月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

さみしくて死にたい24時間

昨日はうっかり死ぬんじゃないかと思った。寝て起きたら昨日よりはマシになってたことに一番安心した。

耐え。さみしさは耐え。それのみ。つらすぎると思う。耐えるしかない。昨日のさみしさは「自分の脳全部を移植したかのような人間にいてほしい」わがままと「人は他人と完全には分かり合えない」絶望と「分かり合える部分があったところで余計に分かり合えないところが濃く残ってむしろさらに悲しくなる」虚しさと「だったらもう誰でもいいからそばにいてくれよ私は何もあなたに返せないけど」の無責任さによるものだった。全部救うのは無理だし、どれかを叶えようとしても最後のカードがくっついてくることで無に帰すというクソ仕様。人に触れられさえすれば、最後の無責任さは多少薄くなるのだけれど、人とそういうつながりを断てば断つほど加速度的に触れたくないと思うようになってしまって、想像するだけで吐き気までするようになった。もう私は本当に、抱きしめるところまでしか受け入れられない。

少し前にいわゆる普通恋愛ができる人が「あまり恋愛がわからないかもしれないと思ってる人間はもうこっちに入ってこないでほしい、こっちが傷つく」と言っていた。私もこれには同意する。我々はわかり合おうと思ってもどちらかがどこかのタイミングで無理をしなければならないので、最初から住処を分けるべきであると思う。わからないものはわからないもの相手に恋愛の真似事をしてみれば、あちらの人たちと一緒にいる時ほどのつらさを感じなくていいかもしれないし、あちらの人たちもこちらをその気にさせようと躍起にならなくて済むはずだ。だから私たちは別々に生きた方がいい。たぶん。おそらく。

さらに言うなら、性欲が無い人はプラカードでもかけていてくれないだろうか。住処を分けるまではしなくていい、ただ私が安心したいだけだから。人といたら紛れるさみしさがあるのに、誰に手を伸ばしたらいいかがわからない、だから一人でどうにかするしかなくて、この数年ずっと一人でどうにかしてきたけれど、さすがに限界が近いことがわかってきた。苦しい。話がしたい。苦しい時に隣にいてくれるだけでいい人がいたら、本当のところどうかはやってみないとわからないけれど、多少どうにかコントロールできるところはあるんじゃないか。昨日は本当に死ぬところだった。さみしかった。心の底から誰かを守ろうとする女の子の漫画を読んで抉られて、自分は一生そんなことがないんだと実感させられて、気づいたらどん底だった。今思い出したけれど、私にはそうなった時用の薬があるんだった。それを飲めばよかったのか。しかも昨日はお昼ご飯を食べた後に飲む胃薬の類を一個も飲んでいない。だから今朝起きた時胃が気持ち悪かったのか。ダメダメだ。そう、薬があっても「それを飲む」と言うところに辿り着く前に本当に死にそうになるのだ。難儀。もう殺してほしい。

私が死んだら大勢が泣くような人間になりたい。まだそこまで至ってないから死ぬわけにはいかなくて、少し助かっている。私のお葬式は、お線香は誰かが束で燃やしてくれてたらいい。ひとりひとり焼香するのも効率が悪いし時間がかかりすぎる。白檀の香りが好きだから線香は燃やされてさえいれば、誰がどういう対応を取っても問題ない。お経は読まなくていい。ビュッフェ形式にして、椅子とテーブルもあるけど、立食パーティみたいにして、おいしいご飯を食べてたくさんおしゃべりしてほしい。私の話はそんなにしなくていいけど、誰かが泣き出したらみんな私を思い出して泣いてほしい。あと喫煙者の特別室を用意したい。そこでは線香の代わりにアメスピのウルトラライト(メンソールの黄緑5ミリ)を燃やしてほしい。私が天国なり地獄なりで吸えるありったけのたばこを燃やしてほしい。棺桶にもたばこを死ぬほどつめてほしい。花もあってもうれしいけど、かすみ草かあじさいかスターチスがいい。それ以外だったらいらないからたばこを入れてほしい。ただ、うちの両親はたばこが無理な人間なので、骨になる時にはたばこを出してもらわなきゃいけない。それは面倒臭いし進行工数がかかるな。やめよう。喫煙部屋で線香の代わりにたばこをあげるだけにしよう。泣く泣く。仕方がない。みんな私が死んでもおいしくご飯を食べてほしいけれど、しばらくは私を思い出してしくしく泣いてほしい。しれっと両親より先に死ぬ想定で話していたけれど、それは信念上の理由でNGなので、やっぱり棺桶にたばこ死ぬほど入れてください。入れられます。私はチェーンスモーカーなので3時間で一箱吸えます。それを踏まえて、ありったけのアメスピを詰めてください。

