月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

1万字超えの好きの話

f:id:tskmrso:20190301102206j:image

 

最近、私の世界観は何を経てこうなっているんだろう?と思い返す機会がたくさんあったので、私が影響を受けた映画や小説を挙げてみたいと思います。

ちなみに影響を受けるためのベースは、思春期を迎えるまでの期間で虚無感でいっぱいの子どもになった育ち方にあるので、これらを自分が観たり子どもに観せたりしただけで私のような歪んだ人間になるわけではありません。
ですので、もし気になったものがあれば安心して観たり読んだりしてみてください。
何も考えずに書き連ねていたら1万字を超えたので、目次を作りました。お時間がある時にどうぞ。このご時世に何言ってんだこいつ、と思いますが、スマホで見るとたぶん疲れます…。(暴力的な文字数ですよね、1万字って)

もう目次が長いもんね。

 

まず1本目は、好きな映画を聞かれたら絶対いちばんに答える作品の

おと な  り

私が今の仕事の世界に飛び込むことにした、そもそものきっかけがこの映画。
何の仕事をしているかは内緒です。

“ おと ”  “ おとな ”  “ おとなり ”のトリプルミーニングになっていて、「 壁の薄いアパートに住むふたりが、相手の生活音を聴いて心惹かれていく 」といったお話です。フィルムで撮影された画の雰囲気と、ていねいに聴かせる音が最高な映画。
大好きな映画はたくさんありますが、これがいちばんです。


Oto-na-ri (2009) FULL TRAILER

「 はじめて好きになったのは あなたが生きてる音でした 」
こんなすてきな言葉を思いつけるようになりたいものです。

当時夢見がちがな高校生だった私は、「コーヒーが飲めるようになるとこんなにすてきな出会い方ができるんだ!」とコーヒーに過剰な夢を抱き、それまでコーヒーなんて飲んだことなかったのにいきなりブラックを飲む練習をしました。まあ、胃が痛くなったよね。
ついでにコーヒーがすてきな出会いを運んでくれたこともなかったです。

岡田准一くんが大好きな人と、やさしくて腹の決まらないどうしようもない人 (そういう弱さを抱えた人) が大好きな人におすすめです。

 

次にいきます。2本目は恋愛映画でなく、家族映画です。

歩いても 歩いても

歩いても 歩いても

歩いても 歩いても

私は樹木希林さんが大好きなのだけれど、樹木さんを中心に話が展開していく作品の中ではこれがイチオシです。

自分の記憶にもある、《素直になれなくて人を傷つけてきた感覚》に胸がキュッとしちゃうけど、そんなところまで含めて好きな映画です。散々好き勝手していろんな人を傷つけてしまった後悔まみれな思春期明けに観たので、登場人物たちの想いがグサグサ刺さって死にそうになりました。

是枝監督の作品は雰囲気が好きなのだけれど、全部は観られてないのでちゃんと観たいなぁと常々おもっています。思ってるだけで観てません。そういうところよね。

是枝監督の作品で次に好きなのは、『海街diary 』かな。広瀬すずちゃんや綾瀬はるかさんが出ている、4人姉妹のおはなし。

海街diary

海街diary

 

樹木希林さんが出演されてる映画で、映画館に観にいかなかったことを後悔しているのが、『日日是好日』。


『日日是好日』予告 2018 年10 月13 日(土)公開

抹茶味も抹茶も大嫌いなのだけれど、和菓子と四季が好きなので最近茶道にすこーーーしだけ興味があります。そんな茶道とだいすきな樹木希林さんと、これまただいすきな黒木華さんの共演作を、去年の10月の私はなぜ観に行かなかったのか。

忙殺されていたとしても、今年は「したい」「観たい」「行きたい」という自分の気持ちまでは殺さないようにしたいです。

 

では3本目、また恋愛映画に戻ります。

おんなのこきらい

おんなのこきらい

おんなのこきらい

何度でも観られるし、リピート再生を何度も何度もしてきた映画。
好き嫌いは分かれるかもしれない...です。

森川葵ちゃんのぶりっ子が痛々しいけど、でも女ってそうやって生きるところあるよね、 って社会の中で生きる自分をすごく客観的に見てる気分になります。私はこんなにかわいくないし、こんなにすぐ色んなこと許せないけど(すぐヤっちゃったり仲良くなったり) 、媚は売りまくってここまで生きてきたので、毎回自分の痛々しさを見せられている気分になります。
いつも「つらい〜」って言いながら観てる。

音楽はふぇのたすという、もう解散してしまったバンドが担当しているのだけれども、この映画にぴったりな曲ばかりで、すごく良いのです。声とメロディーのかわいさが、作品に絶妙にマッチしていてたまりません。


『おんなのこきらい』予告編(New Version)

あと、この映画は木口健太さんと、彼が演じてる男性が最高です。
キャスティングした人を大絶賛したくなるレベル。何が最高かは、是非観て感じてください。最高だと思えた方とは仲良くなれる気がします。
私はこの作品の木口健太さんに、骨抜きにされてしまいました。

 

ここで突然性癖を晒しますが、私は画面の中のクズが大好きです。
若かりし頃の西島秀俊さんが演じてきた数多のクズ男を観て、「 はぁ...こういう男性と出会って人生必死に生きてきたいものだわ... 」なんてアホな夢を見ながら大人になったので、だいたい私が映画やドラマの中で好きになる人たちはクズ役です。いい人だと思ってたのに盛大に裏切られるとか、日常茶飯事。
ほんとうに、やさしくてどうしようもないクズが好き。

ちなみにこの映画にはクズがそこそこ出てきます。会社の中にそんなたくさんクズいる?って思うけど、めっちゃ出てくる。というか、男ってバカねって感じ。

 

そんなこんなで、超絶興味があるのにまた骨抜きにされるのが怖くて『21世紀の女の子』を観に行けていません。この中に『おんなのこきらい』の監督さんの作品もあるから早く覚悟を決めて観に行かねば、とは思っているのだけれど。
行かないとたぶん絶対確実に後悔するのも分かってるから、近いうちに行きたいです。

21st-century-girl.com

 

次も恋愛映画です。
自分があまり簡単に人を好きになってこなかったから、疑似体験できる恋愛映画が好きなのかもしれない、と今ふと思いました。4本目は、

ヴァンパイア

ヴァンパイア(字幕版)

ヴァンパイア(字幕版)

これも何度も観ます。何度観ても号泣してしまう映画です。

ひとりで塞ぎ込んでつらいつらいと泣いていた頃の私は、生きるならこの映画のヒロインの様になりたいと思っていたし、こんな風に愛されたいと思っていたし、死ぬならこの映画の女の子たちのように死にたいとおもっていました。痛くないし、汚くならないし、最高じゃん、でも自殺幇助の罪をかぶってくれる人が必要だなぁって思い留まっていたら、恋人氏と出会いました。死なないでよかった。
恋人氏と付き合ってから観てないのだけれど、今観たらまた違う感想が持てるかもしれないです。


『ヴァンパイア』予告編

私にとっては珍しく岩井俊二監督で好きな映画です。
『リリーシュシュのすべて』や『リップヴァンウィンクルの花嫁』があまり得意ではなくて、『花とアリス』も『花とアリス殺人事件』のほうが好きでした。
そんなこんなでこれもドキドキしながら観たのだけれど、まさか苦手な監督の作品に、これほどまでに心動かされる自分の理想の映画があるなんて思ってもみなかったので、好き嫌いせずに気になったものは観たり読んだりする必要があるなぁ、と感じました。

あ、血が苦手な方にはおすすめできません。気を付けてください。

 

5本目、今度は音楽映画です。

はじまりのうた

Netflix では無料で観られます!ぜひ何度も観てほしい映画です!!

