月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

そのつづらの大きさは

結論からいくと、確かに恋愛感情は母親のお腹の中に忘れてきているようだけれど、「触れたい」という欲求をともなう愛情は置いてきてはいなかった。

 

触れたい人がいる。手に籠めたい人がいる。

   

初めての感覚だった。心が震えっぱなしで、膝がガクつく。この人が隣にいてくれたらどれほど私は幸せか、この人が私だけを見てくれたらどれほど嬉しいか。もしも、万が一にも、そんなことがあったりしたら、天にも昇る気持ちで涙が出てしまう。あなたは私の一番大事な人です、そう口に出してみたい。

望んでみては立ち止まり、私の知らない人の大事な存在であることを心に留め、また望んでしまっては立ち止まり、私の知らない人との数年間を耳にして思い留まり、それ以上心が走らないように必死に手綱を握った。

  

堅く握った手をじわじわと解いていったのは、

大事なその人だった。

  

彼は私が必死に固めた足元をいとも簡単に崩し、

私の足を前に進めた。

彼は私が必死に掴んでいた心をいとも簡単に解放し、

私の気持ちを飛ばした。

彼は私が必死に掴んでいた掌をいとも簡単に開き、

私と自分を繋いだ。

 

望んではいけない人だったのに、私は彼と手を取り合ってしまった。私は人から、大事なものを奪ったのだ。それでも、私は誰かを泣かせて苦しませてでも、彼が欲しかった。それによって彼自身が苦しむことになっても、彼が欲しかった。

  

こんなに人を欲したのは初めてだった。

    

当たり前のことだけれど、彼にとってこれは恋愛なのだと思う。彼の恋愛の定義とその範囲について私は知る余地もないけれど、いくらかかわいらしい気持ちが含まれている。彼の嫉妬はかわいいし、私のかわいらしい嫉妬心を見せると彼は喜ぶ。彼の一途もかわいらしい、「私はあなたしかみていない」と知ると彼は笑む。そして私はそういう彼を愛おしく感じる。

 

ただ、私にとってこれは恋愛ではなく個人が持ちうる最大級の愛情であり、恋愛という言葉から想起されるかわいらしさは持ち合わせていない。とてつもない重量がある。さらに、今までその愛情が発揮されることがなく、心の底で発酵してしまっていたのか、かなり狂っているのだ。

でも、開き直りかもしれないけれど、当たり前のことなのだと思う。今まで誰のことも触れたいと思わなかった人間が、初めてこの人に触れていたいと思い、今まで誰のことも欲しがらなかった人間が、初めてこの人を欲した。もはや、私自身も信じられないほどの、奇跡のようなことの連続なのだ。

 

彼と手を取ってもう数ヶ月が経つが、いくら奇跡の連続とはいえ、最近では大きなつづらを私は手にしてしまったのではないかと思うことが多い。兎にも角にも苦しいのだ。苦しくて苦しくて、それでも彼の前で涙を見せるほどの可愛げもなければ、彼に見せられる可愛らしい感情でもなく、ただただ一人で耐えるしかない。

    

耐えて耐えて耐え続けて、つい今しがた、心が折れた。

     

私が選んだつづらから出てきたのは、激しい嫉妬心、執着心の本領、醜い独占欲と不安感等々、魑魅魍魎の数々で、ついに食い潰されてしまった。

 

さすが、狂っている私の世界。

結局、私はそこから逃げられない。