とまあこんなふうに自分の葬式の想像をするくらいの元気は出た。昨日早く寝た自分が本当に偉かったと思う。さみしさも睡眠欲には勝てない。いつも解決せずに寝ているから問題は膨らむ一方なのだけれど。

似たような思考で性欲もない人間がうっかり私と一緒にいたら楽しそうだなと思ったりしないかな。まあそんな人間に会ったことさえないけど。私が一緒にいたいと思う人間も現れたことないし。まずはそこからか。もう待つのも面倒くさくなったから神様のうっかりうっかりで今年はそんな人がうっかり現れちゃいますように。うっかり上期中に。ハハ。

私の葬式は金額が嵩むと思うので資金は用意してから死にます。みんな来てね。テレパシーで招待状出すからさ。

 

 

 

おはようありがとうさようなら

死にたい死にたい死にたい。

30歳は全然大人じゃない。いつまで経っても自分のメンタルの管理ができない。会社では私が休職した過去があるからか無理することがバレているからか迷惑だと思われてるからか知らないが「心身ともに健康で、無理をしないように」と言われる。そんなこと一朝一夕でできるもんならこんな人生送ってない。休職から2年経ってもこんな調子。しね。

 

お気に入りのハンドクリームがある。大好きな友達からもらった檜の香りのハンドクリームを出勤前に手首まで塗って、会社では大好きなお姉さんからもらった無香料のハンドクリームを塗る。檜の香りがずっと残りつつ、手はしっとりが続いてうれしい。でもこれができるのは心に余裕がある時だけ。目の前しか見えなくなるとそんなことできなくて、ただ歩いてただ仕事をするしかできなくなる。今年一年でこのハンドクリームたちを使い切りたい。そのくらいずっと大丈夫でありたい。

 

過食嘔吐が治ったと思いきや、治ったのは「太りたくない」という思考から吐くことだけで、ストレスを吐いて解消するのは治っていなかった。しばらく何も食べたくない。脳に注射打ちたい、食欲のなんかそういうのが出るのをどうにかする注射とかないですか。ちっさいおにぎり一口分かける三食とかでいいですほんと。咀嚼いやです。飲み込むのもいやです。でもしばらく普通に食べられてしあわせでした。ありがとう、もういいです殺してください。

 

セブンイレブンの生ハムとブロッコリーのパンがおいしい。相変わらず鮭といくらのおにぎりはおいしい。でも最近おにぎりは義務みたいになってる。パンだけでいい。あと最強のスープを見つけてAmazonで18個買った。まあ今これが目の前にあるだけでちょっと気分マシかもしれない。食べるもののこと考えなくていいし。ただお昼の時間になると自動的に足がコンビニに向くのやめたい。コンビニ閉まってほしい。勘弁してほしい。

 

なんで急に忙しかなったのかわからない。うそ、わかる。なんか、なんでか知らないけど、私がオーナー持つ仕事が急に増えた。どういうつもりの割り振りかわかんないけど、多分そんなに頻発しない案件だからなのかも。でも今それを一気にレクチャー受けてるからめちゃめちゃ忙しいし、私が元々オーナーだった開発改修案件がなんでか2個同時に動き出しちゃってそっち最優先で動かないといけないし、これは頭使うしずっと考えてるから脳が休まらないし、そんなこと言いながら普通に通常業務もそのままあるし。嘘だろと思って今日みんなの仕事の割り振り見てみたらAジャンル1個がBジャンル1個に仕事が変わるパターンか、Aジャンル3個がAジャンル6個になるパターンかしかなくて、Aジャンル1個とBジャンル1個はそのままでCジャンル4個とDジャンル1個とEジャンル1個増える人間は私しかいなかった。え、私の元量30%稼働だと思ってる?やめろやめろやめろ。せめてDとEは他の人に振れよ〜。いったんやるけどさ〜〜〜。

