月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

指揮者と伴奏者、君と私、ふたりだけの世界

(自分語りでえげつない文字数書くので読んだ後に具合悪くなっても自己責任でお願いします)

 

まだ恋愛感情があるとかないとか考えたことのなかった昔の話。

 

ずっと近くで一番の味方をしていたいけど、そんなこといつまでもはできないんだろうな、と思っていた相手がいた。
彼と私は、友達だった。一番仲のいい異性の友達。たぶん彼もそう思ってくれていたと思う。彼は目立ちたがり屋で、身体が大きくて、声も大きくて、ちょっと反抗的なところがあって。でも正義感が強くて、お父さんを尊敬していて、お母さんを大事にしていて、よく笑ってよく泣いて、友達思いの優しい人だった。

 

私たちはずっと、運命に守られてきた。

第一の運命、同じ日に、同じクラスに転入したこと。
私が田舎の2クラスしかない小さな小学校に転入した日、同じ学年の転入生は私含めて男の子2人、女の子2人の4人で、いずれかの男女ペアでどちらかのクラスに入るであろうことは明らかだった。
その小学校は、転入生がどのクラスに入るかは始業式で発表する形式をとっていて、体育館に入ると、クラスメイトになるであろう子達がこちらを見て、「あの子可愛いね」「あの子真面目そう」「あの子でかい」「というか男の子ふたりとも大きい」「男の子ふたり入ってこないかな」などと話しているのが聞こえた。小学1年生から6年生までの児童がずらっと並んだ体育館の壇上に立たされ、私は「4年2組に転入する、〇〇くんとつきのさんです」と紹介され、ぺこりとお辞儀をして元いた何年何組でもない列に戻った。
緊張ばかりでほとんど何も覚えていないけれど、教室まで先生に連れられている道中で、彼が「お前と一緒かー!よろしく!」と声をかけてきたことだけは覚えている。「どうして初対面からそうそう時間が経ってない奴に『お前』なんて言えるんだこの人は」とイラっとしたので、それだけは覚えている。第一印象は最悪だった。おまけに4年2組での自己紹介が終わったあと、彼がなぜか先生に向かって中指を立てたことで、新学期早々道徳の時間が始まってしまい、第二印象も最悪であった。普通に最悪。頭おかしいんじゃないかと思った。

 

第二の運命、親同士が意気投合して友達になったこと。
転校生4人の親の中で、とりわけ仲良くなったのが、私の母と彼のお母さんだった。彼のお母さんも私のことをとても可愛がってくれて、私の母も彼のことをもう一人の息子のように接していた。彼は下に弟が2人いて、娘が欲しかった彼のお母さんにとって私は可愛がるのにちょうど良い存在だったらしい。
彼のお母さんと私の母が距離を置くまでの数年間、私と彼は双子みたいに感じる瞬間が幾度となくあった。ある日、「この俺らのお母さんが夫婦で、二人から生まれて、小さい時から一緒に大きくなってきたような気持ちになる時がある」と彼がこっそり教えてくれた時、「ああ、世界には私と全く同じことを考える人が存在するんだ」ということを知った。彼が私の世界に入り込んできた瞬間だった。

 

第三の運命、というか、もう双子だと感じてしまっていた私たちは、何をするにしても選ぶものが全て同じだった。
小学4年生から中学3年生までの6年間、彼とクラスが離れたのは中学2年生の時だけで、この年が一番つまらない年だった。修学旅行もあったというのに、大したことを覚えていない。何の色も塗られない一年だったように思う。
その年以外、例えばクラスでチーム分けをする時や、自分のやりたいことを選ぶ時、私が選んだ場所には必ず彼がいた。私は、仲のいい子がいるからやりたくないことをするチームでもそこに入る、なんて空気を読める子ではなかったので、いつでも自分のやりたいことを選んでいた。彼がどうしていたかはわからない。小学4年生・6年生・中学1年生は年中いじめられていたので、ひょっとしたら彼が私の選ぶものを見越して傍にいてくれたのかもしれない。いや、自意識過剰か。真相はわからないけれど、基本的にずっと一緒だった。

