「あとどのくらいで薬やめられそうですか?」「あぁ〜・・・(無理そうな顔)」
躁鬱ってあんまり薬やめられないらしい。なんということ!なる前に教えてほしかった。なる前ったっていつだって話だけど。一応数年前の休職の時に躁鬱診断されたのが初めてだけど、考え方とかうわーっと集中してプツッと切れるのはかなり前からだったし、原因も複合的なものだからこれってものがあるわけでもないだろうけど。
でもまあ、元上司に対して死ぬまでどうにもならないことで一生悩み続ける人生を送れ、と呪ってしまうよね。
今、毎月1回神経科にかかってて。もう2年とか?長いね。病院はそこまで遠くないんだけど何気に毎月土曜日の朝にあるってちょっとストレスで、今日は寝たかったなとか、その日は朝からの用事を入れたかったなとか、てか毎週本当は予定を入れたいからめちゃくちゃ邪魔なんだけど、そんなことを思ってるので月1回絶対に病院に行かないといけないって結構、その、大変?大変ってのともちょっと違うな、面倒くさい?かなぁ。行かないといけない、行くことが自分を救う、定期的に様子を報告する必要がある、ということも重要性もそれなりにわかってるつもりではあるんだけれども、あんまり通うこととか同じことを定期的にやることが得意じゃない私としては苦痛度合いが高い。最近は睡眠薬を飲まなくても朝までちゃんと寝られるし、調子いいとか悪いとか以前に幼少期から死にたい人間だからそのほかに飲んでる薬が効いてる実感はそんなにないし飲まなくてもなんとかなるのではと思ったりしちゃうし。そうなんだよ、躁鬱ですって診断される前から全然ずっと死にたいし生きることに執着もないし死んだら死んだ時だしって思ってたし病院に行ったらうつ病ですって言われるんだろうなと思ってたし実際カルテにはうつ病的な文言書かれてたし、この何十年も考えてきたことが今更変わるわけないじゃん、という舐めた気持ちがあるので、薬が効いてるとも思えなくてこの前先生に「薬やめるとかって発生するんですか?」って聞いてみたわけ。そしたら「あぁ〜・・・躁鬱は薬やめるのは再発覚悟なんだよねぇ・・・」って言われてもうびっくり。やめられないんだて!そんなことあんの。やばいね。とりあえず元上司、私の代わりに病院行って薬もらってきてくれないかな。めんどくせ〜〜〜〜〜〜〜〜。いつまで病院行くのかなって今年に入ってからずっとじわじわ気になってたけど一生〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?!?!?冗談じゃないぜ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!
とかって人のせいにしてはみるものの、全部自分のせいなんだよなぁ。今回だってそうだけど、相変わらず自分の限度がいまいちわからないとか、突然崩壊するまでずっと耐えられるとか、基本的にずっと不調だから特異な不調がわからないとか。一つだけ薬の効果を実感できるところとしては、飲む前にはできてた過集中ができなくなってるところなんだけど、それでも多分周りの人間よりは集中してるらしい。前は朝仕事を始めて瞬きしたら秒で夜みたいな感じだったのが、今は一旦昼の存在に気づくくらいまでには集中力が落ちた。「仕事やるか〜〜お?もうご飯の時間か、面倒だけど何か食べるかな。午後もやりますか〜〜〜〜・・・もう定時!帰る!」みたいな感じ。だから基本的に定時には帰るようにしてるけど(じゃないとワァ〜〜〜〜アサ〜〜〜〜〜〜!!ってことが起こる)、理想としては1時間経ったら5分休憩ができるところまで集中力落としたい。とはおもうんだけど、8月入ってから先週まで私はあまり進められる仕事が多くなくて、それこそ1時間+5分休憩が取れるスケジュールで働けていたのに、普段に比べて働いてないから「存在意義がないゴミ」って気持ちになるし具合悪くなって会社で吐きたくなっちゃったりした。馬鹿みたい。忙しくてもメンタルがいかれるし、暇でも死にたくなる。どうしよう。周りの人間の皆さんはどうやって生きてるんですか?私がサラリーマン向いてないとかそんな感じ?