 

脳の燃費が悪い。薬飲んでるからだと思う。でもこれ飲んでないと私は無限にやれてしまう気がするから飲まない選択肢はない。飲んでるだけマシ。なんか、今もう4つくらい同時進行のマルチタスクの鬼と化してるから自分の脳の状態がよくわかるんだけど、エンジンをギュンっと踏み込んでちょっと発信したけどすぐ止まっちゃう車みたいな感じになってる。スルスル〜っと脳が動いていかないのに動かさないといけないから、車から降りて無理やり引っ張って進んでる感じ。すごくやりにくい。ほんとは一個ずつやりたい。一つ終わらせて次やって、って感じにしたいけど仕事上それは無理で、目の前でAジャンル1個だけの同僚が「ぱつってる」って上司に報告してると「ア゛?」と思う。しゃーないよ、その人はその人の限界が来てるんだよ。わかる、わかるよ。嘘だよわかるかよしらねぇよやれよ。私の分あなただってやれるんだから持っていってくれよ〜〜〜!!私がやばい状態になるのがもう先々週くらいにわかっていたから「相談あれば乗るので早めにMTG入れてもらえると」って言ってたのに、お前このタイミングで入れてくんなよ〜〜〜!!一番今が忙しいんだよ!!再来週にはまた楽になってんだよ私は!!それまで待てないならもっと早く入れといてくれよ頼むよ〜〜。こっちがどれだけ危機管理してもダメじゃん〜〜〜。

 

 

あーーーーーーー殺してくれ〜〜〜〜。

 

 

 

それかもう全員一緒に死の。ね。みんな一緒ならさみしくないよ。大丈夫、私が保証する。

こういうの得意だから、メンヘラに任せて。

 

 

 

 

挨拶を送らなければならない業務報告slack

このタスクをなくすためなら地球が滅んでも構わない。

 

異動した先の部署には定時15分前に送られてくる「退勤連絡」というslackのbotがあって、退勤時にはそこに己の業務についてイシューがあったかどうかを報告し、「本日の業務を終了します。お疲れ様でした。お先に失礼します。」と送らなければならない。弊社は出社必須でデスクは部署ごと且つチームごとにまとまっている。

 

はあ??????誰だよ考えたやつ。仕事してる?

 

リモート勤務ならわかる。めちゃくちゃわかる。でも目の前にいて、何かイシューがあれば即時報告できて、しかも退勤できるんだから、報告するべき事由がないことは明らかではないだろうか。処理件数の報告が必要なのであれば、進捗報告が必要なのであれば、部署全員ではなく記載必須対象が存在する人間だけが書けばいいのではないか。何も書くことのない人間がわざわざ「本日の業務を終了します。お疲れ様でした。お先に失礼します。」を記載する必要があるのだろうか。いらないだろ、どう考えても。

 

少し前に「コロナの時期に始めたことなのであれば、もう今は一堂に会していますし不要ではないですか?イシューがあった場合はすぐ報告されますよね。帰る時は挨拶をしますよね。文面と口頭で同じことをする必要があるのでしょうか?」と発案者の室長に聞いてみたところ、「コロナになる前からやってたの」と驚きの答えが返ってきた。

 

だったら尚更考え直せよ!!!!!!

 

え?なに?私がイカれてる?

確かに私はこういう「本気でやる意味のわからない機械的な作業」が本気で涙出てくるほど嫌いで、社会人としての仮面がその場で剥がれ落ちそうなほど腹が立つけれども、何の報告もない人間が「本日の業務を終了します。お疲れ様でした。お先に失礼します。」ってslackおくる必要ある?文章で??脳ある!?!?