ちょっと彼とは関係ない話になってしまうが、私は幼い頃からピアノを習っていて、小学4年生からは昔通っていた市内の小学校で練習をする合唱団に入った。
我が家は県内を転々とする転勤族で、幼稚園から小学1年生まで市内、小学2・3年生は離島、小学4年生からは今の田舎、というように小学校3校に通った。だんだん学校までの距離が遠くなるのが辛かったのは、それはそれで良い思い出である。
いじめられまくっていた頃はこの合唱団の練習に行くことだけが日々の救いで、いつまでもこの中で必要とされたくて、自分の価値を周りの大人たちに認めてもらいたいと思って始めたことが、合唱の伴奏だった。みんなで歌うことも好きだったが、どうしてか私は歌詞を覚えることが苦手で、ずっと楽譜を見ていられる伴奏者がずっと羨ましかった。その合唱団の中でピアノを弾ける子はたくさんいたが、先生たちが子供の性格を見たのか、あまり歌では前に出たがらなかった私がとある曲で伴奏をさせてもらえることになった。

その曲が「この星に生まれて」

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たったこの1曲で、私は「自分のピアノで人に歌ってもらえることの楽しさ」に目覚め、受験を理由に合唱団を辞める中2の冬まで、あまり歌うことはせず伴奏者として合唱を楽しんでいた。というのも、合唱団の先生は声楽家だったりプロの楽器奏者だったりで、伴奏の重要さを何よりも知っている人たちが徹底的に「伴奏とは何か」を私に叩き込んでくれたのだ。
伴奏者は目立たない。というか目立ってはいけない。主役は歌、楽器、そのほか「伴奏ではない人たち」だから。でもそんな伴奏者にも自己主張していいところがある。それが、前奏・間奏・後奏。ここでどれだけ曲全体を聴かせる演出ができるかで、その「伴奏者」の力量が決まる。その難易度の高さが、私にはとても楽しかった。私の弾く伴奏でみんなが楽しそうに歌ったり演奏したりするのが、とても嬉しかった。

 

そんな風に「伴奏者」であることに誇りを持っていた私のことを、母親伝てで彼は知っていてくれたらしい。
小学校はどんな時でもピアノ伴奏は音楽の先生の担当だったので、私が人前で弾く機会はほとんどない。けれど、小学校を卒業した後の、先生たちの辞任式の日。この日は音楽の先生が転勤するということで、主役にピアノを弾かせるのは如何なものか、と先生たちの中で話があり、小学生最後の日に私は、これまで学校の友達には見せたことのなかった「伴奏者の私」になった。
実は私が伴奏を務めるというのはもう卒業式が終わった後に決まったので、彼にとってもこれはサプライズだったのだけれど、「次につきのが学校で伴奏を弾くときの指揮者は俺がする、悔しい」と言って彼は泣いた。泣くことか?と思ったが、彼のことが大事だった私はその独占欲がとてもおいしかったので、「じゃあ中学校の合唱コンクールは絶対に私の指揮者をやってね」と約束を取り付けたのだった。(泣かれてうれしいことがあるんだなぁ、とゾクゾクした記憶がある)

 

私たちが通った中学校はこれまた小規模で2クラス。好きな人とも「同じクラス」か「隣のクラス」かしかない、恵まれた環境だ。そして、これは他の中学校でも同じかもしれないが、年に1回合唱コンクールがあり、それぞれ自由曲と課題曲の2曲を歌うことになっていた。指揮者と伴奏者は同じ人が担当することがないよう、絶対に4人出さねばならない。とはいえ、学校のクラス決めというのはリーダーシップが取れる子、前に出られる子、出たくない子、勉強ができる子、できない子、ピアノが弾ける子をちゃんと考えて配分するので、毎年絶対にすんなり4人が決まるようにできていた。

