月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

見限るとか以前の問題

まだ腑抜けてしまって見限られる方がマシだなぁ、と思う。

 

2020年、数年付き合った人と別れて引っ越して転職した。お金は得られた一年で、親に借りてる借金もあともう一息で完済、というところまで一年でこられた。そんなに貯金がありすぎるわけでもないけれど、一年後のアパートの更新料は全く怖くないし弟の成人祝いもドンと数万使えるくらいのお金はある。毎月のカード決済も特に怖いと感じない。いいことだ、一人暮らしで今を楽しく生きるにはちょうどいい(未来のことは試算していないとする)くらいのお金の余裕があることは。

 

それ以外が全部ダメ。それ以外というのは主に仕事のことだ。別に今恋人が欲しいわけではないので、そちらの方はどうでも良い。友達と一緒に住めたらなぁ、兄弟で住めたらなぁ、なんて考えるときもあるけれど、基本的に家のことは思い立った時にしかできない私に共同生活は向いてない。それ以外のすべてと言ったら現状大して趣味を追いかけていないので仕事のみになる。仕事が全然ダメだった。

つまらないのだ。つまらないとか言っていられるほど余裕がある仕事ではない。入社して今月で丸一年。がむしゃらに頑張ったと思う。頑張ったけれど、こんなに達成感がない仕事は初めてだなぁとも思う。私はこれまで、自分の頑張り度合が可視化される世界にいたので、手を抜いたら出来上がるものがクソになるし必死になればとてもいいものが出来上がるので、自分の働きがどのくらいのものだったかを知ることができた。でも今の仕事は、自分がどんなに頑張っても誰かの仕事が楽になるだけで基本的に自分から見えるものは何もない。ずっとのれんに向かってジャブを繰り出しているような気持ちだった。要は面白くない。かと言って怠ければその分がとんでもないミスになって自分に跳ね返ってくるから頑張る以外ない。その状況にとても疲れてしまった。

本当にこの一年頑張ったと思う。頑張ったのだから頑張った分お金が欲しいと思っていたが、10月ごろから給与明細を見ても心が踊らなくなってきた。そりゃうちはいい会社なので働いた分しっかり残業代が出る。サービス残業なんかない。やればやっただけお金になる。嬉しいはずなのに、全然嬉しくない。「そりゃそれだけ残業したもの」という気持ちになって終わる。合わせられない仕事はないけど根本が合わない仕事ってあるんだな、と初めて思った。だから人は「自分は何がやりたいのか」をあんなに求めてるんだ。私は今までやりたいことがなかったことがない人間だから、知らなかった。

 

今、やりたいことがない。なりたい自分もない。好きなものはあるけれど、前の仕事に戻りたいかと言われたら、はいとは言えない。正直戻りたくない。負担がえげつないから。でも今の仕事も負担がえげつないことに変わりはない。小さい会社だから、一人一人が大きな責任を背負って働いている。でも私の部署の私のチームの責任は一人が背負うにはちょっと大きすぎると思っている。利益や損害にまつわる最後の砦であり、ストッパーであり、監視役であり、作業員である。誰かが楽になるためにいろんなことを負っているのに、その誰かはその楽が当たり前だと思っていて、楽になったと思っていなくて、「うちのやることではない」とすべてのチームが言ったことは私のチームのやることではなかったとしても引き取る。誰かが楽になるための負担を全部負っている。私一人じゃないけれど、ずっとひたすらそれを回していかなきゃいけない。楽しくないとかつまらないとか、もちろんそういう不満も抱えてるけれど、一番は疲れた。意味のないことは一つもしてないけれど、じゃあ「ありがとう、楽になって助かってるよ」って言われれば気がすむのかと言われたらそういうわけじゃないし、じゃあ何をどうしたらいいんだって思っても結局は目の前に積まれた課題をただ一つずつクリアしていくしかない。誰も見てなくても、結果が目で見えなくても、実感が得られなくても、どんなにのれんを腕で押すことになっても、きっとこの後の誰かは楽になっているはずだしそれが回り回って会社のためになっていると信じて、仕事をしていくしかない。