 

私が社長だったら、「この運用に疑問を抱き改善提案をしたことがあるか」を部署全員に問い、しなかったと答えた人間は100万減給するし、コロナが明けてもそれを指示し続けてるトップは降格させてマネージャー資格を剥奪する。そのくらい許せない。意義が見出せない。

 

「本日の業務を終了します。お疲れ様でした。お先に失礼します。」の何が部署全員に文字で伝えなければならないことなのか。口があるだろ口が。口で言え。話せ。話すし。話してるし。あっちもこっちも同じことして何がしたいの?コロナの前からやってたから??理由にならない。話にもならない。イシューの把握のため?だったらイシューあるやつだけイシューの内容を書いて報告しろ。イシューがない人間に毎日ただの挨拶だけを送らせるな。

 

あと私が書いてないことをニヤニヤしながら「書いてなかったよ」っていってくるやつも同罪!!!!!クソが!!!!!!!!うるせえ仕事しろ!!!!!!!!無意味なことを脳死で受け入れてる時点でお前も罪人だからな!!!!!!!

このルールを疑わない人間全員地獄に堕とされて365日ずっと五十音の表を埋め続けないといけない刑をうけろ!!!!!

 

 

本日の怒りを終了します。お疲れ様でした。お先に失礼します。

 

 

 

 

 

 

 

 

好きになり直したかった

どんな人にも可愛げがあるんじゃなかろうかと思う。時々そんなことも無視してぶち殺したい人間もいるが、私が許せない嫌いな元上司は可愛げのある人間だと思う。面白くはないけど。

 

今日、元上司とサシで飲んだ。3時間。私はサシなら取り繕わないと決めているので、そこそこ本音で話をしたと思う。本人の許せない部分に関しての話題は出さず(傷つけたり喧嘩になったりするので)、この人の仕事の人格ではなく「この人」として話ができることについて、ずっと話をした。人間と人間として、分かり合えなくても尊重する気持ちが自分の中に欲しくて。案外うまくいったのではないか。今私は「この人」のことは嫌いではない。好きかと聞かれると同族嫌悪な部分もあるのでそこまでだけれども、嫌う要素はそこまでなかった。

この人が自分のことを見つめない姿勢が私は大嫌いで、毎日鏡を置いて過ごせよとまで思っていたけれど、昨年末からずっと自分と向き合う訓練をしているらしい。お金を払って、授業を受けて、自分もその資格が取れるように頑張っていると言っていた。私はその話を聞いて、本人がそう思うに至った背景を想像して少し、「この人は私が思っているよりは心のある人間なのかな」と考えを改めようかと思っている最中である。残念ながら、すぐに考えを改められるほど、私の傷は浅くない。

不器用な人であるとは思う。ただ、その不器用さの自覚がなく、自分の機嫌でそれを振り回すので、周りにいる人間は全員負傷する。負傷しまくって私はこの人の仕事のやり方を受け入れられなくなってしまったし、マネージャー業をやるなと思うし、させている会社はもう不信感が募りまくっている。本人はそんな自分に気がついたのだろうか。今の行動は私の想像した通りの道筋を通ったことによるものなのだろうか。今日はどちらかというと私の話をたくさんしたので、そこの答えには辿り着けなかった。仮に辿り着けたとしても、同情することも許すこともないけれど。

今日は私のセラピーのつもりだった。許せない人を、死んでしまってもいいと思った人を、私はどうにかして好きになり直したかった。昔は好きだったのだ。その好きを消費して今の状態になってしまったわけだけれど、「この人」自身のことは嫌いじゃないのだからまた好きになれるんじゃないかと期待して、「ごはんに行きませんか」と声をかけた。

 

やっぱり私はこの人のことが好きなんだと実感した。

 

自滅されても平気だと感じるほどの強い悪意を持って、それを周囲に撒き散らし、仲間を集め、勝手に動いてもらって、最終的に役職から引き摺り下ろした。最悪辞めてほしかったし、この世からいなくなってもいいとまで思っていた。本人曰く「本当に辛い時期があった」らしい。私たちは紛れもなく、(いろんな要因が重なり合っただけかもしれないけれど)本人をこの数年間の中の一番のどん底まで突き落とした。私にとっても、私の人生で一番強烈な悪意だったと思う。だからこそ今本人のことを「かわいそうだ」と同情している人間たちを見ると、「お前の悪意はその程度か」「自分の悪意に責任を持て」と新たな怒りが湧くのだけれど。

