愛は花、君はその種子
"I say love it is a flower, and you its only seed"
いつかそんなことを本当におもうのかと、私には縁のないはなしではないかと、期待をしていなかった。でも、いつかそんなことをおもいたいと、私にも起こるはなしであってほしいと、実は願っていた。
"When the night has been too lonely, and the road has been to long"
(あまりに孤独で 言葉にならない夜 あまりに長く 先の見えない道のり)
去年の誕生日より少し前、私は23歳の誕生日を迎えないつもりでいた。よくあるメンヘラかまってちゃんの脆弱思考回路ではなく、それなりの計画を立てていたし、しっかり実行にうつすつもりで色々と準備もしていた。もし死ねなくても、誰も私の足取りを追えないところに行って生活をしてみようとおもっていた。いい加減ひとりで立ち続けることに疲れ果て、ある意味限界を感じていたから。23歳で死ねなかったとしても、後ろ髪を引くものがないところにいれば、30歳くらいまでには死んでしまえるのではないかともおもった。とにかくこの先を(数年だったとしても)過ごしていかねばならないのならば、「陰」と「死」を小脇に抱えて、最期を見つめて穏やかに、静かに立ち止まろうと決めたら、少し心が軽くなった。それがある意味、私が消化する日々の中での希望だった。
結論から言うと、死ぬことなんてできずに、使おうと思っていた睡眠薬も焼酎も開けることなく、私は今を過ごしている。
そして、もう、24歳になって1ヶ月が経とうとしている。
今思い返すと、あの時死んでしまわなくてよかったと思っているし、どこかに行ってしまわなくてよかったとも思っている。23歳の一年を過ごせてよかった。
大事な人ができた、それが、ここまで生きててよかったと思えた一番大きなこと。一番の転機。
私をひどく苦しめていた、親との間にそびえ立つ問題の山々が消えたわけではないし、好きな仕事で毎日が楽しいわけでもない。けれど、私はそれまで逃げ回っていた「生」と「陽」を正面に据えて、そこに向かって歩こうと、今は思えている。どうせ人は死んでしまうのなら、限られた「生」を楽しめばいい。「陰」を纏っていればおそらく「陰」を引き寄せる、かと言っておそらく「死」は望み通りに起こらない、ならば「生」を楽しむのが一番”楽”。きっとそう。少し投げやりな部分も、諦め的な部分もあるかもしれないけれど、今は地に足をつけてその歩みを進められているようにおもえる。
なにより、大事な人と手を取り歩く未来をみた。ずっと寄り添ってくれるといってくれる彼の言葉を信じることができた。こんなに大切で大好きな人とのこの先が楽しくないはずがない。それは、喧嘩や揉め事がないということではなくて、そういうことをのりこえなきゃいけない局面がきても、きっとこの人となら私は絶望することなく進んでいける。24歳を彼に祝われたとき、「ここまで生きてて本当によかった」と心の底から感じた。
"Just remember in the winter, far beneath the bitter snows. Lies the seed that with the sun’s love in the spring becomes the rose"
(少し思い出してほしい 冬の日を 厳しく積もる雪の下 奥深く そこで眠る種は 太陽の愛と共に 春の花は 薔薇の花となる)
「これまで頑張って生きててくれてありがとう」
未来をみることができなかった種は、太陽のその言葉で、春をむかえて花を咲かせることができたのだった。
花は、太陽のことがだいすきです
(Bette Midler - The Rose)