それが辛い。私はお利口さんの皮を被っているときは人に尽くせるが、素の状態だと人に尽くすなんて無理なのだ。前の仕事は人に尽くす仕事だったけれど、それは好きな仕事だったからできたことだったのだと思う。相手にもよったし。今の「ちゃんと働いた分お給料をくれる場所でちゃんと働くということを覚える」ために入った会社では、どうもその尽くすという行為が私の首をじわじわとしめている。今の仕事を好きになりたいが、どう好きになったらいいかが全くわからない。実家で兄弟に仕事の説明をしたとき「そのアプリ僕も使ってる!」と弟に言われたけれど、それはあまり嬉しくなかった。だってたくさんの人が使ってくれていることは知っているから。ありがとうと思う。もっといいサービスになるように頑張るね、とも思う。うそ、そこがあまり頑張れない。直接関係しているわけじゃないから。目に見えることだけが全てではないのはわかっているけれど、目に見えることが多かった世界にずっといたから、一年じゃこのギャップにまだ慣れない。楽しいとも思えない。

自分の会社のサービスは好きだ。私も昔から使っていた。楽しい。いいサービスだと思う。好きだ。でも頑張れない。甘えとか以前に仕事を舐めているのかもしれない。そんなことはないつもりだけれど、世の人はどうやって働いているのだろうかと不思議に思う。もちろん到底やめるつもりもないしこのまましばらく働き続けるけれど、それであればもう少しゆとりを持って働きたい。正直去年一年で燃え尽きたような気もする。私は期待されるとがむしゃらに頑張るが、結局いつもどこかでガス欠を起こす。少し休みたい。本当は泣きたい。甘えているのかもしれない。会社はお金を払って私を雇ってくれているのだから、私は頑張るべきなのだ。休んだって何もすることはないし、それだったら働いてお金をもらった方がずっといい。でも泣きたい。なんだかわからないけれど、泣きたい。わあっと泣いて、ぐちゃぐちゃと心の中に溜めてしまっているものを全部足して、誰かに「頑張ってるね、そんなに頑張らなくてもいいんだよ、頑張ってるよ、だから5億円くらい口座に振り込んどくね」って言われたい。振込先は楽天銀行でお願いします、金利が良いので。まあ、5億は嘘だけど「去年はよく一人でここまで頑張ったね」って言われたい。疲れた。今結構灰になっててここからどう立ち上がったらいいかわからないのに、年始からまた頑張ることになっていてそれも辛い。

 

ずっと前から思ってたことだけど、実は働き続けてお金を得て生活するということに疲れている。他の人たちだってそうかもしれないけれど、大学時代も対して遊ばず、卒業前からインターンで半社畜のようなことをしていて、そのあとがむしゃらに働いて電池が切れて1ヶ月療養したけど、休んだのはこの1ヶ月だけでそのあとは日銭を稼ぎバイトをして第二新卒で入社した会社でもちゃんとがむしゃらにやって今もがむしゃらにやってる。実は一年くらいぼーっとしたいと3年前くらいから思っている。世の中みんな頑張ってるんだろうし私の頑張ってる基準なんてうんと低いのかもしれないけれど、正直これから解放されるんだったら結婚して専業主婦になりたいなとかも思う。1年間だけ。でも専業主婦だって休めるわけじゃないでしょう。だから私は自分で働いている。本当は休みたい。なんだかんだ強いからずっとこの「休みたいな」という気持ちをこぼしては立て直して、もう無理だと思ってもまた立て直して、だめだもうリタイアしてしまいたいと思っても立て直してずっと働いている。周りには「疲れたからやめた」って言ってフラフラしている人もいるし、好きなことでちょっとだけお金を稼いであとはなんとかしている人もいるし、「仕事向いてない」って言って結婚して主婦になってる友達もいる。でも私は貧乏は過去の経験上どうしても無理で、絶対にお金が入ってこなくなる状況には耐えられないからこの足を止められない。本当は止めてしまいたい。止めてもいいんだよって言われたくらいじゃ止まらない。楽天銀行に5億円振り込んでくれる人がいたら止まれる。大げさな冗談じゃなくて、本気でそのくらい「お金は大丈夫、どうにかできる」って安心感がないと止まれない。お金がない状況にはもう絶対に陥りたくないから。

 

お金を持て余した石油王さん、あ、石油王に限らず億万長者の方なら誰でもいいです、ここに今すぐにでも大金手にして休みたい人間がいます。一年だけ休みたいです。5億円振り込んでくれるだけでいいんで。人助けだと思って。無理やり私の足を止めてください。(多分いつか決壊する)