そんな人でも、仕事におけるその人と「その人」を分離して見ると、案外私はまだ好きなままで、恨みの感情はこれっぽっちも浮かんでこなかった。仕事の人格もその人自身も繋がっているものだから、実際には切り離して考えられるものではないわけだけれど、そこの矛盾は無視して分離したい。分離したいと思う時点で、私には恨みと愛の両方が存在しているわけだ。私の文章を読んでいる人は私の愛の重さを知っていると思うが、やはりこの人に対しても私の中には愛している気持ちがあった。もちろん愛の種類も様々なので四天王や音に対しての愛とは違って、もっと自分に都合にいいものかもしれない。それでも私には、味方のいなかった時期をこの人に支えてもらった感謝や、他愛もない会話をした時間の楽しさ、お姉さんとして慕ったいた頃の親しみ、そういった明るい感情が拭いきれないシミとして心に残っているのだ。どんなに憎くて、苦しんでほしくて、存在自体をどうにかしてしまいたいと思っても、その裏側にはそれと同じだけの好きな気持ちがあったのは間違いない。だからこそ死ぬほど恨んだわけで。まさしく愛憎紙一重

それがわかった今日、この人のことを好きになり直したいと思っている自分のことは認めることができたけれど、この憎しみが萎む日はおそらくまだ遠いこともわかった。いくら分離しようと思っても、私が日々相手にするのは仕事の人格のその人であるから、許せないことは相変わらずそのままだ。可愛げを愛する気持ちなんてこれっぽっちも顔を出さない。仕事の人格の「この人」のことは常時どうでもいい。ただ憎い。

 

全部を忘れて、あんなに好きだった人のことをまた好きになれたらどんなに幸せだろう。

どうでもいい人のことをまた好きになれるほど、私の悪意は弱くなかった。会社の私は会社のこの人の可愛げを愛せない。

二度と部下になんてなりたくないし、二度と部下を持たないでくれ。

 

 

 

 

 

 

 

やめるなら今

残り1%のiPhone SE(第2世代)を急いで充電して、33%になったところで沸いたお風呂に持ち込んで、「今日たのしかったな〜」なんて思いながらXをダラダラ見てるうちに31%になって、ああそんなことをしたかったんじゃないと思い出してはてなブログを開いた。

 

去年、夏の始まりから年の終わりまでの半年間で、私のいた部署から片手では収まらないほど社員がいなくなった。それまでは危なさをちらつかせながらも、それぞれの諦めと希望と未来への不安と多忙さが誰のことも逃さず、その場に引き留めていた。誰かの頭を動かすことを阻止していた。

ところが6月、1人のメンバーが突然退職すると決まってから状況は一変。誰かがいなくなることで今まで固く閉まっていた栓が抜け、ありとあらゆる不満やパワハラを留めてきた心が弾けた。残るメンバーの頭には「転職」の文字が色濃く刻まれ、さらなるパワハラを誘発、空気の悪化、やる気の喪失、発想の限界を超えたさまざまな悪いことがこの部署を襲った。

そんなこんなで気づけばかなり多くの人が辞め、辞めた人たちからの明るい新生活の話を聞かされ、「自分はいつ辞めようか」と未来の算段を立てる日が続いていた。

 

私は今の仕事が好きではない。では嫌いかと聞かれると、それほどでもない。好きとは言えないけれど、不幸ではないと思えている。幸せとまでは言わないけれど、不自由はないし割と勝手気ままにやらせてもらえているので居心地は悪くない。とはいえかけているものはない。情熱も愛情もやる気もない。けれど責任感はある。責任感と「私が思いついたことや形にしたもので誰かが楽になるといい」という気持ちはある。その気持ちで毎日仕事をしている。朝起きたら「今日は休んじゃおうかな」と思う日が2週間に1回ある。でも「そういえばこの仕事を今日やっておいた方がいいことあるんだ」とか「この話私しかまだ知らないからいないと困るかもしれないな」と思って、気がついたら家を出られている。電車に乗りながら「この生活何年続けるのかな」と思うことが1ヶ月に1回ある。でも「まああと8年後には富豪だし」と思ってうたた寝に戻ることができる。仕事が少し暇で「今日私いる意味ある?」と思う日がたまにある。でも「またしばらくしたら忙しいんだからこのくらいいよね」と思って同僚とおしゃべりができる。

 

そう、私は辞めたいと思っていない。

 