中学1年生の時、私と彼はそれぞれ伴奏者と指揮者になり、同じ曲を担当することになった。特に示し合わせたわけでもないのに一緒になったので、どうしてかと聞いたところ、「約束したし」としか教えてもらえず、全然素直にならない彼にあの日泣いてたのは誰だよ!と言ってやろうかとも思ったけれど、これから先も彼には私の指揮者でいてほしかったので、くっと堪えた。えらい。あと「絶対に俺とお前で最優秀指揮者賞と最優秀伴奏者賞をとる」と言ってくれたので、うれしくなって完全に許した。
実際に練習を始めてみると、自分が伴奏者を務める曲の指揮者が大事に思っている人というのは、なんとも興奮する状況だった。指揮者はみんなの指揮者だけれど、みんなが歌わない前奏や間奏、後奏の間は「私だけの指揮者」になる。もちろん歌っていない間だって曲は続いているし、間奏なんかは休み時間ではないのでこれは結構怒られそうな考え方かもしれないけれど、それでもみんなのことばかり見ていた彼が絶対に私の方を見てくれる時間が、そこなのだ。うれしくないわけがない。しかもこういうお祭りごとが大好きだった彼は、指揮者も立派に務めあげたいと思っていたようで、曲が決まってからは毎日昼休みに二人で自主練をしたり、お互いの解釈や意思のすり合わせをしようと提案したりしてきた。真面目か。
そんな風にして、結果的に彼とかなりの時間をふたりきりで過ごせる状況に身を置いていたおかげで、変な性癖に目覚めてしまった。

 

「アイコンタクトやばい。ふたりだけの合図、ふたりだけの世界。やばい(語彙消失)」

 

さすが思春期。ただでさえこじらせやすい性格なのに、私が完全にハマる価値観をこの時、指揮者と伴奏者の間に見出してしまったのだ。文字にするとキモさが増すな。

結局私は最優秀伴奏者賞を獲れたが、最優秀指揮者賞は3年生の先輩だった。また彼は泣いた。「絶対に俺とお前のコンビの方がよかったのに。息が合っていたのは俺らだった」と言って、ぐわーーーっと泣いた。子熊が泣いてるのかと思ったけど、かわいかったので黙っておくことにした。

「まだあと2回チャンスあるし、次は獲れるよ」
「お前来年も絶対同じクラスだとは限らないじゃん」
「違っても、3年生があるじゃん。でも私あんたの指揮じゃないと嫌だけどね」
「俺もお前の伴奏じゃないと嫌だ」
「てか、あんたが別の人の指揮してるのを見たくない」
「あー……もし来年一緒のクラスにならなかったら、つきのは伴奏しないで」
「それは嫌だ」
「そこはうんっていうとこやんけアホ」
「どうせあんたも違うクラスでも指揮者やってると思う」
「してるかも、うん、多分俺指揮者やるな」
「そこはしないって言えよバカ」

この会話がフィクションじゃないのが青春の凄さだし、この会話を未だに覚えてるのが青春の痛さだ。

 

この会話がフラグだったようで、中学2年は前述した通りクラスが別れ、会話の通り私は違う男の子の指揮で伴奏を弾き、彼は違う女の子の伴奏を指揮した。私は「絶対にあの女の子にだけは最優秀伴奏者賞をとらせない」という気持ちを胸に、前年よりもたくさん練習をしたのだった。青い。
ところが最悪なことに、この学校では2年生でよかった方のクラスが中学生合唱コンクールの県大会に出場することになっており、いろんな学校の人の前で、彼は【知らん女の弾く曲で歌う】隣のクラスの合唱を指揮することになった。知らん女は知ってる女の子だが、知らん女とでも思ってないと悔しくて泣いてしまいそうだったので、知らん女知らん女…と思い続けた。この悔しさは未だに覚えてる。何しろその時の曲があの、「この星に生まれて」だったのだ。フィクションの世界だったら、私と彼は同じクラスで、一緒にどこぞの舞台上で指揮者と伴奏者をやってたはずなのに、さすがはノンフィクション、そううまくはいかない。その曲で彼が知らん女の指揮をすることが、何よりも嫌で、結局家でひとり、大泣きした。
翌日に「見て!コンクールの冊子!俺の名前ここ載ってる!普通に負けたけど!」と言いながら冊子を持ってきた彼の前では絶対に泣きたくなかったので、彼の名前に並ぶその知らん女の名前だけは絶対に視界に入れないようにした。先生を恨んだ気もする。我ながら、一生懸命で痛くてかわいい。