よく「そんなに頑張らなくていいんだよ」って言ってもらうけど、「そんなに」がまだいまいちわかってない。どこからが「そんなに」になるんだろう。私は上司が私にどういう社員であることを望んでいるのかの確認を怠らないので、自分の収入に対して自分がやるべきことが何か、どういう立ち位置を求められているのかは認識しながら、「こういうことをしてほしいということでこの給料なのね」と理解して会社員をやってるつもりではいる。だから私がお金に対していう文句は「税金引かれすぎ」「社会保険料やばい」であって「給料少ない」ではないのね。私にどうのこうのしてほしいと言ってきながらクソしょぼい昇給額だったときは「それは合わなさすぎ、私の無条件ガムシャラ働きに甘えすぎ」って文句を垂れたけど。とはいえ同年代の中で考えるとお給料は少なくない。多くもないけど、もらっている方ではあると思う。ただそれは私がその額をもらうに値すると会社が判断してくれるように仕事をしている(させてもらってる)(できるように努力した)だけなんだよな。頑張らなかったシーズンがないし、良と判断できる要素を包含させた結果を抱えて「私はこういう仕事をやっています!」ってアピールしてきたし。アピールはうちの会社でやる人間があまりいないので上の立場からしたらウザいだろうなと思いながらやってる。私は口座に入ってくるお金を1円でも多くしたい。
今年のテーマは「ちゃんと過不足ない妥当な報酬になるように」で、それを意識しながら働いてる。激難しい。やれば評価されるのがわかってるからバカみたいに残業して成果さえ出せばそりゃ評価してもらえるだろうけど、コスパが悪いじゃん。残業代がたくさんついて口座に入るお金は増えるだろうけど、体力とか結果的な収支で考えるとあまり良くないよね。上半期は本当に「これでS取れなかったら私は一生S取れません!」と思うほど頑張ったんだけど、これは自分に「定時内に可能な限り終わらせる」「みなし残業を超えない+できる限りみなし残業代の価値を上げる」という制限を課していたからキツかっただけで、過去同様無限残業解放してたらそこまでキツくなかったと思う。私は始業からお昼まで無理に頭を動かしていて、お昼の時間は苦痛で、17時くらいまで「早く帰りたいな〜」と思っていて、定時2時間前の18時あたりから急にエンジンが掛かる人間なので、正直なところ夜が深まっていく方が頭も回るし21~23時の私は冴え渡ってる。でもそんな時間に働いていては会社にとっても自分の私生活にとっても良い影響はないので、今年は可能な限り封印してみた次第だったわけで、その結果めちゃめちゃキツかった。でも最短の時間で最高の成果を上げたのでサラリーマンとしては上出来だったと思う。これこそが雇われ仕事の最高パフォーマンスだ、とか言っちゃったりして。まあそんなのは私の自己満足でしかないんだけど。下半期は上半期よりも重たい仕事を同時進行で複数やらないといけなくて、期間も短くて、なんかもうそれを思うだけで頭痛くなるような気までしてくるけど、この集中力の続かなさでやれんのかなとか、残業そんなにやらずに成し遂げられるんだろうかとか、色々心配事が多い。「過不足ない妥当な報酬」を目指した時の歩幅が私の歩幅と合わなさすぎてすごくストレスだし。妥当さはその時々の自分の能力と成果と評価を周りの社員の成果や評価と照らし合わせて概算してるけど、私が快適に感じる歩幅で歩いて妥当にするにはもっと頑張って評価上げないといけないのが大変すぎる。
は〜〜〜〜ごちゃごちゃうるせえ。仕事の話終わり。
金沢楽しかった。また行きたい。次は蟹の時期。今年は行けないけど1-2月か来年の11-12月かな?今年は4月から急激に落語にハマったのもあって有休使いまくったからほぼ残ってないんだよね。ハマってとにかくいろんなことを知りたい時期だったから平日も時間休とったりしながらガンガン行ってて。だから時間休に関しては年間40H分の制限がもうギリギリで、この後あまり体調崩せないっていうプレッシャーが地味に発生した。でも楽しかったな〜、好きな落語家さんも何人かできたし。まだ富豪じゃないから積極的に聴きにいく落語家さんは制限しておかないといけないんだけど、結構難しいよね。好きな人の好きな人は大体自分も好きな人、みたいな思考がな人間な自分にホッとした。私、基本的にはなんでも「その人」にしか興味ないし交友関係とかもガン無視なの。あのちゃんの仲良い人のことを好きになるとかないし、興味ないし。