同僚に「あなたはもっとお給料をもらっていいくらいの仕事をしている」とか「あなたをもっと評価してくれる会社がある」とか「ここにい続けるのはもったいない」とか、この半年で言われすぎた言葉の数々で脳みその表面を塗りつぶしていたけれど、私は今のところこの会社を辞めたいなんて思っていない。「もっと評価してくれ」「もっと給料を上げろ」とは思っているけれども。

辞めたくはないのだ。

「みんなうちに来てください!とっても素敵な会社ですよ!」と大手を振って言えるようなところではないし、役員は揃いも揃って不倫に忙しいし、不倫してる人間同士が仲良くクソみたいなネットワークを構築して毎日仕事にならないし、豪華なビルに会社があるせいで昼間はコンビニご飯しか食べてないし、忙しい部署と暇な部署の差が激しすぎるし、毎日無料で自販機が使えてアイスコーヒーも入れられてお菓子も食べられるのがなんだってんだだし、まともなマネージャーなんか2人くらいしかいないし、「セクハラがないだけマシ」とかこのご時世当たり前だろうクソが!だし、こんなに働いて出した売り上げは全部偉い人たちの懐に入っていって私たちの元には配られないし、売り上げ規模の割にボーナスないし。不満だけで飲み会31回アルコールなしでできるくらいの思いがあるけれど、それでも私はこの会社のことが嫌いではない。みんな「人はいいのに」と言って辞めていった。確かにいい人は多いし、人に対してのストレスは今までの会社に比べたら随分少ない。ただ、ストレスを抱えさせてくる人がこれまた強烈で、私は2人ぶっ殺したくて、1人砂漠に送り込みたくて、1人アマゾンに放置したい。ぶっ殺したいうちの1人にはあえて仲良くすることでストレスを発散していて、砂漠とアマゾンは「無理!声を聞きたくない!」というタイミングが来たら最近お気に入りの避難スペースで仕事をしている。そして辞めていった人たちの原因は全部「人」だった。

 

私は今辞めたくはない。まだやれることがある。だけど周りには「そろそろ辞めるでしょ?」と思われている。それでいい。それでいいけれど、私はそれに乗っかりたくない。まだ辞めない。辞める決定的な理由もない。

とか言って再来週には転職先を探して面接を受けているかもしれないけれど、まだひとつだけ「やるとそれなりの人数の誰かが楽になる仕事」があるから、今日の私はまだ辞めない。辞めようと思えばいつでも辞められるから、まだ私が「やろう」と思っているうちは、まだ辞めないでいようと思う。

 

MOROHA「日程確定、開催確定TOUR×MOROHA V RELEASE TOUR」FINAL

最後に披露されたふたつの新曲を見て、そんなことを思った。

 

 

 

 

 

だけど辞めたかったら辞めていいよ。

その時が「今」だよ、私。

 

 

 

 

 

 

 

私の世界を支配できる誰かへ

寂しいなと思った。30歳にもなって、社屋も新しくなって、日々の景色が変わって、新鮮な風が心に吹くかと思ったけれど、ただただ寂しさが募るだけだった。

この前弟に「姉ちゃんが恋をするなら、盲信的になれる相手かもしれないね」と言われた。私もそう思う。私の理性がどこかにいってしまうくらい、もはや宗教かと思うような、あのちゃんみたいな相手じゃないと、自分の恋愛感情の無さに勝つことができなさそうで。恋愛感情の発露がなければ、恋人となる相手へは恋人たる仮面をかぶって相対することになってしまって、その場にある思いも言葉も全部が責任感によって作られた偽物になってしまう。私が本心からの何かをその人に向けるには、恋愛感情の無さに勝つほどの強烈な感情が必要なのだと思う。私の忠誠心だったり、盲信性だったり、今まで私を尋常じゃない領域まで連れて行った(そして私をぶち壊そうとした)感情たちでなら、おそらく本心しかない私になれる気がする。