ひとりの時延々と観続ける映画2選のうちのひとつ。
この映画はなんてったって曲が最高!この監督の前の作品、『ONCE ダブリンの街角で』より演出も脚本も音楽も洗練されて、おもしろくなったなぁと感じました。

キーラ・ナイトレイ演じる女の子の彼氏役でMaroon5アダム・レヴィーンが出ているのですが、彼が最後に歌ってるシーンに大好きな1カットがあります。最初に映画館で観た時にその1カットに心臓を打ち抜かれて、そのあとそこ見たさに2回映画館に行きました。
未だに耐性がつかなくてドキドキします。

この時からMaroon5 も好きです。
変なMVを作ったり、インタビューもサービス精神旺盛だったり。結構お茶目なところがかわいいです。きっとアダムもクズだと思います。(凄まじい偏見)

私の弱点は《なぜか外国人の顔をいまいち区別して覚えられない》ところなのですが、主演のマーク・ラファロは私が把握できている数少ない外国の俳優さんです。
この映画がきっかけで好きになりました。なんせ、去年初めてマーベル作品を観たので...。

番外編1

他に好きな男性の俳優さんもついでに書きます。
好き語りもほどほどにしろって感じですが、書きます。


まずは、『英国王のスピーチ』や『キングスマン』のコリン・ファース

私の中の英国紳士の代表。スーツが似合うけど時々冴えないおじさんとか演じてるのも好きです。私イチオシのコリン・ファースは、『シングルマン』のときの色気だしまくり紳士の彼です。この映画は正直、好き嫌い分かれるかとおもいます。

シングルマン (字幕版)

シングルマン (字幕版)

 

それから、ロバート・ダウニー・Jr 、と映画『シャーロック・ホームズ』でコンビを組んだジュード・ロウ

ふたりがホームズ以外でうっかり共演してたら、キャー!っとなるくらい好きです。
高校生の時にこの映画を観て、すぐさまDVDを買いました。あのコンビが最高で、続きをいくらでも作ってほしいなって思っています。まぁ、2作目でモリアーティ教授と決着つけにいったので続きなんかないんですけど…。

ホームズ2作品が好きな私としては、「えー!ホームズが空飛んでるーーー!!!!」って思うし、「ワトスン先生、魔法使えるじゃん!!!!」ってここ最近よく思います。
(アイアンマンとビーストのことです) 

ジュード・ロウだけの作品で好きなのは、『ホリデイ』です。めっちゃ良い。最高。 

ホリデイ (字幕版)

ホリデイ (字幕版)

 

 

あとは『レ・ミゼラブル』で好きになったヒュー・ジャックマン

恋人氏が初めて貸してくれたDVD は、彼の出ている『ニューヨークの恋人』でした。
どうしてあんなに貴族っぽい衣装が似合うのでしょうか、この人は。

ニューヨークの恋人 (字幕版)
 

そういえば、この前ようやく『グレイテスト・ショーマン』観ました。
めちゃめちゃ良かった、映画館で見るべきでした。爆音じゃなくていいので、どこかでまた上映してほしいです。

 

レ・ミゼラブル』つながりで言うと、エディ・レッドメイン

顔がもう、とにかく、大好き。あと歌が上手いのと、よくわからない動きができるところと、女装がかわいいところが好きです。

『ファンタスティック・ビースト』はエディをキャスティングしたことがもう全ての成功の理由だと思います!!まあ、『ハリー・ポッターと賢者の石』をこの前初めてフルで観たハリポタ初心者なので、ビースト新作はほぼほぼ置いてけぼりでしたけどね。それでも次を待っているのは、魔法を使うエディのかわいい姿をまた観たいからです。

ビーストは関係ないけど、近いうちに『リリーのすべて』を観ます。絶対に。
アマプラにありました、観ます。

 

もうひとり顔がすきなのが、デイン・デハーン

アメイジングスパイダーマン2 』でため息の出るような美しさに心を奪われて以来、大好きです。PCのデスクトップも、iPhoneのホーム画面もロック画面も彼です。

PRADA 、彼を広告に使ってくれてありがとう、最高です。
PRADA はエディを起用した時の写真ももちろん良かったけれど、デイン・デハーンの時の方がすきな写真が多かったな。

友だちに『キル・ユア・ダーリン』のBlu-ray を借りたので、これも早く観ます。
さっきから観ます観ますって言ってるけど、週末はアマプラで《週末レンタル100円》の作品を見るのに忙しいんですよね...だからなかなか他のものを観れていないのが現状です...。でもこれは返さなきゃいけないからね、早めに観ます。

 

あと、インスタ見てて突然現れたイケメンに喉がヒュッとなるのが、『ピッチパーフェクト』に出ていた、スカイラー・アスティン。恋人氏曰く、別にイケメンではないらしい。

彼の歌って踊る姿と歌声が最高にかっこいいので、是非『ピッチパーフェクト』シリーズを観てください。この映画の影響で、彼はどこまでもやさしい人なんだろうな、と勝手に思っています。
彼はこの映画で共演した女優さんと結婚されていて、なんかそういうところからもこの映画はすてきな作品なんだなぁ、という気持ちになります。

アマプラでは『ピッチパーフェクト1』が無料で観られます。アカペラサークルの大学生たちの話なのですが、アカペラのパフォーマンスが圧巻です。

 

ここまでたくさんPrime Video のリンク貼ったりアマプラアマプラ言ってますが、別にアマプラの回し者ではありません。日頃観ているのがTV番組やBlu-ray じゃなくて、Prime Video なだけです。

ちょっと話が脱線しすぎました。
長くなりましたが、好きな俳優さんのお話は以上です。ちなみにブログ自体あと半分くらいあります。お時間のある方はお付き合いください。

 

映画の話に戻ります。6本目はミュージカル映画

サウンドオブミュージック

中学生の頃に通っていたピアノ教室で、だいすきなお姉さんから「今度の発表会で、この作品の曲をクラリネットで演奏したいんだけど、つきのちゃん伴奏してくれない?」と言われたのがきっかけで観ました。ピアノはソロで弾くより、誰かの伴奏をしている方が好きです。またピアノのレッスン受けたいなぁ。

この映画にはたくさんすてきな歌が出てきますが、当時の私は全部英語で歌えるようになるために、借りてきたサントラを毎日毎日聞いていました。My Favorite Things がいちばん好きです。

私もカーテンで作ったワンピースを着て、サンドイッチもってアルプスにピクニックしにいきたい。あんなにきれいな場所で食べるサンドイッチは、この世でいちばんおいしいサンドイッチに違いないです。

 

7本目はミュージカル映画でもうひとつ好きな作品です。

魔法にかけられて

魔法にかけられて (字幕版)

魔法にかけられて (字幕版)

 

ひょっとしたら唯一好きなディズニー映画かもしれない…。私はディズニーよりジブリ派です。ハウル最高。恋人氏はディズニー派です。

この作品は歌がいいのはもちろんなのですが、何よりジゼルが着ているドレスがかわいいくてたまりません。私も毎日ワンピースとかドレス着て生活したい。よく映画で女性が着ているドレスをじっくり見ては、私も着てみたいなぁなんて思っています。パーティードレスのサイトを見るのが好きです。

ドレスとディズニーとミュージカルが揃った作品でもうひとつ好きなのは、『ハイスクールミュージカル』シリーズです。かわいくてかっこよくてとっても憧れたザック・エフロンが、『グレイテストショーマン』で大人の男性になっていてびっくりしました。でも『ハイスクールミュージカル』の中だと、双子の弟・ライアンが推しです。こんな高校生活を送ってみたかったなぁ、と観るたびに思います。

ドレスつながりなので、リンクは3作目です。プロムを舞台にした曲があって、そこに出てくるドレスがどれも最高にかわいいのです。みんなが正装してダンスするシーンはずっと観ていられます。はぁ、好き。

 

魔法にかけられて』主演のエイミー・アダムスが出ている映画で、最近面白い作品を観ました。

ジュリー&ジュリア (字幕版)
 