「はいはいあんたはさぞかしかわいい〇〇ちゃんと見つめ合えて楽しかったでしょうね」
「は?そんなことないけど、なんで怒ってんの」
「うっさいバカ。あんたはどうせ来年も〇〇ちゃんの伴奏で指揮者がやりたいんでしょ、同じクラスになれるといいですね」
「はぁ?思ってないしなんでそんな話になんの」
「いいよいいよ、そしたら私も誰かの指揮でその人と最優秀賞とってやる」
「それ言うのは無しじゃん」
「知らんし」
「あっそ、俺も知らん」

こんなことで出会って初めての喧嘩をし、それから1週間お互いに完全無視を決め込んでいたが、帰り道で一緒になった時にもう耐えられなくて、どちらからともなくごめんなさいをした。「初めて喧嘩したね」とか言いながら途中まで帰って、「やっぱり来年は絶対一緒に最優秀賞取ろうな」と約束して別れた。あー私何書いてるんだろ、はず。覚えてんのもはずい。

 

翌年、中学3年生。私たちは同じクラスになった。さすがは運命の神様が味方についているふたり。でも、運命の神様は楽しいことが好きなようで、件の知らん女も同じクラスだったし、なんなら彼女は彼のことを好きになっていた。やっぱりあの合唱コンクールのせいだ。彼女はドチャクソにかわいいし、すらっとしていて背も高い。チビでボチャっとしている私と並ぶと、100人中100人が彼女を選ぶ。なんなら学校で一番かわいい子だった。知らん女のくせに。いや知ってるけど。
おまけに彼が「〇〇さんも同じクラスか〜。こりゃどっちの指揮するか迷うな〜」などと私の神経を逆撫でするようなことまで言ってきて、完全に機嫌を損ねた私は再び喧嘩をした。この時は3日くらいで仲直りしたが、学校で一番ピアノが弾けるのは私だったので、この学年で指揮者になる他3人にも惜しみなく協力してやろうと心に誓い、実際に課題曲と両クラスの自由曲が決まると3曲の伴奏すべてを練習した。あんたの前でいろんな人の伴奏者になってやるからな、という復讐心で。

それから半年間、私はかわいすぎる知らん女の彼への熱い想いをビシビシと浴びながら学校生活を送り、毎晩「絶対に彼の指揮で伴奏できますように」と信じてもいない神様にお祈りをした。「叶えてくれなかったら神様を殺します」とも念じた。

そうしてやってきた合唱コンクールの曲と担当決めの日。予想通り、彼と別の男の子が指揮者に、かわいすぎる子と私が伴奏者に決まった。さてどちらがどの曲を担当しようかとなった時、なんと調子に乗った彼が「指揮者同士、伴奏者同士で話し合って、どっちの曲になったかせーので言おう」と言ってきた。バカかよと思ったが、彼が「まあ大丈夫だって」みたいなアイコンタクトを取ってきたので、バカだなと思いつつも従った。いやマジでバカだろ。
お互いの声が聞こえないようにと、教室の前と後ろにそれぞれ離れて話をした。「つきのちゃんはどっちがやりたいの?」とかわいい子が先に聞いてきて、ああこの子はそのよく聞こえる耳で彼が発する曲名を今必死で拾おうとしているのね、とそのいじらしさに敵ながら悶絶。一方私はこんな時でも自分が弾きたい曲しか選べない頑固者だったので、もう彼の選択は運命に任せて「私は自由曲がやりたいな」と彼女に伝えた。その時、私の耳では指揮者組がどういう話をしていたかは一切聞こえなかったのだが、彼女も同じだったのか、彼女はそこそこ大きな声で「私は課題曲やりたいと思ってたの!よかった!」と言った。恋する乙女はなりふり構ってられんってか!とちょっと彼女をバカにしながらも、私の胸はドキドキしていて苦しかった。

