月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

身バレ必至の大学時代の話

映画の勉強をする大学で、録音部に入って音の勉強と映画の音の人になるためのいろんな訓練を受けていた。

私はマイクが重たすぎ+筋肉なさすぎ+体幹なさすぎ+すぐ疲れてしまうというポンコツ要素が揃っていてマイクは持てないので、座って音を聴く責任者をほぼずっと担当していた。録音技師という。

 

録音技師は、カメラマンの女房役だ。カメラマンは監督の女房役。
カメラマンのパートナーだからと言って、監督のパートナーかと言われると、私はあまりその感覚は持てなかった。突き放しているわけではないけれど、カメラマンと監督の間の強い信頼感には勝てないというか。入り込む余地がないというか。
もちろん音が関わってくる相談だったり、監督が作品をどうしたいと思っているかの相談にはちゃんと乗る。こちらから相談することやアイディアを出すこともある。

でも、やっぱりカメラマンと私の間にあるような熱量で監督と向き合えていたかな、と考えると足りなかったなぁと思う。

 

私のいた大学は、1年に2回ほど授業で映画をとる。4年生は卒業制作の1回。30分の映画を作るのに4ヶ月程度を使うので、あまり多くは撮れない。だから正式に部署が分かれてからは5回しか作ってない。あとは学生同士の自主映画。私はあんまり一緒にやりたいと思う監督がいなかったので、撮影はやってない。脚本のお手伝いと整音はしたけど、撮影現場は行ってない。

なぜか。答えは簡単。そのカメラマンと信頼関係を結べる気がしなかったから(頑固かよ)

 

や、正直選り好みするべきではないし、どんな相手ともやれた方がいいに決まっている。普段の仕事だってそうだと思う。みんなそうしていると思う。でも、撮影現場でたまにある「降りる」というアレは、まあこういうことだったりする。監督を信じられない、自分の上司を信じられない、作品への面白さを信じられない。。。
契約書を交わすとそういうことは圧倒的に減るだろうけれど、そもそも学生が有志を募ってやっているものなんて、急にスタッフが一人二人来ないとか頻繁にあるし、スタッフが集まりやすい監督、集まりにくい監督なんてのが授業よりわかりやすい形で表に出てきてしまったりする。

で、類にもれず私も信頼している男の子以外の女房役になりたいと思えず、その結果撮影現場で録音技師を担当することはなかった、というわけだ。

 

なぜ信頼している一人の男の子以外と組みたくなかったかというと、これは完全に私が悪いのだけれど、どうしてもカメラマンには脳内を犯されてる気分になってしまうからだった。
なんせ、私たち二人は学生監督を支える柱の一本で、しかも他のスタッフ達よりも全ての場面で圧倒的に決定権があり、私たちの働きかけ次第で監督の決めることが変わってしまったりするのだ。他のスタッフたちも普段は友達なのに、急に突き放したりする。私の同級生達はしんどいことがあるとみんな逃げたい子達だったので、カメラマンと二人して踏ん張ってみんなを留めたり、監督とカメラマンと三人で作品にとっての正義をぶつけ合ったりしなきゃいけなかった。それでもみんな、何かあると「お前に任せる」「俺は良くないと思うけどお前がいいと思ったらいいんじゃね?」とかって言って、一線を引く。「俺らにそれを決める権利はないから」って。ひどくね(笑)
そんなの、とんでもなく孤独な気持ちに襲われるに決まってるじゃないか。

私が唯一受け入れられたカメラマンの彼も、似たような感じだった。普段はとても人気者で慕われていて、楽しそうにしているのに、いざ映画が動き出すと一気に孤独になる。私は彼の苦しい顔をたくさん見ていた。多分彼は監督の苦しい顔をたくさん見ていた。私の苦しい顔を誰がたくさん見ていたのかは知らない。いたのかすら知らない。

 