ジュリー&ジュリア』。料理研究家であるジュリア・チャイルドが書いたレシピ本のフランス料理を、1年間で全て制覇しようとしたブロガー、ジュリーのお話。実話だそうです。
出てくるお料理が全部おいしそうで、お高そうなフランス料理がちょっとだけ身近に感じられた映画でした。ごはんがおいしそうな映画、とても好きです。

 

8本目はアニメ映画です。

言の葉の庭

言の葉の庭

言の葉の庭

 

こちらは『おと な  り』の数年後に観て、私のなりたい職業が決まった作品です。
ひとりの時延々と観続ける映画2選のもうひとつ。

多くの人にとって新海誠さんといえば『君の名は』もしくは『秒速5センチメートル』だとおもうのだけれど、私にとっては『言の葉の庭』がいっっっちばんです!ほんとうに大好き。

この作品は、45分でうまくまとめてある分省略してある部分が結構あって、それを全部補完してくれるのが、『小説 言の葉の庭』。ハードルを上げてしまうかもしれないけど、とっってもおもしろいのでぜひ読んでみてください。
私はこれを読んで、学生の頃の古文好きが再燃しました。

ちなみに、二番目に好きなのは短編作品の『誰かのまなざし』です。

 

ここからは小説、漫画です。おそらく、あとちょっとで終わります。
まず1冊目

アルジャーノンに花束を

大学3年の夏休み、依存していた先生に「交換読書しよう」って言われて貸してもらった本です。先生が村上春樹が苦手だったから翻訳は別の人。

この時に一緒に借りた『ライ麦畑でつかまえて』はあんまり響かなかったです。『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』は気になってるけど、これも公開ほぼ終わりましたよね。なんでこんなことばっかなんでしょうか、私のせいですね。

www.rebelintherye-movie.com帰省する前日に借りて実家で毎晩読んでいたのだけれど、読み進めるにしたがって涙が止まらなくなってしまって、後半はもう声をあげて号泣しながら読みました。

黙ってましたが、私には小説を読みながら声をあげて泣く癖があります。映画も声をあげて、うえうえ言いながら観ます。もちろん声をあげて泣くのは家にいる時だけですが、そんな私をいつもとなりで見ている恋人氏は、毎度爆笑しています。

私を知らないで

ちなみにこの時私が貸したのは、『私を知らないで』という小説。この頃いちばんすきな小説がこれでした。やわらかいけれど、じわじわと心に効いてくる物語なので、これもものすごくおすすめです。

私を知らないで (集英社文庫)

私を知らないで (集英社文庫)

 

2冊目は漫画です。私の大好きな浅野いにおさんの作品でイチオシの、

虹ヶ原 ホログラフ

虹ヶ原 ホログラフ

虹ヶ原 ホログラフ

 

浅野いにおさんの作品は色々好きなのだけれど、これがいちばんです。スッキリなんてできないし後味悪かったりもするけれど、彼の作品は大好きです。

私は高校生になって初めて漫画を買ったのですが、それが、『ソラニン』でした。『ソラニン』を読んで彼の世界観にどハマりしました。
浅野いにおさんの作品は、人気の『おやすみプンプン』ももちろん良いのですが、私は彼の短編集やオムニバスが好きなので『世界の終わりと夜明け前』『ひかりのまち』『素晴らしい世界』を買って大事に大事に読みました。今も大事にしています。

世界の終わりと夜明け前 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

世界の終わりと夜明け前 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

そうはいっても全てを読めてるわけではないし、人気の『うみべの女の子』とか今連載中の『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』はまだ読んでません。

というか、読みたくなるタイミングが来るまで読めない気がしています。私は全て自分の心のタイミングに合わせて映画も漫画も小説も楽しんでいるので、監督や作家で一気見する、というのができません。
そんなこんなで、「ちゃんと追ってないとファンって言ったらいけないのかなぁ」という気持ちがあるので、私は誰かのファンだと言えたことがありません。ちょっとさみしいです。作った人を好きにならないで、その作品を好きになっちゃうからなのかな。

なんと…!『ソラニン』の続きが出ていることを今知りました!買わねば。
こういう情報を、リアルタイムにビビッと受け取りたいですよね。いつもしばらく経ってからなのです。多分情報の探し方やアンテナの張り方が下手なのでしょう。
今年からその辺りも上手くなっていきたいです。

 

3冊目、というかシリーズもののBL小説ですが、これもまた私が影響を受けたもののひとつです。

『魚住くん』シリーズ

初めて読んだBL小説です。この作品を読むまではBL小説って軽いのかなぁとちょっと偏った目で見ていたのですが、結局人を好きになるただの恋愛小説だからなんの壁も感じずに読めるものだなぁ、と意識が変わりました。そういう意味でも読んでよかった作品、影響を受けた作品です。

この作品で、人を好きになる感情を感覚として理解しました。それまでの私は、「好きなら絶対に終わりのない友情の方が圧倒的に良い!」と思っていたので、これを読んで《友達がいいと思っていた人に対して、友達ってだけじゃいられなくなる感覚》を知ることができたのはよかったです。多分そのおかげもあって、今恋人氏と一緒にいることができています。

 

ちなみに、今の会社に入る為の最終面接で、偉い人に「ん〜、履歴書に読書が趣味って書いてあるけど、最近は何読んだの?」って言われてこれを答えました。だって、全然答えを準備してなくて取り繕う良い回答が思いつかなかったのだもの。

「BL小説なんですけど、『魚住くん』というシリーズの作品を直近で読みました」
「え〜BL小説を答える人初めてだ。なんで?」
「私、なかなか恋愛感情を抱けないのですが、単純に人が人を好きになる感情とはどういうものなのか知りたくて…。男女の恋愛小説よりも同性同士の方がわかりやすく書いてあって、擬似的にですが今色々な経験をしたつもりになれています」
「へ〜、不思議なこと考えるね」

っていう会話をしたら、内定もらえました。まじかよ。弊社、やっぱり正気な会社じゃないことがこのことから伺えるのだけれど、最近になるまで気づけなかったなぁ。

 『同級生』シリーズ

他にBL作品でおすすめなのは、漫画ですが『同級生』シリーズです。
冊数多いし大きいのだけれど、面白くて好きです。私は映画化されてからこの作品を知りました。映画もよかったです。 

同級生

同級生

 

番外編2

ここから先はそういう性癖をお持ちの方へのオススメ作品の紹介です。

 

私は《友達以上恋人未満、でもそれもはや恋人だよね》という関係性と《幼馴染属性》が好きすぎるのだけれど、似た趣味の人におすすめなのがこちら。

あと1センチの恋
あと1センチの恋(字幕版)

あと1センチの恋(字幕版)

 

最高オブ最高。同じ趣味の人にはとりあえず観てほしい。イライラしてしまうかもしれないけれど、それでも観てほしい。《友達以上恋人未満、でもそれもはや恋人だよね》という関係性と《幼馴染属性》にこれでもかというほど振り回される作品です。

 

あと、そこまで好きってわけではないけれども、大好きな西島秀俊さん演じる男性が最高で、ときどき観たくなる映画が

海でのはなし。 
海でのはなし。

海でのはなし。

 

スピッツ好きにはおすすめの作品です。スピッツを歌う西島さんがとても好き。宮﨑あおいちゃんがかわいいのは全世界共通の事実ですが、最高にかわいいです。

さっきもちょっと書きましたが、私は監督で映画を追ったり、アーティストで曲を追ったりするのが苦手なので、スピッツ合唱コンクールで歌った『空も飛べるはず』しか把握できていません。それもあってか、スピッツの曲がベースになってるこの作品はあんまりついていけませんでした。
でも西島さんとあおいちゃんが良すぎるので、スピッツを知ってる人なら楽しく観られると思います。

 

