月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

好きなのに 好きだから

昨日、そこそこ苦しい喧嘩をした。とはいってもほぼ私が一方的に不満をぶつけただけだったけれど。はじめて、「好きなのにつらい」とおもった。今までの喧嘩ではそこまでおもったことはなかったのだけれど、昨日はじめてそう感じた。

「好きなのにつらい」とは、ずいぶん傲慢な、愛にあぐらをかいた言葉ではないだろうか。好きだからこそ、いちばん感情が動く相手であるわけで、それはポジティブな感情にもネガティブな感情にも言えることなのだとおもう。私にとっては、彼がいちばん、心を動かす要因なのだ。「好きなのにつらい」ではなくて、「好きだからこそつらい」のだ。

そこで本当につらいかというと、本当につらい。私が一方的にぶつけただけなのに、それまでのことを含めてつらかった。では離れたほうがいいのかというと、少なくとも私にとっては全くもって違う。離れられないし離れたくない。昨日は家に帰ってからずっと泣いていて、(泣いたところでどうにかなる話でもないけれど)あのときは「一緒にいたくない」と言われることが怖くて、涙が止まらなかった。いや、めちゃくちゃに言われた彼からしてみたら意味のわからない話だろうけれど、昨日の私は、今まででいちばん、自分にとって彼がどこまでも必要な人であることを認識した。今までももちろん必要だとおもっていたし、いなくなられたら困るとおもっていたけれど、昨日は「この人にいらないと思われたくない、捨てられたくない」と怖くてしかたがなかった。それならもっと言動を考えろという話だけれど。彼に大人になってほしいと言っているのに、私はどこまでも子どもで、23歳の赤ちゃんだ。

彼は、怒ったときの冷たい私が怖いと言う。確かに今までも怒ると冷たくなった怖いと言われることはあったのだけれど、本当にそれほど怖いのかと疑っていた。結論、こわい。大事な人の冷たい声は怖い。昨日の彼の声はとても怖かった。心の底が冷えるような、心臓をさらっと一瞬触れて離れていくような冷たさだった。「ああ、こういうことか...」とおもった。あの怖い思いはできるだけしたくないし、彼にもできるだけさせたくない。

「好き」がわからなかった私が、今では自然と「好きだからもっと一緒にいたい」「好きだからかわいい自分でいたい」「好きだから嫌われたくない」「好きだから苦しい」「好きだから嫉妬する」「好きだからつらい」を感じられるようになっている。今まで知らなかった感情の波を、全裸で受けて、時に流され、時に踏ん張り、時に泣かされ、時に笑顔にさせられている。喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも、苦しみも、慈しみも、悲しみも、23年で感じてきた以上の大きさで私の身に沁みていく。恋愛感情を母親のお腹に置いてきたはずの私が。

彼と付き合ってからずっと、彼が寝るところを感じられる時間がすごく好きで、ものすごく愛おしい気持ちになる。喧嘩をして仲直りができずに眠る夜は、その時間がとても苦しい。愛おしいからこそ、手離されたらどうしよう、と悲しくなる。どうか、どうか明日は仲直りできますように。また彼が私の手を握ってくれますように。そうおもって彼の顔を見つめて眠る。最近は顔を見つめているのがバレてしまって、なかなか前ほどじっくり見つめられないのだけれど、その時間はきっといつまでも大事な、大好きな時間なのだとおもう。

 

まあ、全ては私が余計なことを言わなければいい話なのだけれど!

 

23年も生きてきて、それでもサボってきたことが多すぎるから感情の荒波を全裸で受ける羽目になっている大きな赤ちゃんは、果たしていつになったらお洋服を身に纏えるようになるのか、いつになったらどっしりと波を受け止められるようになるのか。

自分が同じ状況に立たないと理解できないお馬鹿さんは、果たしてこれからもっと賢く関係を築いていけるのか。

彼に嫌われないようにと無理をするうちにいつの間にかもう少し穏やかな自分を殺してしまっていたアホの子は、果たして自分らしさを取り戻せるのか。

とりあえず、そろそろ服を着たいです。