月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の日々の雑記

小学6年生だった弟の代わりに書いた夏休みの作文

今日暑かったね。暑くなると言えば、夏ですね。夏といえば、夏休みが来ますね。社会人も2ヶ月くらいの夏休みが欲しいですね。

今日は夏にまつわるブログです。

 

* * *

 

今日急に思い出したこと。7つ離れた弟が小学6年生の時、8/31になって作文が終わっていないと発覚した時の、母の剣幕。
我が家は文章には厳しかったので(母が)、作文は絶対に母の編集が入るのだ。私も小学校卒業まで、ずっと母の指導を受けてきた。だいぶ立派な指導教官だったと思う。今の私の文章を読んでいる人たちからしてみたら理解できないかもしれないけれども。母のおかげで、私は毎夏作文コンクールで何かしらの賞をもらっていた。中学生の時に死ぬほど綺麗事を並べ立てて知事賞かなんかをもらった時には爆笑した。

ただ弟が小6の時の夏は母の仕事が死ぬほど忙しく、弟の勉強をみていられなかったこともあり、彼はしっかりと宿題を溜め込んでいた。マジでよく終わったなと今でも思うくらい残していた。絵の宿題は私が描いたし、自由研究の下書きとレイアウトも私がやった。弟は写すだけ。あまりにも私の担当分量が多すぎたので、「ワークがそんなに溜まりまくってるならもう答え写しなよ」って言ったら「それは道義に反する」とか言われて冷めた目で見られた。解せん。手伝わずに、そのまま学校に行って先生に怒っておらうべきだったな。

今回は、その時に私がゴーストライターをした作文を披露する。PCのデータを整理してたら出てきたので。せっかくだし。ちなみにこの時書かなきゃいけなかった作文のテーマは以下。

 

 

『生きるということ(全国系の小学生作文コンクールのお題)』

 

 

いや、小学生よ?重ない??????

 

「重ない??」と弟に聞いたら「これがいちばん書けそうだった」って言っていて、そんなバカなと思いながら『夏休みの作文:コンクール・テーマの一覧』という学校配布のプリントを見たら本当にこれ以上によくわからないテーマが並んでいて、確かに『生きるということ』がいちばん書けるテーマに思えた。さすがに引いた。

というわけで今から8年前に描いた小学生擬態作文、以下、ご査収ください。

 

 

 

* * * * * 

 

  父方の祖父母が家をリフォームした。もとは木造で広々としていながらも、土間から居間に上がる段差がきつかったり床が腐って軋んでいたり、老人の住む家にしては住みにくい作りになっていた。その祖父母の家の敷地内にもう一件家があり、そこには祖父の姉が住んでいた。僕たちが「上のおばあちゃん」と呼んでいる人だ。その家も木造で段差が多く、足が悪くなった上のおばあちゃんは住みにくそうだった。そこで祖父達は、自分達と上のおばあちゃんの三人で快適に暮らせるように、リフォームを決意した。しかし、上のおばあちゃんがリフォーム後の家に帰ったのは、まだ一度だけだ。その時既に、上のおばあちゃんの要介護度は、家族の手に負えないものとなっていた。

 それからすぐに上のおばあちゃんは介護施設に入ることとなった。色々と探し回り、市の二件の病院を経て、今は少し遠くの施設にいる。市の病院は病院なだけあってあまり介護向きではなく、上のおばあちゃんは寝たきりにされていた。その頃は痴呆も進み、僕たちのことをなかなか認識できない時もあった。数ヶ月前まで目立った症状は足腰の悪化と言語障害だけで、そこまで衰弱した様子はなかっただけに、僕は上のおばあちゃんの容態にショックが隠せなかった。その時父も一緒にいたが、昔両親以上に面倒をみてくれていた叔母に忘れられているとわかった時の父の顔は、いつまでたっても消えてはくれない。病院は介護が必要な高齢者を介護するというよりは、病人として対処していた。介護は看病ではなく、あくまでも介護であると思う。だから空きのある介護施設が見つかった時は、上のおばあちゃんがまた日々を楽しく過ごせる日が来るのではないかと、少し嬉しくなった。