スピッツのことを考えるとなぜかいつも出てくるのが、レミオロメン
スピッツよりもレミオロメンの方が歌えます。

レミオロメンは高校生の頃、なぜかTUTAYAでアルバムを1枚借りたことがあって、それを通学電車の中でずっと聴いていました。一番好きな曲は『花鳥風月』で、二番は『南風』です。その頃は学校の最寄駅まで行ってそのままUターンして実家の最寄駅まで帰ったり、仮病で早退して本屋や映画館に入り浸ってたりしていた不良学生だったので、レミオロメンを聴くとあの頃の微妙な気持ちを思い出して、ちょっと胸がキュッとなります。
( スピッツどんな曲あるっけ?と思って今聞いたら『楓』『チェリー』『ロビンソン』は歌詞を見ながらサビまで歌えてびっくりした。ちゃんと聞いたことないのに。すごい。それだけ耳にはしてきたってことなんだろうなぁ…)

レミオベスト

レミオベスト

 

ずいぶん脱線してしまったけれど、『海でのはなし』を面白いと思えた人は

好きだ、
好きだ、

好きだ、

 

も面白いと思えるかもしれません。

こういう思春期のなんとも言えない苦々しく淡い雰囲気の映画を、車で20分のTUTAYAで借りまくって、平日学校をサボって家で観まくっていた高校時代。お母さん、お父さん、たくさん迷惑かけてごめんなさい。

でもあの頃に『無伴奏』『生きてるだけで、愛』『海を感じる時』とかがまだ作られていなくてよかったです。確実に観ていたし、確実に死んでました。実は今でも、観終わった後に心を物語から現実に戻せる自信がなくて観ていません。
もうすぐ公開の『愛がなんだ』も薄々観れない気がしていますが、絶対に頑張って観たいので、観られたら他の3作品も観ます。


切なすぎる…岸井ゆきの×成田凌『愛がなんだ』予告編

ちなみに『好きだ、』には、これまた西島さんと宮﨑あおいちゃんが出ています。この作品ではあおいちゃんは高校時代を、西島さんは大人になってからを演じているので、厳密には共演作と言えるかはわかりませんが。

高校生のころ西島さんを好きになって色々観漁ったのですが、『純情きらり』でも『海でのはなし。』でも『好きだ、』でも一緒な宮﨑あおいちゃんがうらやましくて、一時期「宮﨑あおいちゃんになりたい」が口癖でした。
今の口癖は「来世で今世の深キョンになりたい」です。はじ恋最高。ゆりくんと順子ちゃんの幸せな姿も見たいけど、私の本能が山下先生を爆推ししています。先週の山下先生最高だった。私も山下先生に「飯でも飲みでもいい」「頼む、チャンスをくれ」とか言われたい。

 

  

途中何度も脱線しましたが、思いつく限り、ざっとこんな感じです。

なんか、私の青春は鬱屈してたんだなぁってことくらいしかわかりませんでしたね。監督やアーティスト、作家を追いかけられないザコなところもバレてしまいました。
バレたついでに言いますが、私は曲を聴く時全然歌詞が耳に入ってこないので、曲の良し悪しはメロディーだけで決まってしまいます。

そんな私が昔から好きなアーティストは、SEKAI NO OWARI です。
『世界の終わり』の頃の深瀬さんの、今にも死にそうな雰囲気と声に惹かれて、好きになりました。
私は、彼らの曲に何度も何度も救われてきています。たぶん死なずにいられたのは彼らのおかげな部分もあるんじゃないかな。新曲を聴きたいから死ねなかったとかではなく、なんとなく、彼らの曲がそんな感じなのです。死なせてくれないというか、自分の悲しみや苦しみに寄り添ってくれるような。そんな大好きなSEKAI NO OWARIの曲ですら追えてないんですけどね。

Saori ちゃんが執筆した『ふたご』はちゃんと読みましたよ。私の大好きな男の子と女の子のお話で、大事な1冊になりました。
いつか、彼らのライブに行くのが夢です。

 

これだけ列挙してみてわかったことですが、ミュージカル映画を除くと、私の好きな作品の空気感ってだいたい似てますね。 そういう空気が、今の私の世界観を作ったのかな。わかんないけど。

 

好きなものについてたくさん書けて、楽しかったです。こんなに長いものを最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

ここまで読んでくださったあなたは、奇特です。でも、私にとってはありがたい方です。
お礼に、あなたがいつか自分の性癖に刺さりまくる作品に出会えるおまじないをかけました。もう出会えていても、また出会うことができるおまじないです。

もし出会えたら、教えてください。
あなたの好きな世界を教えてください。

できたらでいいので。

 

 

痛い子と、時間の話

 

今日ずっと「なんだかやる気が出ないなぁ、何もしたくないなぁ」と思っていた原因を思い出してから早3時間、もう1時間前に吹っ切れたけれど、この3時間で思ったことがたくさんあるので書きます。

 

 

まず、なぜ彼女は私のことを《痛い》と言ったのか。

実際、その子に「なぁ、なんであんなこと言ったん?傷ついたんやけど?」と直接伝えていないので本心はわからない。

この子とはもう6年の付き合いになるので、どういう子かはわかっているつもりだ。人が傷つくことも全然平気で言えちゃうし、自分の発言で人が傷ついてることを想像するのがあまり得意じゃない。そんな彼女の後から、私ともう一人の友人が「ごめん!そういうつもりで言ったんじゃないのこの子!要はこういうことだから気にしないで!ごめんね!!」と言って回ったのも少なくない。「お前らが謝ってくれるから私はなんでも言える」って言ってきた時には「そういうことじゃないし、お前らって言わないで」ってちょっと喧嘩したりもしたけれど、彼女の手のかかるところと、よく言えば素直なところが可愛くて好きだ。

そんな性格だってわかっているならなぜ今回傷ついたの?と思われるかもしれないけれど、その時はお互い酒が入っていたことにより彼女の攻撃力はジャックナイフより鋭く、私の防御力は綿よりも脆かったから、まあ仕方がないことだとも言える。そういうことにしたい。

 

その時言われたのは

「お前さぁ、痛い子になっちゃってるよ」
「いつ?どういうところが?」
「どういうところって言いにくいけど、彼氏のことで悩んだり一生懸命になったりしてる時とか」
「痛い?よくわかんないなぁ、元は赤の他人だから価値観も習慣も違うわけで、そういう人と一緒にいようとするとこうなるんじゃない?」
「そこまでいろんなこと我慢してまでやることかぁ?」
「我慢しなきゃいけない頃もあったけど、今はもうないよ。そういう時期はもう抜けたんじゃない?」
「時間に委ねるものなの?対等なの?その人でいいの?」
「対等でしょ。私が支えてもらってる部分もあるし、彼を支えてる部分もあるし。それにどんな状況でも私は今の彼氏とずっといたいと思ってるよ」
「それでいいのかねぇ…」

 

ま〜あ、失礼なこと言ってくんなこの子は!とずっと思いながら話していたのだけれど、そもそもこの子は前の彼氏に「なんで私がお前に合わせなきゃいけねぇんだよ、クソが」(原文ママ)と吐き捨てて別れているので、彼女にとっては当たり前の疑問なのかもしれない。それにしても失礼だけどね。

【人に合わせるのが苦手】【気は強いけど人に嫌われることに関しては怖がり】【でも自分の意思を曲げるのは嫌い】というのがこの子の性格なのでまあ、まあ、しゃーない。

自分の思い通りにことが進むことが前提の人からしてみたら、私のこの1年半はもう信じられない苦行かもしれない。私だって辛いなと思う時もあった。でも、きっと恋人氏にとっても一緒にいるの辛いなって思う時期もあったと思う。というか必ずあるはずなのだ、恋人氏は喧嘩嫌いなのに私たちは割と喧嘩が多いから。

どうしたらいいかなって悩む時も結構ある。それでもふたりで落とし所を探ったり、お互い譲歩することにしたりして、今も一緒に生活している。

そういう人って私たちだけじゃないんじゃないかな。

 

稀に、お互い我慢の一つもしないで快適なラブラブ生活を送れる人たちがいることは知っている。さらに、少女漫画は付き合ってからのハプニングや悩み事はだいたいテンプレートがあって、そこを除いてしまえばお互いの感覚のすり合わせなんかしなくてもうまくいっていることが多い。

そういう世界に憧れている人は多いと思う。

私も恋人氏と付き合う前の彼氏とは、私のほんのちょっとした我慢の限界がきたことで別れてしまったし、そもそも私に合わせてほしいと思っていた。今だって譲れないことはあるけれど、そんな比じゃない。私がやりたくないことは相手がどんなに望んでてもしたくなかったし、それをすることによってどんなに円滑に事が進むとしても断固としてしなかった。いや、受け入れたらいいじゃんか、と今は思うけれど、その人とそれを負ってまで一緒にいたいと思えなかったんだろうね、その時は。

だから結局、そうしてもいいと思える人かどうかな話だと思う。人それぞれだけれども。

 

あと、

これも言われてものすごく疑問だった。ぜんっぜんわからん。未だにわからん。
(上のツイートもくっついてきてしまっているのだけれど、下の方です)

 

だって、時が解決するのを待たずして、どうやってこの問題の解決を迎えられる?

