私はそんなクズが好きだったんです...そんな人から借りるジャケットとかカーディガンとかいい感じにたばこの香りがしてとっっても落ち着けていたのです......

が、もう今やそれが苦痛になってしまうなんて......

 

ほんとうに悲しい。悲しすぎる。悲しみの勢いでガッデムって書いたけどガッデムなんて初めて打った。書いたことも言ったことない。てか言ってる人見たことがない。書き言葉ですよね、完全に。

 

 

これからは、Ploom TECH を吸っている男性か、逆にたばこを吸っていない男性にときめいて生きていきます...。

元気出して生きます...。

 

 

以上になります。心の叫びを読んでいただいて、ありがとうございました...。好きなクズたちの話はまた今度したいとおもいます...。需要があるかはわかりませんが、書きたいので書きます。ひとりずつ紹介します。最高のクズたちに囲まれて生きてこられて幸せでした...。決別します...。

 

 

さよなら、紙たばこ...

さよなら、理想のクズたち......

 

 

 

 

あー、ほんとうに泣きそう

 

 

 

 

 

ようやく会えた人たちの話

 

忘れもしない2016年12月8日、久しぶりに開いたTwitter で、大好きなバンド Suck a Stew Dry の活動休止を知りました。

 

大学生の頃に知って、それからずっと日々の支えにしてきた大好きなバンド。
ちゃんと休みの取れる職場に就職して、絶対に聴きに行くぞと決めていた大好きなバンド。
CD はしっかり買いつつも、一度もライブに行けなかった大好きなバンド。

 

衝撃でした。泣きました。
お金を落とせない人間に泣く資格なんてないと思いながらも、もう絶対に彼らの曲を目の前で聞くことはできないと言う事実に愕然としました。

 

こんなことになるなら、あの日実習の会議をすっぽかして会いに行けばよかった。
こんなことになるなら、生活がしんどくなってもいいから行けばよかった。

でもどれだけ悔やんだところでもう終わりは確定していることで。

それに加えて当時の私は毎日の生活費を稼ぐことで精一杯で、実際には彼らに会いに行く時間もお金もありませんでした。罪滅ぼしのような気持ちで、必死に残したお金でCDだけは買っていましたが、それをゆっくり聴く時間も余裕もなく。
いろんな物事が重なって、なんとなく彼らへの気持ちを持て余している時期でもあったので、余計にショックが大きかったことを覚えています。

 

 

それから毎日、「もう彼らに会うことはできないんだ」と言う思いを抱えながら、それまでと変わらない日々を過ごしていました。

いなくなる前に気持ちを伝えておけばよかった、なんてセリフを映画で聞くたびに「なんて陳腐な感情なんだろう」とバカにして生きてきましたが、人間本当に大事な人たちに思いを残したまま失ってしまうと、「もっと会っておけばよかった」「もっと伝えておけばよかった」としか思えないようです。この時初めて知りました。

それから毎日通勤時間に彼らの曲を聴きました。

 

さみしいし後悔も尽きないけれど、「もうこれからはこんなヘマはしないように好きな人たちには好きと言えるような人になろう」と少し気持ちの整理をつけることができるようになった矢先の3月9日。


「" Suck " の日だなぁ、木曜日だなぁ、奇跡みたいな日だから彼らの曲 Thursday's youth でも聴こうかな」とPCを立ち上げ、その傍らでTwitter のTL を更新した私の目に飛び込んできたのは

 

 

 

また泣きました。
帰ってきてくれました。

おかえりなさい。ありがとう。


何よりうれしかったのが、前のバンド Suck a Stew Dry の曲名を新しいバンド名にしていたことでした。もうキライなんだろうなぁ、思い出したくもないんじゃないかなぁと思っていたので。

号泣しながら彼らの新曲 さよなら を何度も何度も繰り返し聴きました。

 

以前の後悔も踏まえて、今度は絶対に行くぞ行くぞ、と思いながら、なぜか、

1年が過ぎ

2周年が迫り。

ライブはおろか、近々のCD も買えておらず、あれ、あれあれ。

 