 施設は少し遠いので、なかなか行くことができない。上のおばあちゃんが施設に入る前は、祖父の家に行けば必ず会えていた。家族と祖父の家に行く時はできるだけ施設に行くようにしているが、それでも昔ほど頻繁に会えるわけではないので、やはり寂しい。施設に入るということは、今まで一緒に過ごしてきた人達と離れ離れになってしまうので、僕だったら寂しくて仕方がないだろうなと思っていた。しかし、施設に行ってみるとたくさんの介護士さんがいて、同じように施設で暮らしているお年寄りもたくさんいた。上のおばあちゃんは入院する少し前から言語障害が出てきて、今ではほとんど何を言っているのか理解できない。だから表情で判断するしかないのだが、入院していた頃より笑顔が増えたので、楽しく過ごせているということなのだと思う。何よりも会って嬉しかったのは、僕たちをしっかり認識できているということだ。病院で会ったときは他人の子でも見るような目をしていたのに、施設で会ったときは僕を見て笑い、優しく手を握ってくれた。僕の家族や祖父母のことも分かっていたようだった。父の悲しい顔が胸にこびりついているだけに、僕はとてもあたたかい気持ちで胸がいっぱいだった。

 学校の福祉体験で、デイサービスセンターに来るお年寄りと交流する機会があった。そこにいた人達は上のおばあちゃんや施設にいた人達もはるかに元気で、食事も会話もあまり介護士の手を借りずに出来ていた。僕は上のおばあちゃんもこの人たちと同じくらい元気で、家で祖父母と過ごせていればよかったのにと思った。しかしながら、自宅介護となれば多くの負担は一緒に暮らす家族が背負うことになり、介護をしなければならない祖父母は今の生活は送れなかっただろう。もしそうなっていたら、僕たちと上のおばあちゃんの間の感情は、今ほど穏やかではなかったかもしれない。

 人は老いやすいと言うが、本当にそうだと思う。僕の中では上のおばあちゃんはまだまだ昔のままだ。僕たちが来ると笑顔で「よく来たね」と言って手を握ってくれる。「みんなで飲みなさい」とヤクルトをたくさんくれる。耳が悪いのか少しテレビの音量が大きくて、ちょっとうるさい。ただでさえ僕たちは大きな声で喋たなければならないのに、テレビの音が邪魔でもっと声を張って喋る。足が悪いからいっぱいいっぱい手を伸ばして、それでも無理な時はまごの手を使って物を取る。お土産を渡すと「どうも、おおきに」と言って頭を下げ、いつのまにか仏壇にあげている。僕の頭の中の上のおばあちゃんはいつまでもそんな風だから、喋ろうとしても言葉が出ず、唸るように、絞り出すように出された声や、たまにもどかしそうにしかめられる顔、昔よりシワが増え力がなくなった手を、そう簡単には受け入れ難い。ついこの間まで元気だった人が、いつの間にかこんなにも弱々しく見えるのは、ひどく切ない。僕の成長は遅いのに、上のおばあちゃんの変化は驚くほど早く、施設に行くたびに自分が世間から隔離された気分になる。そして人は常に死と隣り合わせであることを強く感じさせられる。上のおばあちゃんが施設に入ってから、僕が知らないうちに死んでしまっていそうでとても怖い。施設に行く時はいつも怖さと緊張でドキドキしてしまう。

 僕の時間はとても遅いから、周りの時間に追いつけることなく、気がついたら独りぼっちになっていそうだ。多分、人はみんな寂しい。寂しいから人と一緒にいたがるし、何かを残したがる。そんな人の姿はひどく滑稽で愚かだとは思うが、その寂しさの代償で僕は心地よく生きている。それならば、その寂しささえも喜んで受け入れようと思う。

 

* * * * *

 

「小6の価値観じゃない」と母の検閲で突き返され、無事不採用。

弟「僕こんなこと考えたことない」とのこと。

 

 

小学生にこんな重たいお題出してんなよな。書けるか!