今のは絶対に聞こえた、向こうに絶対聞こえた。
彼女が課題曲で私が自由曲になったことは今ので完全にバレた。
まだ向こうが決まってない限り彼らがどちらを選んだかというのが目に見えて明らかになる。
たとえ曲だけで選んだとしても、絶対にみんな「この子」を選んだと思うはずだ。

 

「俺らも決まったわ、じゃあせーので自由曲か課題曲か言って。せーの!!!」
「「自由曲!!」」「「課題曲!!」」
「え?だれ?どっち?わからん!」
「私自由曲」
「私が課題曲」
「俺も課題曲」
「あ、俺またつきのと一緒じゃん、俺自由曲」

 

ああ、お祈りって効果あるのかもしれないな、とかわいい子の悲しそうな顔を見てぼんやり思った。

2年ぶりに組んだ彼の指揮で弾く伴奏は楽しくて幸せで、私はその年も最優秀伴奏者賞をもらった。最優秀指揮者賞は彼ではなく隣のクラスの男の子で、壇上から降りる時にちらっと見た彼はとても悔しそうな顔をしていて、私も悲しくなった。
「私たちが一番息合ってたのにね。私はあんたの指揮好きなんだけどな」とがんばって伝えたら、彼はまた泣いた。こっちまで泣きそうだったので「いっつも泣いてるね〜」とからかったら、「だってどう考えたって悔しいだろ!最後だったのに」と言ってさらに泣いたので、結局私も泣いてしまった。
今となっては泣くほどのことか?と思うけれど、あの頃の私たちはそれだけこの「指揮者と伴奏者のふたり」という関係がとても大事だったのだ。信じてもいない神様にすがってしまうほどに。青春やな。

 

ここで終わるかと思いきや、最後の最後に1回だけチャンスが巡ってきた。卒業式だ。
この中学校は卒業式で卒業生が2回、歌を歌うことになっていた。1回目は式典の最中、在校生が見送る歌を歌った後に返す「旅立ちの日に」。これは代々、その学年で生徒会だった人たちが伴奏と指揮を務めることになっていて、生徒会だった私は伴奏を弾けたが、彼は生徒会ではなかったので指揮はできなかった。
そして2回目は式典が終わってから。一旦退場した卒業生がなぜか再び体育館に戻り、親や母校や自分たちへ歌う「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」。

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これが、私と彼が組める最後の曲だった。
もちろん先輩たちの卒業式を2回見ている私たちがそれを知らないはずもなく、彼は合唱コンクールが終わってからずっと「卒業式は俺が指揮者をやる!!」と宣言し続けた。バカだな〜と思ったけど、必死で可愛くも感じた。
この2回目の曲の時は、雛壇に上がる卒業生たちで伴奏者はほぼ見えなくなるのを全員が知っていたので、わざわざ伴奏者を選ぶ生徒は私以外にはおらず、何の戦いもなくあっさり私が伴奏者に決まった。一方、指揮者は思わぬところから手が上がり決死のジャンケン大会が行われ、死闘の末、彼がその座に着いた。あのジャンケン大会は大盛り上がりで、私は戦地から大事な人が帰ってくるのを息を殺して待ち続けるような気持ちだった。今思い返してもドキドキする。
無事に最後に彼の指揮で伴奏ができることになったものの、この時期の私は受験に手一杯で、先に志望高校の合格が決まった彼に「一緒に練習するのは入試が終わってからで」とお願いしていた。彼は「入試サクッと終わらせてこいよ。早く練習したいじゃん」と言ってくれたが、入試は日程が決まってるんだから私の意思ではどうにもならん、とかわいくない返ししかできなかった気がする。