Twitter で彼らの情報はしっかり得ているのでライブをしていることもCD が出ていることも知っているのだけれど、余裕のない毎日を送ってしまっていた私は、彼らのことだけでなく色々な「好き」に対して、またいつでも後悔できる準備ばっかりしていました。
そもそもライブに関しては、あまり対バンが好きじゃないので彼らしか出ていないライブじゃないと行きたくないというのがあるのだけれど、まあそれはただの言い訳なので。

 

お金がない余裕がないと言っていた私ですが、2019年になってあることをきっかけにお金を出して会いたい人に会ってから、人に会うためにお金を使うことの有意義さを知ることができ、ふと、「彼らの2周年ライブは行けそうな気がする…」と思うことができたのです。そこからは全速力でチケットを取り、入金し、ローソンでチケットを発行し、あっという間の当日、ふわふわとした気持ちで初めて訪れたライブハウス前の行列に並んでいました。

成長したなぁ私、なんて思いながら、ライブハウスデビューを果たしました。
大きなホールでのスタンディングのライブは何度か行ったことがありますが、ライブハウスは初めてでした。

 

 

 

 

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3rd live tour「miracle」@渋谷GARRET udagawa

 

 

1時間半、ずっとずっとしあわせでした。

袖から彼らが出てきただけで軽く感極まってうるうるしていたのに、ほのあかるい中シルエットの彼らが弾き始めた曲が、彼らのバンド名にもなった前身のバンドの曲 Thursday's youth で。

 

私の涙腺はいきなり崩壊してしまいました。

もう二度と聴けないと思っていたから。

まさかその日聴けるなんて思わないじゃないですか。

大好きな曲だったんです。前の彼らの曲で一番好きだったから、普段はイントロとタイトルが結びつかない私でも一瞬で気がつくことができました。

 

ほんとうにうれしかった。

 

前から5列目のど真ん中で、私は一人、号泣していました。

聴きにきてよかった、と、ずっとずっとしあわせな気持ちでした。

生きててよかったなぁ、死なせてくれなくてありがとう、と心の中でずっと繰り返していました。

 

 

 

THURSDAY'S YOUTH

いちばんだいすきなバンドです。

皆さんもよかったら聴いてみてください。

 

将来の夢

 

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お題の期間は過ぎてしまっているのだけれどちょうど最近よく考えていることなので、私の思い描く未来について書きたいと思います。

恋人氏へ。あなたは苦しくなってしまう話だと思うので、もしここを開いているのならこの先は読まないほうがいいです。ごめんね。

 

 

 

やりがい搾取の代表格だった大好きな仕事を辞めざるを得なくなり、安定した給料をもらえる会社員を満2年やって、母親が結婚した年齢を迎え、最近ようやく未来を思い描く余裕ができてきました。
25歳になったら死んでもいいやと思っていた私が変われたのは、隣で一緒に今を歩んでくれる恋人がいるおかげです。いつもありがとう。

 

でも今の私は、色々な事が重なって「ここから先をどう生きていこうか」と悩んでいます。
ちょうど分岐点に立っているところなのだと思います。そして分岐点の前で私は足元を見つめたり、それぞれの道の先を見つめたり、道のない真ん前を見つめたりしています。ですが、見つめた先に映るものは何もありません。答えは何も見つかりません。

 

 

恋人と付き合いたての私のままであれば、2年くらい付き合ったらお金も貯まっているだろうから結婚して、恋人が働いて私が家のことをして、また1年後に子供が生まれて、なんてことを考えていたのかもしれません。
でも、私も彼もその当時とは状況が変わっていて、そんな生活は叶わなくなりました。とは言え「そんな生活」を望んでいたわけではないので「叶わない」というのは言葉が違うのかもしれませんが、私には【恋人が夫婦になって親になること】における古い観念での「当たり前」が刷り込まれていたので、なんとなく「そんな生活」を送るのだろうなと思っていました。

その刷り込みを捨てて、真面目に働く自分を見つめなおさなきゃいけないと思ったのがちょうど一年前。これから先一緒に生きてゆきたいと思った彼が、うつ病になったのです。
私自身がうつ病とは長い付き合いだったのと、彼の仕事自体がうつ病になる人が多い業界なので衝撃はありませんでしたが、私はそのときから「これからふたりはどう生きていくのか」「私はどう生きていくのか」という、逃げられない現実に直面しています。

