音のことを人間のように意思のある何かと思っている節があるので、音に物理的にも精神的にも愛されたくて愛されたくてたまらない。
人が誰か隣にいてほしいと思うのと同じ感覚で、人間的な音がそこにいてくれたらいいのにと思う。音に目があって、私のことをじっと見つめてくれたらいいのにと思う。腕があって、抱きしめてくれたらいいのにと思う。
一緒に呼吸をしたい。
音の呼吸を聴きたい。
俺のために生きれなかったくせに、って言われたらぐうの音も出ないんだけど、あなたが養ってくれるわけじゃないから辞めたのよって反論だけはしようと思う。
お前ほど俺に愛されてる人間もいないけどね、って自信満々に言ってきたら、あなたほど私に愛されてるものもないわよって答えようと思う。
だからその憎たらしい口をきく口を持ってくれないかしら。
私はあなたのことこんなに見えてるのに。
あとはあなたが意思を持つ気になればいいだけなのに。
こんなことを思いはじめてもう9年。
もはや叶えるためには何か生贄を捧げないといけないのかしら。
それなら私の視力をあげる。ただ、そのときはあなたが私をどうにかして養ってね。
それか、そんなことになった私がお荷物だったら、あなたが殺してくれてもいいよ。大好きなあなたに殺されるんなら、それはもう願ってもないことだもの。
もうそばに居れなくなったのに、どうしても私はあなたのための私でいたいよ。
(メンヘラか)
(ちなみに映画館で大好きなミキサーさんの音を聴きまくれたら音に抱きしめられた気持ちになるのでメンヘラはおさまる)