月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の日々の雑記

25歳、もうすこし大人なはずだった

先日、25歳になった。

最近未来の自分が想像できない。

恋人と結婚してるといいなと思う。

もう少し広くてもう少し部屋の多い家に住んでるといいなとも思う。

犬と猫とフェレットがいるといいなと思う。

なんか漠然と、こんな程度しか想像できない。

 

私の中の理想の25歳は、もう貯金がそこそこあって、仕事も楽しく頑張っていて、休みの日は趣味を楽しんで、恋人がいて、もっと大人なイメージだったのだけれど。

どこで何を間違えたか、貯金はほぼなく、仕事はやめたくてしかたがなくて、休みの日は眠すぎて全然起きれず、月に数回恋人と喧嘩をし、その結果子供な自分にうんざりする日々。

間違えてきたつもりはないのだけど...うまくいかなかっただけで...という気持ちでいる。

ひとつ胸を張れることは、恋人氏のおかげで、私が積み上げてきたトラウマやタブー感をひとつずつ消化できていること!これはすごいことだと思う、恋人氏本当にありがとう。

 

だけどなぜか、お母さんになる自分とか、バリバリ働く自分とか、普段すごいなぁ素敵だなぁと思っている人たちのようになった自分を想像できない。

ひょっとしたら、そういう憧れの女性の年齢に近づいてその姿がより現実味を帯びてきたのに、自分があまりにも足りないからなのかもしれない。普通ひとは、こんなこと考えないでいつのまにかお母さんになったり、バリバリ働いたりしているのだとも思うし。

 

そんなこんなで、25歳はとりあえずちゃんと自分に自信を持てるように努力することにした。

自分の好きなものを好きと言い、好きな服を着て、好きなことを仕事にして、好きなものを食べて、そして自分を好きになる。それが理想。

絶望的な三日坊主なので、翌日には忘れているかもしれないけれど。

 

焦らず、すこしずつ、なりたい自分で生きたい。

 

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恋人氏が今年用意してくれたのは、31のアイスケーキでした。2人で食べるにはずいぶん大きかったけれど、大好きなポッピングシャワーとキャラメルリボンが入ってておいしかったなぁ。ほんとうに「ざこぴよちゃん25ちゃい」と注文したらしい恋人氏。

ざこぴよちゃんは、普段雑魚すぎる私を恋人氏が呼ぶときのあだ名。

25ちゃいは人間の年齢にすると半分の12.5歳らしい。あまりにも精神年齢がこどもすぎる私を見た恋人氏が決めた単位。

※このケーキも、前日微妙に険悪になって、当日の朝「出かけてくるから」と言われ、「ああ家出されたぞ」と私が落ち込んでいたら実はケーキ買いに行ってたよ演技だったよ、ってオチ。