 

 

恋人は休職し、しばらくして退職しました。それからは傷病手当とこれまで彼が頑張った貯金と、私の収入で一緒に暮らしています。

彼のすごいところは、あまり収入が多くない私に負担をかけないようにと、色んな制度を調べて、外に働きに出なくても収入を得る努力をしているところです。本当にすごいです。
病気に振り回されて思い通りに事を運べない日もありますが、それでも彼は「やらなきゃ」とがんばります。うつ病の人ががんばったらいけないことは彼も私も百も承知なのですが、彼は私に負担をかけまいと「自分のことは自分で」と言って、休職してからずっとがんばっています。


私がもっと稼げればお互いに楽な生活ができるし、彼もがんばりすぎないで済むのですが、世の中そんなにうまくいきません。

 

最悪なことに、今は私自身が過度のストレスに苛まれてしまっています。
最悪です、最も悪いです。仕事以外の時間もやさしい心ではいられないのだもの。恋人とにこにこ笑って過ごしていたいのに。

おそらく私は、普通の会社員が向いてないのでしょう。なぜこれっぽっちのお給料で、多くの理不尽に耐え、おじさんたちの機嫌を取り、若さを消費して、自分を優先した未来像を語ると「辞める人間はいらない」と言われる日々を過ごさなければならないのかと思ってしまいます。(手取り1億円くらいになったら我慢するけどね)
しかも、今年に入ってから会社が私たち若手社員への辛辣な取り決めを行なったこともあって、今私はこの仕事に対して、向上心もやる気も失くしてしまっています。

 

刷り込みを捨ててからこの1年間、私が描き直した未来は結局、ありきたりなものでした。
今年の賞与で親への借金を完済し、あと2年で貯金も安心できる金額に届いて、会社を辞めて、そのくらいで多分結婚して、新しい仕事を始める。そうしてるうちに子供が二人くらいうまれて、家で仕事している彼と外で働く私とで一緒に子供を育てて、手が離れたらまたふたりの時間を楽しんで、そうして穏やかに死んでいく。
そんな単純な未来を思い描いていました。

とてつもなく単純でも、大学を卒業してからずっとその日のお金を稼ぐので精一杯で未来を見る余裕がなかった私が、今の会社に入って恋人ができて「この人と生きたい」と思って、ようやく思い描けた未来でした。

 

ですが現状はそれがこうなってああなって、では、どうしようか、と。
(賞与がなくて今年で親への借金完済できないって思った瞬間の絶望たるや)

最近の私は「お先真っ暗だな〜」とぼーっとしてしまうことが増えました。お金さえあればと思うものの会社にそれは望めない、副業もダメ、貯金もない、となると基本的に詰んでいるわけです。人生詰んでるなぁって思います。
そういう時にはこうやって文章を書くことで人間であろうとしていますが、さて。

 

どうしましょうか。どう生きましょうか。

 

 

 

すこし話が変わりますが、私はどんな物事も「それが私の運命なのだ」と受け入れる、極度の運命論者です。
私の対極にいるのが恋人で、彼は「自分の行く先は自分で作ってゆく」という思考の、自由意思論者です。

今、彼ががんばっているのは、彼の信念に則って、この先の人生を良くするためです。
しかしながら、私ががんばるのは「私が信じる《明るい未来》への道中の《現在》では、苦しいことを経験しておかなきゃいけない運命なんだ」と思っているからです。そういう道の上を歩いていると思っているからです。もはやこれは諦めです。

 

私はキリスト教の「神はあなたが耐えられない試練は与えない」という思想は大嫌いですが(もしキリスト教徒の方がいたらごめんなさい)、そういう時の私に与えられた選択肢は「乗り越える」or「死ぬ」だと思ってきました。多分今も思っている気がします。
聖書では「神は耐える事が出来るように、試練と共に脱出の道も備えて下さいます」と続きますが、今まで「死ぬ」以外の脱出の道があった事がないからね、私は。怒ってます。