けれどそうすると今度は「一生好きでい続けることができるかがわからない」という不安がつきまとう。この前も書いた通り、「ずっと好き」と言えないかもしれない相手を一時的にでも縛ることに、強烈な罪悪感を感じる。「あの時好きって言っていたのに」「もう心変わりしたのか」と思われることがものすごく苦しい。相手が私のことを大事だと思わなくなることは案外どうでもいい。人に期待をしていないからか、人の心変わりが容易いものだと思っているからか、想像してもそこまでのダメージを感じることができない。けれど、自分の心変わりのたやすさを知っているから、相手を悲しくさせることがあるかもしれないと考えてしまって、そんなことなら何もかもを始めない方がいいのではないかとまで思う。まあ、始まりそうなことも今の所ないのでただの誇大妄想なのだろうけれど。

だから、寂しい。ずっと寂しい。このまま私は1人で、いつまでも、どこまでも歩いていくのだろうか。誰かを強烈に思っても、今度は終わりが頭を離れず、相手への罪悪感を感じ続けていくのだろうか。考えても答えなんて出ないことなのに。こんなこと考えていたら世界なんて動きようがないのに。

そんなことを考えなくてもいいくらい、「今好きであればいいんだよ、先のことは先の自分たちに任せよう」と言って抱きしめられたい。人に触れられることを想像するとあまり気持ちは良くないし、多少の気色悪さもあるけれど、好きだと言い続ける自信がないことで起こる不安と気持ち悪さに比べたら、100倍くらいマシだ。「今」が大事なんだと、誰か私に思わせてほしい。私の脳を乗っ取って、視覚をコントロールして、心に棲みついてほしい。

誰か、私が余計なことを考えなくていいくらい、私の手の届く場所に、センセーショナルに現れて。そうしたら私は全部あげるよ。全部をあげたくなるくらい、私の目を潰して。誰か。

興奮ひとつ飼い慣らせない

この衝動を吐き出す術を持つ人たちが羨ましい。今すぐこの激情を解放したい。

大人しく電車の吊革を持って立っているが、電車に渋谷まで運んでもらっているが、可能なことならこの電車に並走して自宅まで走りたい。ビルの屋上まで階段を駆け上がって飛び降りたい。バイクで大きな道路を駆け抜けて横切るダンプカーに突っ込んで粉々になりたい。全身バラバラになってしまいたい。

間違えないでほしい!

好んで死に向かっているわけではない!

ただ、隣に死が来ても全く気が付くことができないほどの情動が今!

私の身体を突き破って外へ出たがっているのだ!!

 

死ぬ。持て余している。言葉にすることのできない衝撃や感動、羨望、興奮、やわらかければ快感になりうるもの全てが、私という人間が留め置ける範疇を超えて暴れ倒している。具合が悪い。

おそらくこれを「当てられている」というのだろう。善きも過ぎれば毒となる。天使と悪魔は表裏一体。天国も地獄も死の先の場であることは同じ。ああ、吐きそうだ。殺してくれ。殺してくれ!

 

たくさんのアーティストの魂のこもった舞台を見て、彼ら彼女らを応援しているファンの大きな歓声を聞いて、自分の応援するアーティストの姿に興奮して、憂は無く一喜十喜百喜。

己の神は尊く、存在がありがたく。彼女の一挙一動、一挙手一投足、瞬きのひとつまで全てを拾いたく、目玉がこぼれ落ちんばかりに目を見開き、彼女の網膜に光が届けばと必死に彼女の好きな色のペンライトを振った。私の座席の後ろでごちゃごちゃと「そこ私の席なんですけど」とやりとりしていたアイツらはこれから先のライブのチケット全落しろ。私と彼女のかけがえのない時間の邪魔をしてくれるな。

ここまで多種多様な熱を浴び、己も帯びると、細々とした興奮が乱反射するように身体の中を駆け巡り、内側から殴りつけてくる。出たい、出たいと暴れている。出したい、私だってこの興奮を表に出したい、ただ出す術がない!!

こんな時に音楽やダンスを、自分を表現しうるものとして所持できていたらどんなによかっただろう。今すぐにでもこれを、この言葉にできない感覚を、どうにかして!外に放出することができるのに!!

 

ああ死にそうだ、死にそうだ。

私になる前のこの衝動を飼い慣らせず、殺されてしまいそうだ。

ひどく悔しい。私の感情は全て私の支配下で湧き起こりおさまらなければならないのに。

人間になって久しいのに私は、まだ、自分の興奮ひとつ昇華できない。

 

音楽とダンスが私の手の中にあればよかったのに。