そもそも過去にとらわれない人と付き合うとか、私と付き合った時点で全ての過去を捨てるとかできる人と付き合えば《時間が解決する》という状況にならないけれど、そんな人そうそういないじゃないか。誰とも恋愛してこなかった人だったらありえるかもしれないけれども。

私の付き合った相手は、私と付き合うギリギリ前まで彼女がいて、その人と一緒に暮らしてるペットもいた。私がそういう状況の人と一緒にいたくなったので、前述のような状況はありえるはずもなく、すでに詰み。もう破綻している。

付き合ってからいろんな苦痛や問題がぼこぼこと出てきたけれど、それはその度に話して解決するか、自分の中で消化するか、恋人氏に関する事は恋人氏がどうにか解決できるまで待つか、とりあえずの対応をしてもらうか。

ひたすらこれをやってきた1年半だったわけで。

 

でも何においても、誰とでも、時が解決することってあるんじゃないだろうか。

私に《痛い》といってきた彼女を、私は大学で知り合いたての頃あまり好きになれなかった。言葉遣いはよくないし、お前って言ってくるし、おっぱい揉んでくるし、下ネタをふってきて私を困らせて遊ぶし、イジリのつもりでグサグサ刺してくるし、うるさいし、こわいし、やめてよ!って言ったら傷ついて面倒くさくなるし。彼女の冗談の範囲に一般の暴力まで入ってるのが本気で辛かった時期もある。

でも今はこれのどれも、なんとも思わない。それがこの子だからなぁ、と思える。

それって完全に彼女と接してきた時間が解決してくれたことなのだ。この子はこちらが嫌だと思っていることを伝えると、こちらが思っている以上に傷ついて再起に時間がかかるので、こちらが考えて行動する必要がある。恋人かよめんどくせぇ!!って思った時もあったけれど、そういう諸々を経ての今の仲の良さがある。そんな経過を自分で否定しちゃダメじゃないか。それは友達でも家族でも、恋人でも変わらないと思うよ。

 

そりゃ、私のこの1年半は、漫画的な恋愛に憧れてる人からしてみたら大変なことばっかりだろうし、こいついっつも何か悩んでんなって印象だと思う。でも私のTwitter のTL上では、割とみんな似たような感じだし、私もみんなも辛いことの次のツイートがめちゃめちゃのろけだったりする。結局こういうことなわけだよ、友人よ。

よくTLで「恋愛に振り回されたくない」「もっとしっかりしたい」「支えられてばかりだから支えたい」「重荷にならないようにしたい」って見かけるし私もツイートするけど、振り回される時はやっぱり振り回されてしまうものだし、みんな実際はちゃんとしっかりしてるし、支えてるし、重荷にならないように努力もできてる。

誰かと一緒にいたいと思って、一緒にいられるようにがんばってる。一緒にいられなくなってしまっても、時間が解決して、少しずつまた歩き出そうとしている人たちもいっぱいいる。前の恋人の時はこうだったから、今度はあまりこうしないようにしよう、今度はこういう風にできたらいいな、って思ってる人たちがいるのも知っている。

自分と向き合ったり、相手と自分と向き合ったり、仕事と向き合ったり、そこは人それぞれだけれど、みんなもがいてる人たちなことを私は知っている。
みんながんばっている。大丈夫、みんな偉い。

 

なんてことを馬鹿正直に伝えると、自分が言ったことは棚に上げて、上澄みの隅っこだけ掬って「彼氏がいない私はがんばってないって言ってんでしょ!」とメソメソするので、しばらくしてまたお酒を飲んだ時に、「あの時痛い子って言ったの傷ついたんだからね!!」って冗談にして言えたらいいな、と思う。

 

 

f:id:tskmrso:20190212010209j:plain

 

 

生まれつづける言葉のなかで、生きるということ

note.mu

私の大好きなライター、カツセマサヒコさんのこのnoteをぜひ読んでみてください。書き出し最高ですよね。

ずっとこの日のことを書きたいと思っていたのだけれど、どうしても途中から前に進めなくて、しばらく整理するための時間をおこうと思っていた。そんな時に更新されたカツセさんのnoteを読んで、そこから数日経ってまた書けるようになったので、“質問の激しさの弁解”と“この日救われたこと”を書きたい。

 

このイベントは鈴掛真さんの『ゲイだけど質問ある?』の刊行記念のトークイベントだった。 鈴掛さんの短歌は何度かTwitter で見たことがある、といった程度で大してなにかを知っているわけでもなかったのだけれど、鈴掛さんとカツセさんがLGBT の話や「言葉で世界は変えられるのか?」という話をするイベントだと知って、行くことを決めた。

『ゲイだけど質問ある?』はLGBT 入門書にはうってつけだと思う。どんな人でも読みやすいんじゃないだろうか。章末には鈴掛さんのすてきな短歌が添えられているのも良い。鈴掛さんの体験や気持ちがたくさん書かれていて面白いので、ぜひ読んでみてください。

 

ゲイだけど質問ある?

ゲイだけど質問ある?

 

 

以前ここでも書いているのだけれど、私は自分のことをアセクシャルだと思っていたのに、「恋人」ができたことで余計に自分のセクシャリティがわからなくなってしまい、もっと細かく調べてみると、当てはまるような当てはまらないような微妙な分類がたっくさん出てきてしまって、もっと孤独な気持ちになったことがあった。今回イベントに行くことで、その孤独をどうにかできる突破口が見つかればいいなぁと思っていた。

ずっともやもやしてるしこういう話が出たらうれしいけど、でも一部の人にしか当てはまらない話なんてしないかな、おふたりはどういう話をされるのかなぁ、とどきどきしながらチケットを買った。

tskmrso.hatenablog.com

(カツセさんのnoteはぜひ読んでほしいけど、私の記事は長いので読まなくても大丈夫です。でも読んでもらえたらそれはものすごく嬉しいです。)

 

 

当日、イベントが始まってわりとすぐ、カツセさんが「アセクシャルの人を好きになった人から相談されたことがある」という話をされて、アセクシャルと恋愛の話になった。まさかこんなに早いタイミングでアセクシャルって言葉が出てくるなんて思わなかったから、その時は「うわ!まじか!ありがとうカツセさんに相談した人!」と嬉しくなった。まさか私が一番聞きたいテーマがいきなり最初に出てくるなんて思わないもの!

脳内で小躍りしてると、鈴掛さんから「アセクシャルってあまり知らないんですよね」的な言葉がかえってきて、はしゃいでる頭の中のちっちゃな私はピタッと動きを止めた。

 

ああ、知らないんだ。よくわからないんだ、そっか。こういう活動してるのに?

