月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

言葉の赤子

書けなくなった。書いてるじゃないかと思うけど、その書けるじゃなくて、それまで心から溢れてとまらなかった気持ちの泉が枯れた。枯れたのに、その下には外に出さないとおかしくなりそうなくらい言葉の赤子が蠢いていて、どうしようもなくて毎日食べたものを吐いている。思い出したのだ、私が吐く時は「言いたいのに言葉にならないこと」が溜まっている時だということを。

 

私の過食嘔吐の歴史の中で、今ほど明らかに体重が減ったことがなかった。絶対に健康的な痩せ方ではないけど、正直うれしい。今だけのことだから喜んでいいことにしている。どうせいつかまた元の体重に戻るわけだし、面白いほどぐんぐんと落ちる今は「わぁ」と思っていればいい。ただ、流石に私の頑丈な歯もここまで毎日吐いてれば虫歯になってしまうよなとか、朝がだるいなとか、仕事に集中できなくなってきたなとか、生理が重すぎるなとか、当たり前の不調は起こるわけで。そこに対しての焦りはあるから、できることなら過食スイッチも入れたくないし、嘔吐スイッチも入れたくない。

じゃあどうして急にこうなったのだろう、と考えたところ、今死ぬほど寂しいことと、謎に不安なことと、仕事を苦痛だと感じていることが原因の様に思えた。ただ、死ぬほど寂しいからと言って誰に会いたいわけでもないし、誰かを求めているわけでもない。不安だからと言ってそれが何に対しての不安なのかがわからない。仕事の何が苦痛なのかも全く心当たりがない。私が今ここに存在して、朝起きて、今日は何も起こりませんようにと祈って、毎日やるべき仕事をやって、頭を回すために食べられるものをとにかく胃に入れて、当たり前のように終わらない仕事を遅くに終わらせて、お腹がすいたなと感じる脳を落ち着かせるために何かを口に入れて、好きな韓国語の勉強やドラマを見るけどその一瞬の楽しさが虚しさを際立たせて、明日もまた仕事だからと適当な時間に眠るこのサイクルが、なんとなくな吐き気を催す。昨日の私も今日の私も明日の私も何も変わらなくて、私だけじゃなくて昨日の全ても今日の全ても明日の全ても同じく変わりがなく、仕事は同じ様に日々精神をすり減らして、心の軟骨が無くなり瞬発的な感情しか得られない。これがとてつもなく嫌だ。

 

言葉の赤子が出てこられるほどの衝撃があればこの過食嘔吐とも一時休戦状態になるが、その衝撃自体、毎度馬鹿みたいに大きすぎて大抵辛すぎる。どんなに頑張っても止められないことが止まるのだから当たり前だけれど、「死んでしまうなぁ」と思う程度のショックが必要で、いくら止めるためとは言えそれに耐えることを想像すると、まだ毎日吐いていた方が楽に思える。正直もう10年の付き合いなこともあって、吐くことに苦しさや罪悪感なんてなく、「おうおう、スッキリしましたな」くらいで済むフランクな関係なのだ。ただただ歯と脳と顔のむくみが心配なだけ。それよりも赤子がどんどん増えていくことの方が数億倍辛い。お腹も空く。お金も減る。今こうして書いていても、やっぱりこの不安や気持ち悪さの核が何なのかわからない。心にあるのは「食べることは、誰かと食べられたら解決できる」ということだけ。これも、誰かと食べなくなればまた元に戻ってしまうだけのことだから、特定の誰かを求めることはしないけれど。

 

赤子は自力では何もできない。自力で出てこられない。だから手を添えて押し上げるか、歩けるくらいまで成長させるしかない。そして赤子を成長させるには、日々の精細度をもっと上げなければならないし、よくよく見つめて何を欲しているのかを察さないといけない。けれどそんなエネルギーはないし、見つめようとしたところで見つめるべき対象も居場所もわからない。胃の上くらいのところを中心に肋骨いっぱいに広がっているこの、雪が降りそうな日の重たい雲の様な、コーヒーの上で溶けた見栄えの悪いマシュマロの様な、そういう気持ちの悪いものを鷲掴んで引っ張り出したい。喉の奥まで手を突っ込んで。食道の奥の奥、胃の入り口の弁を越えたところまで指を伸ばして。

それを吐くことでしかやり過ごせない。いや、やり過ごせてもいない。吐くごとに消滅していってほしいのに、靄は宇宙の端を想像してみた時の様にぐんぐんと際限なく広がっていく。身体の中は宇宙だというけれど、あながち間違えていないと思う。身体の隅から隅まで意識を巡らせて想像しうる毛細血管の終わりのそのさらに枝分かれした先を感じようとすると、絶対に空間の終わりの壁があるはずなのにどこまでもどこまでも進めてしまって息ができなくなる。それなのに胃袋には終わりがあって、そこに食べたものが泥になって溜まっている感覚になる。泥を胃の中に入れておくわけにはいかない。霞であればいいのに。

 

全部が全部、赤子が歩けさえすればいい話で、本当はここまで苦しむことではない。何をそんなに難しくしてしまっているのかがわからない。こんなところにいて楽なこともいいこともひとつとしてないし、心の底から早くここを出なければとも思っているし、浸ったところで何も生み出さないことも分かっているから、できることなら身体の裏表をひっくり返したい。めくれたら出てこないもの全部を出せるのに。

 

誰もいない海を見たい。