学生だからなのかなんなのか、一緒に作品をよくしたいと思う気持ちはみんな持っているはずなのに、どうしても孤独だった。孤独だと、孤独同士集まった。初めてその孤独を知ったのが、2年生の最初の実習の時。監督の男の子も死ぬほど孤独だったと思う。私たち二人もかなり監督に対して怒りを覚えることがあって、その瞬間に監督を一人にさせてしまった。役職的にトップに立っていない人間は、上の立場の人間の動向をよく見ているのだな、とその時とてもよく理解した。カメラマンと私が監督に対して一線を引いた時、他のスタッフも監督と一線を引いてしまった。本来私たち以外に監督に寄り添うポジションであるはずの助監督も一線を引いてしまった。

そんなことをしていて、作品がよくなるはずがないのである。これはもう明確にわかりきっていることで、その日の撮影は本当にダメダメだった。でも、私とカメラマンである彼は息が合っていたのか、その日二人で初めて飲みに行き、「なんで監督のことを見放してしまったのか」「そもそも作品をどう解釈してるか」「我々がお互いに何を求めているか」というのを朝までずっと話した。二人ともあまりお酒が飲めないので、終始素面のまま朝まで話した。(次の日も余裕で撮影)
まあその話し合いのおかげもあってか次の撮影から流れが出てきて、なんとか納得に近い形で全ての撮影を終えることができた。

 

多分、カメラマンの彼と私にとってこの時の出来事がかなり大きな成功体験として記憶されており、『誰となら監督を一緒に支えられるか』『自分の撮る画を誰の音で彩ってほしいか』『誰の画をよくする音を作りたいか』というのをその先何度も考えなきゃいけない時に絶対にお互いの顔が浮かぶようになってしまった。

「俺はここをこうしたい、お前は?」「録音優先だとこうするけど、画を優先するとこうじゃん?監督の意見聞く前にここですり合わせしとこう」「お前は多分そうだろうなぁ、俺もなぁそうなんだよなぁ、でも監督はそうじゃないんだよな」「頑固だしね、監督」「な。まあ俺が説得してみても無理だったらお前が後から助けに来てな(笑)」「いいよ(笑)」みたいなことを話せるくらいまでお互いの感覚を分かり合えていたので、そりゃそうだよねという感じ。

 

あと、確実にビジネスパートナーなのもよかった。大学生で色々ギラギラしているお年頃なので、「あれだけ一緒にいて、思考を共有していて『相手のことがよくわかる』と思ったり好きになったりしないのか」と何度もなんども聞かれたが、マジでない。その場に二人ともいた時はお互いに「マジでない」と言ったりもした。マジでない。本当にない。というか、そりゃそうなのだ。「この作品についてどう思うか」みたいな話はするのだけれど、カメラマンが普段の男子大学生の時は普通に何を考えてるかなんて気にならないし、それは向こうも多分一緒で、『監督を支える』『作品をよくする』というミッションが課されている時のみタッグを組む相手、という感覚だった。普段からタッグを組みたいなんて思ったこともない。
あとは、単純にその男の子の好きな女の子のタイプがおっぱいの大きい小柄な女の子だから+私は私で恋愛感情を抱かないから、というところで恋愛感情が湧いて起こるわけがなかった、というのもある。マジでない。

 

卒業制作のひとつ前の実習のとき、初めて彼とグループが分かれた。これは先生たちが勝手に決めたので自分たちではどうしようもなかったのだけれど、初めて分かれて、分かれたとお互い知った瞬間私は録音技師をしないと選択した。嫌だもの。彼以外に脳内を犯されるのは無理だもの。あと、ここで録音技師をやってしまうと卒業制作のときに録音技師はしない、という暗黙の了解もあった。

そんなことを知ってか知らずか、その日の授業終わりに彼がふらっと録音部のゼミ室にやってきて「お前今回技師じゃないよな?」と聞いてきた。「そっちは?」と返すと、「俺は卒業制作でカメラマンやるから譲った。だから卒業制作の時はお前が技師な」と彼は言った。ちょっと嬉しかったので、「でも卒業制作は3本か4本作品あるのに、選ぶもの被るかな?しかも下手したら争奪戦だよ?」と返したところ、「いやー、正直お前と選ぶ作品が被らない気がしない。ここまで全部示し合わせもせずに一緒のもの選んでんだから、余裕でしょ。だから技師な、絶対な」とまたもや嬉しいことを言ってくれた。

