月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の日々の雑記

無邪気を装い賛同を乞う悪意たちへ

女の社会というのはある程度悪口と媚びで形成されているというのが、学生時代にいじめを繰り返し受けてきた私の考えだ。

でも社会人になって、性別は関係ない事を知った。男でも女でも、そういうコミュニティにしか居場所を見つけられない人間は一定数いるらしい。大人にもなって、なんてかわいそうな人たちだろう。

 

正面切って媚び、正面切ってぶつける悪口はまだ潰しようがあるから人によってはどうにかできるだろうが、無邪気にヘラヘラと笑いながら、時にメソメソと涙目になりながら、心の中ではクソみたいな生ぬるい上目遣いで周りに視線を投げている悪意が一番厄介だ。これはなかなかどうにかできる話じゃない。

その人物の奥底を見極められず、もしくはその人物の言葉に翻弄され、「そいつが実はなにを言っているのか、どういう人間か」を理解できる頭を持たない残念な方々が味方についてしまうからである。そして、しょうもないコミュニティがそこに出来上がってしまい、中心人物の汚い感情に引き寄せられたあまり美しくない関係が築かれてしまう。正直いうと、馬鹿の集まりである。

ただこの馬鹿は周りをみる能力がないので強い。悲しい哉、世の中、周りを気にできる人間ほど損をするようにできている。

 

善悪というのは完全なる主観でしかなく絶対は存在しないというのが私の意見であるが、その自由な善悪に社会常識、良心、知識などの枠や要素を与えてやる事で、だいたいの人間に共通した善悪の観念を持たせることができる。小学校や中学校で一番身につけなければならないのは、実際にはこういう部分であると思う。

が、それを身につけ忘れた真の不学の者がこの世には大勢存在する。

その中でも真の馬鹿となる者は、というかもはやこういう人間に馬鹿と使うことについて馬と鹿がかわいそうで申し訳ないのだが、真の馬鹿になっていってしまう者は、ある程度注目を集めることができたり、少しばかり盲目的な信者がいたりする。その愚かな言葉や行動の真意を理解できない人間が周りにぴとぴととくっついていることが大半だ。

まあいうなれば、馬鹿には馬鹿しか集まらないということだが、これがある意味強力で、全員が馬鹿なので強い。馬鹿は強いのだ。馬の脚力と鹿の大きな角を持っているのだから、そりゃそうだ。

そしてその頭には人間ほどの脳は詰まっていないのであまり考えることができない。考えられない、というのもある意味最強だ。考えられてしまうと思慮分別のある行動が取れてしまうのだが、考えられないとなんでもできる。なんでもできるし、その先になにが起こるかを考えない。

「これを言えば相手はどう思うか」は考えられたとしても、「その相手がどうなるか」はわからない。わからないので、「これを言って相手を傷つけてやりたい」の部分に素直に従うことができる。その先で「相手が傷つくだろう」ということは想像ができても、さらにその先で相手がどうなるかまでは想像ができないのである。こういう人間が「そんなつもりじゃなかった」と宣うのだ。クソが。

 

我々の行動、発言には責任が伴う。

とは言え、それを考えらるのはまともな人間だけであり、馬鹿はその事実を知らない。そういう世界が存在していることは知っているかもしれないが、その世界に自身が包含されていることは知らない。馬鹿なので。

馬鹿はよく、自分は特別であると考えていることが多い。大抵選ばれし人間のつもりでいる。しかし残念ながら、馬鹿もまともな人間も同じ法の下で生きている。なにも特別なことはない。特別があるのは権力者の近くにいる者者だけだ。そういう特別な馬鹿は少し違う世界に住んでいるが、そうでない平凡な馬鹿には同じ法が適用される世界に住んでいる。

この、同じ法が適用されているということだけは、どんなに馬鹿でも忘れない方がいいと思うのだ。いくら馬鹿でも。まともな人間たちから見るとその人物が馬鹿ゆえに責任能力がないのはわかるのだが、残念ながら社会的に見るとまともな人間も馬鹿も大抵変わりなく見えてしまうので、たとえ馬鹿でも責任能力は問われてしまう。そこは心に留めておいた方が良いだろう。

 

言いたいことがあるなら面と向かって言え、という人間は、馬鹿の愚かさを正面から受け止めてあげようという慈悲を持った、かなり優しい人間だ。馬鹿は考えられないがゆえに馬鹿をしてしまうので仕方ない、と、馬鹿と向き合ってくれている。そして大抵、馬鹿はスッキリして受け止めた優しい人だけが傷を作る。馬鹿は「言ってやった」としか思えない。思考する脳がないので。

馬鹿は頭は回すことができても所詮馬鹿であり、思考はできない。かわいそうな人のフリはできても、誰かに向けてわざと投げる言葉は馬鹿丸出しだ。そしてそれを自覚して投げているから許されるでしょう、だってそう思ったのは本当なのだもの、と開き直る。許されるか馬鹿。

「言ってやった」はないのだ。まともな人間が「言わせてやっている」のである。馬鹿はこれになかなか気がつけない。そうして「ボコボコにしてやった」と思っている。周りも「ボコボコにしてやりましたね!アニキ!」とか言う。憐れでしかない。

 

そして、馬鹿は下手に言葉が立つ。大抵相手を言い負かすことができる。

しかし、時折相手が悪く言い負かされることがあると、途端に言葉をなくす。馬鹿なりに一生懸命組み立てた論理が崩れる。馬鹿なので論理にいろんな穴があるのだが、それに気がついていないのだろう。そうして最終的になにも言えなくなるはずなのに、馬鹿には「負ける」か「勝つ」かしか見えていないので、そこからは支離滅裂に、ただの槍のような言葉だけを飛ばすようになる。それを相手が全部拾って論理で束にしてまとめて投げ返すと、「ひどいことを言われてるかわいそうな人」になって、馬鹿に助けを求める。

そうしてまともな人間が悪者になるのだ。ああ、馬鹿だなぁ。

 

 

こんなに馬鹿だ馬鹿だと書いてなにを言いたいかと言うと、これを読んで今顔を真っ赤にしている人がいたとしたらおそらく馬鹿側で、しょうもないなと思っている人はまともな人間側だろうな、と言うことだ。つい先日、マジもんの馬鹿を実際目にしたので。

どこまでも卑怯な人間は、馬鹿は、幾つになっても存在するのだなぁ。