あのちゃんにとってその人は価値のある人だろうけど、私には関係ないから。だから好きな人がユニットとか組んでたとしてもその人以外マジで興味ないんだけどさ、落語って大体どこまで行っても個人プレイなの超良くない?一緒に会をやっても高座に上がってる時ってほぼ落語家さんその人1人じゃん。誰かと一緒に落語するってほぼほぼないじゃん。特殊な噺をする人もいるけど。もうとにかくその落語家さんの個人プレイでさ、トークコーナーとかもほとんどないし。トークコーナーに関しても、私の好きな落語家さんについて知れる場だからあるのはあるで嬉しいけど、全然他の人との絡みなしでもマクラでその落語家さんについて知ることは可能だし。そんなこと言いながら、好きな落語家さんたちもれなくトークコーナーでの立ち回りが大体私の好きなスタイルなので「あ〜〜〜〜そういうところも好きです〜〜〜〜」と思いながらもちろんたのしんでるけど。でも基本的には落語はどこまでも「その人だけ」で済むのが本当にありがたい。人のおしゃべり聞いてるの好きだし。好きな人が考えてることとか思ったこととか喋ってるのを聞けるのが楽しすぎる。好きな人のことはたくさん知りたい。どんなこと考えるのか超気になる。私の好きな落語家さんたちもあのちゃんも、みなさんもれなく自分の思考を言葉にする人たちで、それが私はもうめちゃくちゃ嬉しいわけ。「なんでそれをそう考える?」みたいなことがない。自分とベクトルが合う。私が落語聴きながら「今のは歴史的なものとして許すべきかもしれないけどめっっっっっっっっっっちゃモヤっとするな、正気か?」と思うこと結構あって。井戸の茶碗の最後なんか「女が褒美?あァ?」とちょっとキレかかったんだけど、林家つる子さんがYoutubeの配信で井戸の茶碗のこの最後の女性の扱い方にちょっと言及された時があったの。私は首がもげるほど頷きながら聞いてたんだけど、まあベクトルが合うというのはこういう話。某氏が落語家に転身するって話が出た時の反応とその処理の仕方とか。この件は好きな落語家さん2人の対応が私的には最高で「だから好き〜〜〜〜〜〜」と思ったりした。あとはマクラ聞いててイヤにならないとか、好みのフレーズがあるとか、死ぬほどバカな登場人物たちをチャーミングに演れるとか。「だから好きなんだよなぁ」と思うところが好きな人たちにはたっくさんあってこちらがしあわせ。落語家さんになってくださってありがとうございますの気持ち。
あ、今日なんか落語関連の大手アカウント?企画アカウント?が落語ファンにアンケートとった「嫌いな演目」の結果を出してたんだけど、私が好きな演目が二つも入っててびっくりした。「つる」と「壺算」。まあ「つる」は私も誰が演るかによって好きか普通か分かれるんだけど、「壺算」は今のところ誰で聞いても面白い。もう聞き飽きたとかも「嫌い」の理由に入ってるのかな。私も「つる」が多分一番聞いてる演目な気がするな。「「つー」っと飛んできて「る」と止まる」の「る」がとても好き。
この前「鰻の幇間」という落語を聞いたときに「好きな落語五選に入るな〜」と思ったんだけど五選とか言いながら選んだことなくて。選んでみようかな。「鰻の幇間」と「夏泥」は入れたい。あとあれだ、あのおみねさんが殺されるさ。あの〜〜〜ほら、AppleMusicに柳家喬太郎さんの音源がある。灯籠、、、、牡丹灯籠!!「牡丹灯籠」この前抜き読みで頭から最後まで聞いたけど、やっぱりおみね殺しが一番好きかも。「佃祭」もよかったな。あと「茄子娘」だ〜〜〜〜〜〜〜〜。下ネタ超嫌いなのでお色気噺あまり得意じゃないけど「茄子娘」は上品。遠雷が聞こえて夕立が来るところがすごくいい。お寺の空気の温度がわかるよね。あ〜まって「黄金の大黒」も好きだし「粗忽の使者」も好きだ。あと「七段目」と「五貫裁き」!まってまって「粗忽長屋」も好き、バカすぎる。死んだかわからないって何事。「厩火事」!!!!!!ああ〜〜〜〜〜10個。絞れないので終わり!
そういえばこの前auでiPhoneの機種変したらアマプラのなんとかスティックを安く買えたから、ついにHDMIをモニターに繋ぐというダル工程を挟まずにネトフリアマプラその他諸々の動画サービスをちょっと大きい画面で見られるようになった。明日(日付超えてるから今日)まで休みだから映画でもみようかな。あんまり最近長尺見る体力ないけど。映画やドラマ・アニメを連続で見る体力も戻したいなぁ。どうしたらいいんだろうか。訓練するしかないのかな。
人生、何でもかんでも訓練だね。ヤんなっちゃう。