月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

何もできない自分がもどかしい

でもきっとできている。今私がやらなきゃいけないことは、できている。それでいい。

 

そう思ってはいるけれど、やっぱりもどかしいものはもどかしい。過去の私と比べたらいけないのもわかっているし、過去とはやっている仕事も違うのだから、比較対象にできないこともわかる。ぜーーーんぶ、わかる。

でも、わかるのとできるは、また違う。まるで学生の時の勉強のよう。できないのはわかったことになってないって言われるアレ。本当にその通りだと思う。

 

頑張ったらいけないけれど、人より簡単に頑張れる人間としてもう二十何年も生きてきたから、こんな状態でもある程度はやれてしまう。そして、過度な頑張りを超えた頑張りはやったらいけないラインだと理解ができているけれど、それより下の過度な頑張りまではまだやれてしまう。そのあとで具合が悪くならないと、今の限界値近くまでやってしまったことに気がつけない。そういうものなのだと思う、やってしまう、というのはもう仕事における習慣だ。

 

ここで自制しないとあの3ヶ月が無かったことになってしまうし、それだけはどうしても避けたい。ただ、「仕事をしながら」頑張らない方法がわからない。

仕事をしない日に頑張らないのも、仕事を忘れることもできるようになった。日々私を苦しめていた強迫観念とも言える全てのルーティンを失くすこともできたし、新たなルーティンを産むこともない。これは本当に大きな変化で、10歳の時に始まった苦しみがついに消えた。仕事が始まった日、ルーティンを守らなかったことを不安に思わない自分に10歳以来初めて会って、うれしくて泣いた。これで生きるのが少しは楽になる。

 

仕事の日に頑張りすぎないでいられるようになるのも、時間がかかるのかもしれない。早くそうなりたい気持ちを持たない方が、楽かもしれない。

今日は病院で「やりすぎるとまた再発するからやらないように」と言われた。「再発する」ということは、今は落ち着いている状態だということだと思う。なくなってはいないけれど、ある程度は問題ない状態。うれしい。私は病気の肩書きなんてひとつもいらない。あって安心する人もいるだろうし、SNSのbioにずらずらと並んでいる人もいるけれど、私は何ひとついらない。自分を狭めてしまう何もかもがいらない。

とはいえまだ治療中なので、仕事においては病気に甘えてる方が賢いのかもしれない。会社の大好きなお姉さんにも「もっと甘えたらいいのに。やらないって言っていいし、これ以上今日はやれない、やらない、があっていい」と言ってもらえたけど、これがなかなか難しい。昨日はちょっとできたかなと思う。やることがなさすぎて半日、休職中に溜まったメールを整理した。メール整理で半日使うのはヤバい。ドキドキする。そんな感じで給料泥棒な自分に吐きそうになったけど、まあ実際今週やらないといけなかったことは全部しっかりやり遂げた後だったし、まあ。まあいいんじゃないの、そもそも余るはずのなかった時間なわけだし、と思うことにした。メール整理はドン引きして吐きそうになったけど。

 

もう全部、仕事において今の状況は仕方のないこと。また来年には忙しくなっているだろうから、今の状況を楽しめるくらいになりたい。早く体力が戻ってほしい。もしかしたら一番頑張るべきは、仕事じゃなくて体力づくりかもしれない。なんか今そう思った。

広い広い宇宙のことを考えると(急に宇宙の話が出てきたけど私は暇になると宇宙のことを考えます)、私の一生なんて一瞬にも満たないので、この先は何の辛いこともなく生きていきたい。ハッピーハッピーとかではなく。

 

とにかく、辛いことがなく生きていきたい。