そう思った。

なぜなら、私としてはその日の鈴掛さんは《セクシャルマイノリティ代表》として登壇してるという認識だったからだ。でも、それは私の認識違いだった。カツセさんも書いているけれど、その日の鈴掛さんは《歌人でオープンリー・ゲイの鈴掛真》としてその場にいるだけで、何もセクシャルマイノリティ全員を背負ってその場にいるわけではない。というか、鈴掛さんのインタビューを何本か読んでも、セクシャルマイノリティどころかLGBT を代表して喋ってることなんて一度もない。

そのあとの「ゲイじゃなくて、僕の意見です」という言葉を聞いて、ハッとした。

私の中には、「LGBT に関する活動をしている人たちはみんなセクシャルマイノリティについてよく知ってて当たり前」というクソみたいな固定概念があって、そういう目でその人たちを見てしまっているのだ、ということに初めて気がついた。

 

今回のイベントでは、私たちが匿名で書いた質問をお二人が選んで答える時間があった。私が自分の偏見に気がついた頃にはもう質問は書き終えてしまっていて、推敲し直そうにもお二人の話が面白くてそんな隙もなく、回収され、運のいいことに選んでいただけて...。

相当強い言葉を書いてしまったなと、鈴掛さんが読み上げる声を聞いて思った。

私は昔、自分のことをアセクシャルだと思っていました。先程『アセクシャルのことはよく知らない』とおっしゃっていましたが、それを聞いてあの頃私が感じていた孤独感は正しかったのだなと思いました。お二人は、マイノリティの中のマイノリティについて、どのように感じますか?

なんかこんな感じの文だったとおもう。もう少しまとまりがなかったけど。本当に聞きたいことが漠然としていたのもあって全然上手く文章にできなくて、こんなんで言いたいこと伝わるの?大丈夫?と思うレベルだ。

 

このとき私が本当にしたかった質問は、

私がまだ自分をアセクシャルだと思っていたとき、セクシャルマイノリティの集まる場所に行ってアセクシャルだと打ち明けると、『ああ、人のこと好きになれない人ね。そんな人がいるとは思えないけどね〜』といった対応をされたことがあります。

セクシャルマイノリティを知ってほしい、受け入れてほしいと活動してる人たちに「知らない、受け入れない」と言われた気持ちで、あなたたちもヘテロと同じことをしているじゃない...と悲しくなりました。

セクシャルマイノリティという括りを知って自分の居場所が見つかって安心できたのに、その中で受け入れてもらえなくて傷ついて、世の中ではさらにさらに細かい枠ができていてもはや自分がどこの括りに当てはまるのかもわかりません。どの括りにも当てはまらない気もします。

そんな括りや言葉ならもはや無い方が良くないですか?外に向かって違いを認めてと叫ぶ人たちも、結局は自分と違う括りの人たちのことは知ろうとしませんよね。

じゃあ括るだけ無駄じゃないですか?そんなにたくさん言葉を生むだけ酷じゃないですか?括りを知って安心したけれど、その先の「括られて苦しい」という気持ちに今私は囚われています。

 

長すぎて草。でも、本当はこういうことを聞きたかった。

あんな伝わりにくい文章を書いてすみませんでした。

 

お二人の話に夢中でメモなんかとってなかった私が、おぼろげな記憶で「鈴掛さんは」「カツセさんは」って間違いを書いてしまってはいけないので詳しくは書かないけれど、鈴掛さんの回答はすごく、強い人の言葉だなと思った。自分で自分のセクシャリティと「どう生きていくか」「なにが自分か」がもう随分前に決まった人、から出る言葉のように思えた。

あの鈴掛さんの言葉に勇気付けられた人、肯定された人、世界が変わった人はたくさんいたと思う。でも私は正直「やっぱりその括り(LGBT)に入れる人は強いよなぁ...」と余計に落ち込んでしまった。

 

「個の時代だからね」と言われても、その《個》というのはそもそも《集団》がないと成り立たない。個は集団の中で認識されて初めて《個》であれる、と私は考えている。《セクシャルマイノリティ》は《ヘテロが常識だと思われている世界》という集団の中で認識されるようになった《大きな個》だ。

その《セクシャルマイノリティ》という集団の中に《恋愛感情を持たない個》が存在するはずなのだけれど、私の体験は「その集団の存在に救われた《個》が、いざその中に入ってみると《個》の存在自体を認めてもらえず、自分でも見失ってしまった」というもので。

「君は君、僕は僕、そういう時代になっていけばいい」というのは《認められてる側》の人たちの意見だと思うと同時に、私の中には《その人たちに認められなかった》ということが大きなコンプレックスとして根を張っていることに気づいた。だから、鈴掛さんのあの答えを聞いている間、私は余計に辛くなってしまった。 

確かに「アジア人でなく日本人、日本人である以前に俺」なんだけど、私はまず、アジア人であると周り受け入れてもらいたかった。

私はずっと「アジア人でいいんですよ、そして日本人ですよね」と言われたかったのだ。

 

 

一方、カツセさんは「括られることで苦しくなってしまう人もいるかもしれない」というような回答をされた。私の文章はわかりにくすぎたので、きっと先に話した鈴掛さんの言葉への返しだったとは思うのだけれど。

「括られて嫌だと思う括りだってある」という視点にこれまで私は気がつかず、がんじがらめになって身動きが取れなかった。けれどカツセさんの言葉を聞いて私は、「身動きが取れなくなるほどの言葉からは逃げていい、嫌だと思っていい」という超根本的なことに気づくことができた。その後のお話も含め、カツセさんの回答は私にとって救われる言葉ばかりだった。きっと周りの人たちから見たらほんの些細なことなのかもしれないけど、人はその些末なことで勇気付けられもするし、傷つきもするのだ。

 

誤解のないようにしておきたいのは、鈴掛さん自身は「LGBT という言葉はざっくりしているので理解されにくく、受け入れられにくい。セクシャルマイノリティはレズ、ゲイ、バイ、トランスジェンダーだけではないのでLGBT という言葉でなくて良い」うえに、「これからは個が生きる時代」だから「もっと細分化されても良い」という風におっしゃっていたので、強い立場に立って話されていたわけではない。むしろすごくフラットな方だった。

(私がひねくれているので、個だの集団だのうだうだ考えただけです。ただの八つ当たりです。)

 

 

括られることに怒りはしないけれど、苦しんではいる。

周りの人は「あなたはあなたのままで良い、属す必要はない」と言ってくれるけれど、きっと私まだは何か括られる言葉が必要なのだ。まだ、その段階の人間なのだ。しかしながら、細かすぎる括りは空っぽの場合もある。せっかく括りを見つけたのに、私しかいない。誰もいない。そんなことがあるんだと気づいたのが前のブログを書いたタイミングだった。それが寂しかったし、その寂しさをどうにかする術を見つけられないでいた。 

でも、人の数だけセクシャリティはある。セクシャリティを表す言葉もどんどん生まれる。

となると全人口分のセクシャリティを表せる言葉がいつかは生まれる。言葉と同様に、括りはどこまでも増えていく。私が苦しんだ細かい括りで救われる人は確実にいる。私と同じようにそこまで知りたくなかった人もいるかもしれない。
誰かを救う言葉で私が苦しいと感じてしまうなら、その言葉から私が逃げなきゃいけない。

 

「誰かにとっては救いで、誰かにとっては枷になる」というのは、言葉の本質だと思う。

 

言葉を使っている以上、私たちの周りでは、自分にとって良い言葉も悪い言葉も絶え間なく、雨のように降り続いている。そして、それがつらくなるときもある。

雨が降っているのを私は止められない。雨に濡れてつらいとおもう私は、その時に傘をさして歩くか、雨宿りするか、家に帰るか、雨から逃れる術を知らなきゃいけない。苦しい言葉の雨を浴びて前が見えなくなったり、息ができなくなったりするくらいなら、全力で逃げて息切れした方がマシだ。

私はちゃんと雨宿りしているのに、目の前を通ったクルマが大きな水たまりをはねて、盛大にびしょぬれにされてしまうかもしれない。それから逃げるのは大変だけど、とっさに避けられるようになるか、振り払えるようにならなきゃいけない。それか、濡れた服はクリーニングに出せばいいや、と消化できる心を持つか。