だから私の場合、死ねないのなら乗り越える以外にないんです。絶望ですよ。だってそんな体力ないもの。ほんとうに無理なの。「無理無理これは無理死ぬ!死んじゃうよ!」って思う。散々思ってきたのだけれど……

残念ながら、なぜか越えてきてしまっています、これまでの私は。なぞの実績。
越えられなさそうに見えても、急に地盤沈下で山が変形して登りやすくなったりとか、逆に私の足元が上がっていつのまにか登れてしまったりとか、あーこれは死んでしまう確実に無理と思ったところでなんらかの手助けがあって生きられるとか。そんなことばっかりなんです、私の人生。ね、運命論者にもなるでしょ?
だから、悲しいかな、多分この先も越えられない山はないはずなんです。そんなこと言ってると、周りに「君は強いね」とか言われるんですけどね。影山澪奈ちゃんじゃないけど、私は別に強くなんかないんですよ。「それが運命だから仕方がない」って受けいれて諦めてるだけなんです。(3年A組、最終回よかったね)

 

ちょっと話が逸れましたが、結局今お先真っ暗に見えるけれども、私は何だかんだもがくと思います。試行錯誤して、生きて、気がついたら私の信じる《明るい未来》に立っているんだと思います。

そう、私は運命論者なのだけれど、バカでもあるので、昔から「自分の未来が暗いはずがない!というか超明るいに決まってる!!」という謎の確信をもっています。
だから、私の中に「やりたいこと」があるのならそれをやってみていいんだと思うんです。それが多分《明るい未来》のベースになるから、《現在》の私が「やりたいこと」を抱えてるんです。それすら運命っていうね。
運命論者じゃない人はそこまで運命に縛られてるって考えると腹がたつと思います。たぶん、まあ、そういう人たちの方が幸福度は高い気がします。私のこの運命論は結局逃げなので、不幸になったときのショックが少ないこと以外メリットはほぼないです。あんまりオススメしません。

 

私がやりたいと思っていることをこの先やっていけば、きっと私は、私たちは、ちゃんと幸せになれるはずなのです。今は靄がかかってしまって右も左もわからないけれど、きっといつか晴れる日がくると、根拠のない自信があります。バカみたいだけど、「お先真っ暗だなぁ~」ってぼーっとしてしまう私には、いつもそう言い聞かせています。じゃないと死んじゃうもの。

 

私の信じる《明るい未来の私》は、こうやって文章を書いて、もっと書いて、今よりも多くの人に読んでもらえています。ひょっとしたら写真もなにか、もっとたくさんの人の目に触れているかもしれないです。あとね、たくさんの人とお話して、いろんな人の大好きなものに囲まれることをしているんじゃないかな。それと逆の、誰しもが泣いていい場所も作っていると思います。

色んなことをやりながら、ほわほわとあたたかい、心のやさしい人になります。いつか。

そして、私の信じる《明るい未来のふたり》は、子供はいるかいないかわからないけれど、お互いが望んだ事でお金を稼ぐことができていて、かわいい動物に囲まれて、おだやかな場所でたのしくしあわせに暮らしているはずです。
あと、毎日おいしいごはんを食べています!これは絶対!!(料理上手になる必要がありますね)

 

小学生の将来の夢みたいな未来だけれど、その平穏な日々としあわせな生き方が、私の《明るい未来》です。

 

 

 

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「明るい未来」って花言葉の花の写真があったからこれを頭に載せようと思ってたのだけれど、右側に鎖があるでしょう?この鎖がなんだかあまりいいイメージ持たなくてやめました。花自体は好きなんだけどね。がんじがらめになってる時にこの写真を撮ってるから、そういうモチーフが写真に写ってしまっているのかなぁと。良くも悪くも素直な私の写真についての余談でした。

 

余談ついでに、

今私がいちばんやりたいことは、いろんな人と好きなものの話をしたり、苦しいことの話をしたりすることですなのですが、どうしたらそういう場を作れるんだろう…と思ったので、とりあえず質問箱作ってみました。私に対しては何もなくてもいいので、書きたいことがあったり吐き出したいことがあったりしたら、ぜひ書いてみてください。あなたが考えていることを教えてほしいです。

匿名で聞けちゃう!つきのさんの質問箱です | Peing -質問箱- 

 

 

 

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