月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

昨日は絶対にご飯をおいしいと思いたかった

昨日は誕生日だから、悲しいご飯を食べたくなかった。食べるなら、絶対においしいと思いたかった。だから「誕生日おめでとう」の代わりにスタンプを3つ送ってきた弟を捕まえて、「今日夜ご飯食べに行かない?」と誘った。

 

弟はやさしい。私には弟が2人いて、昨日の弟は上の方の弟。上は勤勉かと思いきやそれなりに怠け者で、だけどそこそこまじめ。勉強を続けることが得意で、私は1ミリも理解できていないよくわからない謎な研究を大学院と謎の研究所でやっている。謎すぎて、院生なのにどこかの社員でもあるらしくて姉は何もわかっていない。

下の弟はただただかわいいので、なんでも私が買い与えてしまおうとして、本人に止められることが多々ある。「なんでも買うよ、欲しいもの教えてくれたら」って言ってるのに「自分のことに使いなよ」って言ってくれる。自分のことに使った上で聞いてるんです。

 

上の弟は昨日は大学だったらしいのだけれど、「何時でもいけるよ」と言ってくれたので自分にしか都合のよくない時間に呼び出した。姉の突然の誘いにイヤな顔ひとつせず、姉が何も考えずロクシタンで買ったシャンプーとコンディショナーがふたつずつ入った重たい紙袋と、姉が何も考えず買った本の重たい袋を持ってお店まで歩いてくれたし、思いがけず両手が空いた姉に腕を組まれてもイヤな顔ひとつせず姉のフラフラ歩きに付き合ってくれる、やさしい弟。

去年までの私なら、誕生日だからと弟を呼び出すことはなかった。いくら美味しくご飯を食べたいからと言って、誰かを付き合わせるのは申し訳なくて気が引けただろう。でも今年は、といっても10月か11月に入ってから急に、「求めたいものがあるのに求めない意味がわからない」と思うようになって、実際に求める行動をとった。

まるで青天の霹靂。正解かどうかもわからない想像をして身をひくより、欲しいなら欲しいと言えばいいと、今は思う。それで手に入れられなかったり断られたりしたら今はまだその時ではないだけだし、何も傷つくことはない。

愛されたいと思うなら、誰かを愛する前に愛されたいと言ってしまっていいとも思った。愛されている実感を得られたら幸せな気持ちになるし、その幸せを持って誰かのことを愛そうとする燃料にできる。誰かに愛されるためには自分から、のような言葉もあるし私も今までそう思ってきたけど、先に「愛されたい」「私は愛されてますか?」「これがあると私は愛されてると思える」と口にしていいのだと思う。

 

だから、私は自分を愛するために、弟を呼び出して一緒にご飯を食べ、荷物を持ってくれた弟のやさしさを摂取した。それをイヤな顔せずに与えてくれた弟に感謝している。君のおかげで私は昨日の夜、自分のことを大事にできた。

 

愛に飢えてるわけじゃない。小さい頃からちゃんと愛されて育ってきた自覚もある。

ただ、いつからか人が愛してくれるよりも自分が自分を貶すことの量が上回って、結果的に大事にされてないと自身が感じてしまうことが多かった。というかそれが常になった。そうすると求めることが烏滸がましくなくって、求めることが悪いことだと思うようになって、素直な気持ちのその上に「すなおなきもち」という仮面をつけた感情が乗っかって、そこに対して素直に生きるようになっていた。でも私はずっと、それが本当の「すなおなきもち」でないことはわかっていたし、いつかはその一段を取り去ってあげないとその下の「すなおなきもち」が腐ってしまうことも気がついていた。

だから、28歳はちゃんとその仮面を剥いで、自分にやさしくすることにした。

 

本当は私、ちゃんと自分のことが好きだし大事なんだもの。