  

言葉は、必要とする人がいるから生まれる。

私たちはいつも受け入れ、拒絶し、拾い、捨てながら、言葉を使う。

全てを拾うべきではないし、全てと戦うべきでもない。

 

お二人の話を聞いて、私は逃げ方を覚えることにした。

昔の人も言ってるもの。

三十六計逃げるに如かず、って。

 

 逃げるという道を知って、

私の世界がちょっと変わった。

 

 

 

 

絶対に泣いてしまう日

f:id:tskmrso:20190108233055j:image

母と、父の実家の裏庭を歩いた。

これはケヤキ、これはツバキ、今ちまたで咲いてるのはサザンカね。これはビワ、ビワはどこかに毒があった気がする。たしかここにアーモンドが植わってるって聞いたことあるんだけどどれだろう、さすがにお母さんもアーモンドは知らないんだよね。これかなぁ。今度おばあちゃんに聞いてみよう。あら、あなたひっつきむしがブーツに付いちゃってる。家に帰ったらきれいにしなきゃね。これはムカゴ、居酒屋で揚げてあるやつが出てくるところがあるよね。東京にはないの?そっかぁ、昔はこういうものも食べてたのよ。山芋の実だからねっとりしてるかな。このムカゴのツルをたどった土の中に、山芋が植わってるの。

 

穏やかな数分間だった。まだ私が小さいころ、ふたりで父の実家の山を歩きながら、ちがう植物で似たような話をしたことが何度かあった。農学部出身の母は植物のことをよく知っていて、次から次へと名前が出てくる。結局その頃の私は植物のことなんてよくわからず、母が話してくれたことは今ではもう忘れてしまっているけれど、そういうときの母は魔女みたいで好きだった。

楽しそうに植物の話をする母が好きだった。

 

アーモンドって、そっか、突然ミックスナッツの袋に入ってるわけじゃなくて何かの実なんだよね。たしかに。はじめてアーモンドが植物だって実感したかも。山芋はたしかに根っこだもんね、そうだよねぇ。植物なんだよね、ぜんぶ。

数年ぶりに植物の話を聞きながら散歩したあの時間は、現実と乖離していた気がする。

 

久しぶりに会った母はそれなりに年を取っていたけれど、私にとっては昔の母となにも変わらない。少しシワが増えて、顔が疲れたくらいだ。それに、少し庭を歩いただけで植物のことを教えてくれる母は、やはりいくつになっても昔の母そのままだ。でも、今回は植物の話だけじゃなくて、母が結婚した頃のことや、小さい頃の話をしてくれた。植物以外のことを交えながらのんびり散歩するのは初めてで、なんとなくさみしくて、これまでにももっとこういう時間を待てばよかった、と思った。

 

今年の4月で、実家を出て丸8年になる。

上京するために空港に着いたあの時、やっと解放されると思った。これからは大いなる自由が待っていると思うと、こう言っちゃアレだけれど、清々した。

厳しい母と、それを傍観する父。そんなふたりの元で、弟ふたりの姉として育った。仲のいい両親だったけれど、そうであるがゆえに、私の孤独感は強かった。私がいちばん厳しく育てられて、私が中学3年生にならないと解禁されなかったゲームや漫画を、小学生のうちに解禁された弟たちが憎かった。

たくさん僻んだ。

当然のごとく、強烈に歪んだ。

ずっとずっと死にたくて、何度も何度も母と父を傷つけた。彼女たちは自らの意志で私を生んだし、ここまで私を苦しめたのだから、私はふたりになにをしても許されると、その当時は考えていた。だからこそ、本当に清々した。これからもまだたくさん困らせるから覚悟してろよ、とも。

少しはさみしくなるのかなぁと悠長に考えながら、それでも軽い足取りで保安検査場を通った。荷物を受け取って、せっかくここまで見送りに来てくれているのだから、と思ってゲート越しに母を振り返ったら、母が一生懸命手を振ってくれているのが見えた。

その途端、私の目から涙が溢れた。ひとりなのに風邪を引くと辛いから、と母が持たせてくれたマスクを目の下ギリギリまで待ち上げて、ぽろぽろと泣いた。なんで泣いてるのだろう、私はとてもすがすがしい気持ちのはずなのに、と思いながらも涙が止まらなかった。

ちょっとだけ手を上げて振り返すと、弟たちも手を振ってくれた。母は、自分より背の高い弟たちよりも高く高く手を上げて、そして大きく手を振ってくれた。母たちに泣いてることを知られたくなくて少し早歩きしながらも、お互いが見えるギリギリのところまで、私も一生懸命手を振った。今生の別れでもないのに、夏休みになれば帰ってくるのに、と傍観している自分を無視して、人混みの中の母に見えるようにと、私も負けじと高く高く手を挙げて振り続けた。

そして白い壁で誰の姿も見えなくなった時、とてもとてもさみしくなった。

あんなに恨んでたのに、あんなに離れたかったのに、いざその時を迎えるとさみしくてさみしくてたまらなかった。

 

私はちゃんと、お母さんのことが好きだった。

 

今すぐお母さんのご飯を食べたい。今すぐお母さんと話がしたい。いつもみたいに料理するお母さんの横で、2時間でも3時間でもおしゃべりしていたい。お母さんとお洋服を見にいきたい。お母さんとスーパーにお買い物に行きたい。お母さんとデパートに行って、お母さんに似合う靴を探したり、お母さんの好きなアロマオイルのお店でふたりのアロマオイルを買ったりしたい。最上階のご飯屋さんで皿うどんを食べたい。お母さんが教えてくれた三杯酢をかける食べ方、あれ本当においしいね。大好きすぎて学校さぼって食べに行ったことがあったんだよって教えたい。あと、あと、一緒に本屋さんに行って私の好きな本の話をきいてほしい。お母さんの好きな本を私も読みたい。

お母さんと一緒にいたい。

 

そんな色々が、もうこれからは期間限定になってしまうことが悲しかった。母のことも母との時間も大好きな自分に気がつかず、恨みや憎しみだけを育てていってしまった自分を盛大に悔やんだ。けれど、手遅れだった。

飛行機に乗ってからも、展望デッキにいる母を探した。私の方からは展望デッキにいる人は小さすぎてよくわからなかったけれど、ひとり、赤紫のスカーフを振っている人がいることに気づいた。あれは母のスカーフだ。もしかしてと思って目を凝らしてよく見てみると、やっぱり母だった。今すぐ飛行機を降りて母のところに行きたくなったけれど、我慢して窓の近くで手を振った。見えないかもしれないけれど、ちゃんとお母さんのこと見えてるよ、ありがとう、という気持ちを込めて小さく、でも見えなくなるまでずっと振った。

飛行機が滑走路を走り出してとうとう母の姿が見えなくなった時、またぼろぼろに泣いた。

前の席のちいさな男の子が背もたれの隙間からこちらを見てきたのだけれど、窓の外を見ながら泣いている私にぎょっとして、「え?なんでこのひと山見ながら泣いてるの?」とでも言いたげな顔をしていた。

 

この時からずっと、飛行機の中できゅーっとさみしくなるのは無くならない。上京してからも母にムカつくときもあれば恨みを持つときもあったけれど、東京に帰る時の飛行機はいつも泣いてしまう。毎日一緒にいるときっとダメなのだけれど、東京と私の地元は離れすぎなのだ。もうちょっと近くに、せめて神奈川か静岡くらいの距離にいてほしい。ちなみに今年の帰省から東京に帰る時も泣いた。なんなら前日さみしすぎて3時間も寝られなかった。こどもか。

 

 

国内線ターミナルから乗り込む京急は、いつもしんとした冷たい匂いがする。

地元で感じていたあたたかさはなく、誰が何をしてようが興味がないいつもの都会の空気。でもこの空気にいつも救われている。この空気を身体いっぱいに吸い込んで、お母さんお母さんと甘えきった心をリセットするのだ。

