月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

分類される安心感はもうない

(2つくらい前の記事の、進化版みたいな)

 

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アセクシャルの中にも色々と分類があるそうで。

グレーアセクシャルというのは《アセクシャルと他の性指向との間のどこかに該当する》らしく、そんなような気もするし、そうじゃない気もする。デミセクシャルというのは《情緒的に強い結びつきを持った相手に対してのみ性的魅力を感じうる》らしく、これもそんな気もするし違う気もする。

これまで私は分類されると「自分以外にもそういう人がいるんだ!」と思えて楽になってきたのだけれど、ここまで多いともうわからないし、最近は自分のこともそこまで細かく分類されなくてもいいかなという気持ち。

 

分類されるにおいて私の特徴は、

・恋愛感情そのものはいまいちわからない

・家族愛、友愛はもともとある

・親しくなればなるほど身体的なつながりはいらない

・性愛を持てたのは1人だけ

・愛情のないセックスはできるけど必要ない

・見た目が男性なすべての人にあらゆる気持ちを込めてできるのはハグまで

・全ての女性とそのほかの人にはあらゆる気持ちを込めてキスまではできる

・それ以上に興味はないし必要ない

・今の恋人以外に身体的なつながりを持ちたいと思ったことがない

と、分類に引っかかる部分だけでもこれだけある。調べた感じだとこの特徴ひとつひとつに言葉がつくので、もはや分類されたところで「自分と同じ人がいる」という安心は薄れたなというのが最近の感覚。

 

たぶん、私は人を好きになるのが得意じゃない。

いわゆる恋愛的な意味で。

恋人になる理由ってなんだろうか?という疑問に私は答えが出せたことがない。だって、一緒にいて楽しい人って友人の中にもいたし、自分より特別な人もいたし、誰に対しても自分が犠牲になれたし、いろんなことを共有したい人もいたから。セックスしたいならそれだけの関係でいいし。

私は全部恋人にならずにできると思う。

 

じゃあ今の恋人は何が違ったのかな、と考えると、

・一番近くにいたい、いてほしいと思えた

・手を繋ぎたいと思った

・この人に一番認められたいと思った

・この人と毎日いろんなことを話して、いろんなものを食べたいと思った

ことだと思う。むしろこれを周りの人に思ってこなかったことが驚きだけれど、《手を繋ぎたい》というのはその最たる例なのかと。

私は人に触れられるし、キスもできるし添い寝もできるし、まあセックスもできる。でも《触りたい》と思うことは皆無で、あなたが触りたいならどうぞ、といった具合だったのが、それまでの私で。だけれども、そんな私が「この人と手を繋いでお出かけしたいなぁ...どんな感じだろう...」と思ったのが今の恋人なのだ。

私はこんなことで「運命でしょこれは!」と思ってしまっている。

欲が生まれるというのは私にとっては大きな変化だった。どうでも良くない人が初めて現れたので、まあ戸惑ったし、当時彼には付き合っている人がいたし、でも一度認識するともう止まれないし、いやぁどうしようどうしようと思っているうちに色々事が起こり、事が進み、付き合うことができた。

(そんなにうれしいと思ってるんだったら喧嘩の量減ればいいのに、と自分でも今思ったところです)

 

いろんな分類の中で結局私がハマるのは

《どうしてか誰かにのみ性欲が働くけど、他には一切無い、ゼロ、何も感じない》

というところ。これに対して恋人氏は

《女性ならだれでも、多分男の娘もいける!》

という感じなので、欲に関して言えば正反対なわけで。だからお互いがお互いの欲の在り方が謎で仕方がないのだと思う。

実際この前「なんで他の人を性的な目で見られるかがわからない。私はその辺の男性に性的興奮を覚えたことはないし、AV観てても何も思わない」(※AV観ないでという喧嘩じゃない)と伝えたら、「いやぁ...普通のことだからなぁ...むしろそっちがわからないよ...」と言った感じの答えが返ってきた。

まあ当たり前の反応だと思う。そりゃこっちが異端だからね。私だって会ったことないもんね、そんなこと言う人。わかる、あなたの言いたいことめちゃめちゃわかる。だってその辺の女の人に「おっ」て思えないと人類はここまで増えてないわけだし。正常な反応をわからんと言われても、いやむしろなんでお前は思わないんだ?ってなる。わかる。正しい。

だけど、ちょーっとだけ、そう言う人間もいて、俺の彼女はそう言うタイプの人間なんだな、俺のことしか男として思えない俺のことしか魅力的に思えないって最高じゃん!じゃあデートするときはキョロキョロするの減らそう♡ってなってくれると嬉しかったなぁ〜あの日!

 

冗談はさておき、たぶん自分と周りの感覚にぼんやりとでも違いを認識してしまった人で、分類に当てはめて安心する人は多いと思う。どこかのサイトに「私たちアセクシャルは、何にでもなれるのよ」とあったけれど、それは強い人が思えることなんじゃないだろうか。私は何にでもはなりたくない。安定したい。ずっとそう思ってきた。

学問にして、研究して、色々理解を深めてくれるのはうれしいけれど、なんでも研究者魂でジャンルを作るのはほどほどにしてほしい。せっかく孤独を無くしてくれたすてきな枠なのに、今度は細かくなる枠のせいで前よりももっとさみしい気がする。

 

人の心はそんなに細かくできるものなのかな。

動物や植物の分類だと思われてる気がするよ。