正直、女房役としてけっこう認めてくれてるんだなぁと実感できて、かなり嬉しかった。「どうせなら今回も同じで全部の実習お前とやりたかったな」って言われたのも嬉しかったけど、さすがに気恥ずかしかったので「私はたまには別々でもいいかって思った」なんて返した。

 

その半年後、卒業制作の準備が始まった。前の実習の時の約束通り、私は彼と同じ作品を示し合わせもせずに選び、録音技師を担当することが無事きまった。この前とは逆に、私が撮影部のゼミ室に行って彼がどうなったかを探ることにした。

 

「お前ちゃんと技師になれた?」
「......なったよ」
「何その間。なれなかった?録音部そんな技師やりたいやついる?」
「いや、ミキサーにはなったよ」
「え、じゃあやりたい作品から外された?」
「いや、、、」
「なら最初に選んだ作品違った?俺これなんだけど...いやいやいや、今回はこれ一択だろ、これ以外になくね?」
「...これ以外にないよねぇ」
「いやいや、まてまてまて、いやお前案外もう一つの方に行くって言いかねないなとも思ったけど、最終的にはこれだろうと思ってたわ、ちがうの?」
「ちがくない、それやる笑」
「は?これ?おなじ?」
「うん、同じ笑」
「おいー!焦ったわ!」
「はは!おもろ!笑」
「だるいわー」
「焦ってやんの〜。これ以外やるわけないじゃん、そっちこそカメラマンなれたの?」
「当たり前よ、何のためにここまで授業態度よくしてたと思ってんだよ」
「いやそれは知らん興味ない」
「は?冷たいかよ。まあでもとりあえず、これで一旦俺らは何とかなるな」
「何とかなるかなぁ、脚本けっこう難しいよ?アップばっかりにしたくなるようなことばっかり書いてあるよ」
「これアップばっかだったら俺らが死ぬし編集部にキレられるわ」
「繋げない画になるよね。たぶん現場は喧嘩起こるだろうなぁ」
「俺が何言っても見捨てんなよ」
「こっちのセリフ。あと現場終わった後も見捨てないでね、いつもポスプロ(編集期間)で興味なくすじゃん」
「それは保証できん」
「じゃあ私も見捨てるかも」
「嘘じゃん」
「ははっ。とりあえず編集部とは仲良くしとこ」
「それな。あとお前演出の教授と喧嘩すんなよ」
「たぶんするわ、嫌いだもん。絶対口出ししてくるじゃん。あんたもカメラ取られないようにしなよ」
「取られそう」
「取られたカットが使われたら私音つけたくない」
「作品のためにも死守する」
「ぜひそうして。編集部にも言っとこ、そんなのうちらの作品じゃないから教授が回したカット使わないでって」
「それだな」
「いやーそれにしても」
「卒業制作まで一緒にできてよかったわ」
「ね」

 

青春か?????

 

青春だった。この年の夏が一番楽しかったかもしれない。いろんな人とたくさん喧嘩してたくさん泣いてたくさん話し合ってたくさん怒ってたくさん笑って。ロケハンと称して知らない街を彼の運転で走り回ったり、別のロケハン帰りに車両担当の先生にコンビニのアイスを奢らせたりして。セミが鳴く前に音録りが必要だから、って彼に運転させて色んなところに録音しに行ったりもした。

やっぱり彼は撮影が終わると若干作品自体から興味を失って、「薄情だなやっぱり!」と責めることになった。私はいかなるときも見捨てなかったのに。

 

あの彼との日々は、私の中で「性別を意識しなかった人との楽しかった日々」として一番濃く記憶に残っている。正直どちらかが性別を意識したり、好意を抱いたりしてしまうとあそこまで上手くいかなかったと思う。

これは私の唯一の成功体験だ。だからこそ、また他の人とも性別の壁を超えられるんじゃないかと感じてしまう。

私が「男女でも友情が成立する」と思っている根拠はこれだ。彼と私は、友情というよりビジネスパートナーだったけれど。

 

それでもやっぱり、男女の友情は成立すると思いたい。思わせてほしい。

 

 

 

 

 

 

ちなみに演出の先生とは死ぬほど喧嘩した。