落ちた気しかしない入試を終え、死人のような顔で2人での練習を始めた日、彼は言った。

「これで一緒にやれるのは最後だけど、つきのはもうピアノ辞めてるから、この先俺以外の指揮で伴奏することもないな!よかったな、俺が最後の男で!!」

 

バカじゃないのと思った。
もう私は死んでもあんたに好きとか言えなくなったし、手を繋ぐこともできない。
バカじゃないの、4月からはどうやったって一緒にいられないことがつらいのに。
この街に越してきてからずっと一緒だったのに、ずーーーーっと一緒だったのに。
どの思い出にもあんたがいるのに、これから先の私の思い出にあんたが出てくることはもうほぼほぼ絶対にない。
あんたの道と私の道は交わりようがない。
バカじゃないの。
何が最後の男よ、あんたは私が最後の女じゃないかもしれないのに。
本当にバカじゃないの。

 

私は大爆笑しながら「バカ!!!!!」と言ってやった。

 

卒業式は無事に成功。私は卒業することや、もう伴奏を弾くことがないであろうことに感極まってボロ泣きしながら弾いていて、彼にこんな顔を見られたくはなかったのだけれど、後奏の終わり、最後だけはちゃんと彼とアイコンタクトを取って、彼の音を切る合図でペダルから足をそっと離した。
彼が手を下ろした後、私に向かって小さく、でも力強く親指を立ててきて、さらに泣かされて悔しかったので、私も口パクで「バカ!」と返しておいた。彼も泣いていた。

 

 

さて。指揮者と伴奏者の関係、良いと思いませんか。
この関係良くない?というのを言いたいだけだったのに、ここまでで8000字。バカは私。 

彼以外ともたくさん伴奏を弾いてきて思うのは、実際には好きな相手でなくても、指揮者と伴奏者や、伴奏者と(ソロの)楽器奏者の間ではアイコンタクトがたくさん取られるので、謎の空気感が生まれやすい。しかもそれがなかなかに心地よいのである。

アイコンタクトがない時でも、タイミングを合わせたり盛り上がりを合わせたりするのに使う合図のようなものは、たくさんある。これは指揮者ではなく楽器の奏者との話になるが、曲の入りが一緒の場合なんかは奏者の息の吸いに合わせてタイミングを取る。息を合わせるというのは思っているより難しく、伴奏者だけが相手を気にしていてもうまくいかないし、かといって奏者が伴奏を気にしすぎていてもうまくいかない。上手に、一緒に曲に乗らなければならないのだ。

伴奏は目立たないから好きじゃない、と思う人も多いと聞くが、前にも書いた通り目立っていいところもあるし、その一瞬で人の心を奪えたらどんな人よりも目立てる。しかも縁の下の力持ちなので、伴奏が最悪だと曲全体が悪く聞こえたりもするし、伴奏が良ければ色んなことをカバーできたりもする。良いことしかない。その分難しいけれども。

 

まあ、まだ学生で合唱コンクールがあって、好きな人が指揮者になってたら、勇気を出して伴奏弾いてみるといいと思うよ。気になってる人が伴奏を弾くことになっていたら、勇気を出して指揮者になってみるといいと思うよ。

あの空気感は、やった人にしかわからない特別なものだから。

 

とか言いながら、こんな空気が好きな人はよく略奪とか不倫とかしてる(私調べ)ので、沼にハマるのだけは気を付けてください。

(力尽きた)(話が長い)(ここまで読んでくださりありがとうございました)