月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

厳しい話をします

あなたが見ると仮定して、私はこれを書きます。

 

大切な人と一緒にいる上で、「自分」というものはどうやって保っていくのだろう。ひとりでいる時間が長いとなかなかそこが掴みにくいのだけれど、「自分」のどこを変形させて、どこをそのまま残しておけばいいのだろう。

私はとても頑固だ。あなたも結構頑固。

我慢、というのは何だろう。誰とも一緒になりたくなかった頃の私は「愛があればどんなことも我慢できる」と思っていた。しかし、どうだろう、私は我慢しなきゃと思いすぎてこの数ヶ月で何度も心を折った。折れて結局、あなたにぶつけて喧嘩をした。あなたもたくさん我慢してることがあると思う。それでたくさん心を折ったかもしれない。

 

さっき、「譲れないところがある」といわれたとき、私は正直腹が立った。私の一番譲れないところは「前の人の面影を感じたくない」というところで、あなたの過去を恨まない代わりに、現在から前の人の存在をできるだけ感じないようにしたい。前の人への執着心は、それなりの苦しい過程を経て乗り越えたので今はもう何も思わない、何も感じない。ただ、あなたの家にまだ粗大ゴミや「前の人のものだよね」とアピールして気づかせたノート等が残ったままなのはとても複雑な気持ちになる。

「自分でも衝撃的なことがあって、一気に環境が変わって、そんなに一度に全てを手放せない」というあなたの言葉は、私の心に深く突き刺さっていて、今も忘れられないでいる。その言葉は、私の譲れない部分と相反していてとてつもない葛藤があったのだけれど、私はあなたがいつかそこを片付けてくれると信じて、今はもう言及するのをやめた。捨ててほしいと思う、けれど言わない。ずっと捨ててほしいと言い続けることもできるけれど、それをしてしまうとあなたがおかしくなると思ったから。時間の流れについていくのに精いっぱいなあなたは壊れてしまうと思ったから。あなたを苦しめたくないから、私はどうしても譲れないところをどうにかして譲った。それが私の考える「大事な人を思う」という姿勢だから。あなたを信じているから。これが大人になるということだと思ったから。

 

ここ数日の話をすると、あなたの言葉を借りれば、うつ病になりそうなのは私も同じだった。冷たい言い方に感じるかもしれないけれど、実際私はうつ病を実感として知っているし、そうかもしれないと自覚して逃避して楽になる方法も知っている。今までやってきたから。

私は心をボロボロにして呆然自失して、倒れ込めば楽になれることを知っている。もう動けないと泣き喚けば、それを見せられた相手が手を尽くしてくれることも知っている。でも、そんなことをしても何も得られないことも知っている。

私だって倒れたかった、あなたに倒れこんで甘やかされて楽をしたかった。でも今のあなたに倒れこんだら共倒れでどこにも進めない、何も変わらないことをわかっていたからそうしなかった。許されるのなら壊れた自分を演出したかった、私にも余裕はなかったのだから。でも、そこで自分のことばかり考えていてもふたりのために良くない、何もならないと思ったから、私は倒れないことにした。あなたがちゃんと立てるように支えようとした。

だから結論、自分だけがしんどいんだ、辛いんだ、俺はこんなにお前のことを考えて苦しんでいるのに、どうしてお前はそんなに元気なんだ、普通なんだ、俺を見ないんだ、とは思わないでほしい。私はあなたをちゃんと見てる、見た上で、あなたをここまで甘やかしたのは自分だと感じたから甘やかすのを今回ばかりはやめた。だから厳しい言葉も吐いた。

私を通して、私に愛されてる自分を見るのはやめて、と言ったのは、あなたの望みを叶えてあげることが愛につながるわけじゃないと思っているから。あなたの望みを叶えないからと言って愛していないということではない。

 

最初の頃あなたは自分が弱い人間だと言った、そして私はあなたを支える強い人間になると言った。私はそれだけの覚悟をした。あなたを愛しているから。私も弱い人間だけれど、あなたが少しでも強くなれればと思って、弱い人間なりに強くなろうとした。弱くていい、弱くていいけれどいつまでもそこから動かなくていいわけではない。「私が強くなるから大丈夫」という言葉と「愛されている実感」のふたつは、どうか履き違えないでほしい。

 

「俺はこんなに頑張っている」と思うのなら、私の頑張りもちゃんと見つめてほしい。私だってあなたを思って、これだけ覚悟を持ってやっているのだから。束縛で人はつなぎとめられない。今のあなたがやっているのは、弱い自分を私に見せて構わせることで束縛しているだけ。人は、安心できて楽しいところに残る。私は離れるつもりは一切ないけれど、私を弱い自分でつなぎとめるのは確実に間違いだと思う。私はあなたと2人で隣に立って手を取り合って前を見て歩んでいきたい。

 

「大人になって。私も大人になるから」という言葉の真意は、こういうことだよ。