都会で8年も暮らしていれば、海と山の見える地元の車窓よりも、視界を遮る高層マンションや高層ビル群の車窓のほうが、しっくりくる。そうやって建物を眺めて、地下鉄の車窓もクソもない真っ暗な窓を見つめて、いつも通り私は自分の家に帰る。通勤でも使う路線が、しんみりとした私の心をむりやり平常運転に戻す。空港で母に買ってもらった私へのお土産は、おいしいけれどちょっと物足りなく感じてしまう。空港で試食したときのほうがおいしい。いつもそうだ。

けれど、これがいつもの帰宅なのだ。おいしいはずのお土産を味気ない晩ご飯にして、湯船につかってさみしさが薄れるのを待つ、それが私の日常に戻るための儀式。この儀式のおかげで、翌日は実家から送ってもらった荷物が届くのでさみしさが少し尾を引いているけれど、翌々日にはもうすっかりいつもの調子に戻れる。母への恨み節も全部翌々日には戻っていたのは笑えるけれども。いや、笑い事じゃない、薄情が過ぎる。

 

今年は、恋人ができて私の心が穏やかになって、母への恨みが完全に消えた状態での初めての帰省だった。これまで実家で過ごしてきた時間の中で、最もしあわせで、たのしい毎日だった。恋人氏が私の気持ちに一生懸命向き合って、寄り添ってとりのぞいてくれたおかげだと思う。ほんとうにありがとう、恋人氏。

最高の時間を過ごせたからこそ、今年はとってもさみしかった。飛行機代もバカにならないし休みもとりにくいから2年に一度でいいかなと思っていたけれど、できることなら毎年帰りたい。2年間でたまった話が、たった一週間やそこらで話しきれるはずがなかった。ましてや毎日学校から帰ってきたあと、晩ご飯を作っている母相手に3時間しゃべりっぱなしだった私が、たかが1週間で2年分を話しきるはずがないのだ。

次また帰ったときは、私の話だけじゃなくて、お母さんの話もたくさん聞きたい。またこの前みたいに花や木を、山を見ながら、海を見ながら、空と星を見ながら、お母さんの話を聞かせてほしい。

 

今の私は、お母さんが私を生んだ歳になって、お母さんとは全く違う生き方をして、全く違う景色を見ながら毎日過ごしているけれど、あのころのお母さんの孤独や苦労を想像できるようになったよ。たくさん苦労をかけてごめんね。たくさん傷つけてごめんね。やっと、あのころのすべてを仕方がない、それでよかった、と思えるようになったよ。もうこれっぽっちもお母さんのことも、お父さんのことも恨んでないよ。

これからはもうすこしたくさん帰れるように、がんばるね。

お母さん、だいすきだよ。

 

 

大どんでん返し、故にザコぴよ

(新年早々、前年の宿題を引っ張ってます。ボヘミアン・ラプソディーのネタバレな上に、セクシャル的な話をただ私の独断と偏見で書いているので、その類が嫌いな人はご注意ください。)

 

 

初っ端から独断だけれど、恋愛に関して、多くの人が心のとなりに欲を置く。もちろんほとんどの人がそうらしいので、一般的に言えばその通りで間違いないのだろうけども。

でもよく思い返してもらうと、欲しかない時もあると思う。それと同じように、心しかない時もあるのではないのだろうか。私は「欲がない」がベースだったので、「心しかない」「心すらない」の二択だったのだけれど、この「必ずしも心と欲は互いに伴うものではない」という感覚は、誰にも理解してもらえなかった。

この感覚の理論は、言い換えればむしろ全部の可能性があり得ると思うのだが、言い換えたところで伝わらないものは伝わらない。

気持ちが先に恋に落ちて身体もそこに伴う場合、身体が先に相手を知って気持ちがついていく場合、身体は受け入れられるけれど気持ちはこれっぽっちも動かない場合、気持ちはあるけど身体が繋がりを求めない場合。

全部あるはずなのだ、万人にあるかどうかはわからないけれど...。

ちなみに恋人氏は、身体の関係から始まったとして女の子をぐずぐずにすれば落ちる場合しかない信者なので、身体はぐずぐずに溺れても心まで伴うとは限らないよ、と私が言っても信じてくれない。まあ、いいんじゃないでしょうかねそれも!メンヘラキャッチャー的にはそういう女の子の方がかわいいんでしょうし。へっ。

 

話を戻すと、身体を重ねられる性別と、心が動く性別が同じにならない可能性がスターという人種を使って表現されたボヘミアン・ラプソディーをみて、私はとても肯定された気持ちになった。それと同時に、これこそ私が今まで感じてきた孤独だったんじゃないか、と胸がぎゅっとなった。

 

ここでは全て劇中の彼らとして考えているので、実際のフレディ・マーキュリーとはたくさん違う部分があるかもしれないけれど、私なりの映画『ボヘミアン・ラプソディー』の感想だと思っていただければと。

ちなみに私は涙もろい上に、こういうお話は大好きなので、号泣して恋人氏のハンカチをべちょべちょにした。私もハンカチちゃんと持ってたのに先に出してくれてありがとう。そういうやさしいところがすき。

 

ボヘミアン・ラプソディ』はたくさんのさみしさと愛が渦巻く映画だったけれど、劇中の「僕はバイセクシャルだ」「あなたはゲイよ」(字幕)という会話が、私は一番さみしくて、一番刺さった。

フレディは「バイセクシャル」なのだ、おそらく確実に。でも、メアリーにとっては、自分の元を去って違う男のとなりで生きたがってる彼は「ゲイ」以外に思えなかった。「あなたはゲイよ」と彼女に言われてしまったとき、完全に彼に感情移入してしまっていた私はすっかりメアリーを愛していたし、そんな彼女に「私を好きだったのは気のせいよ」「あなたは男性しか愛せないのよ」と言われたきもちになって、とても悲しくなった。セクシャルマイノリティーであることに戸惑うフレディが、自分と重なってしまったのだと思う。

あの瞬間、彼女は自分が恋人として愛されていた時間を否定して、彼は彼女を愛している気持ちを否定されてしまった。けれど、フレディがメアリーを愛しているのはまぎれもない事実で、陳腐な言い方をすれば、彼にとって彼女は世界で一番愛する人だったのだと思う。だから彼は、ずっと彼女を「my lover」と呼んだ。ただ、恋をして、身体を重ねたいと思ったのがメアリーでなく男性だっただけ。まだ順番が違ったらよかったのにと思ってしまう。バイセクシャルである事が分かった上でメアリーを好きになれてさえいれば、と。

 

フレディはひどく孤独な人に見えた。

スター的な孤独ではなくて愛の面での孤独。

離れてもランプで会話をするフレディとメアリー、そこには確実にふたりの世界があった。彼女は離れても自分のそばにいてくれる、繋がってくれていると信じていたのに、新しい恋人を紹介してきた。自分からの愛より別の人間からの愛を彼女が求めていたことを知った時、すごく辛かったと思う。

フレディが彼女を愛していることに嘘偽りはなかった。ただ、心と欲とがむいてる方向がちがっただけで。欲が生まれる人は難しい。心と欲の方向が同じことこそ恋愛において正しいきもちと言うのなら、この状況は正しくないことになってしまうのだから。

愛の上での正しいって、なんだろうね。

 

と、ここまで考えて何も書けなくなってしまったので突破口を見つけようと恋人氏に聞いてみた。「メアリーはやっぱり、フレディが心では自分を求めながらも身体は男性を求めてしまうことを許さなかったのかな?」と。

恋人氏は言った。

「まあ、ただの浮気だしね」

...え?なんと?

「ゲイとかバイとか関係なく、あれはフレディがメアリーに対して夫婦として必要な愛がなくなっただけだしね。浮気だよね」

.......お?

「わかんない?じゃあもし、俺が『つきののことは好きだし一緒にいたいけど、でも夫婦にはなれないかな、好きな男の人ができちゃったんだよね。でもさ、つきのは俺の一番の理解者でいて。指輪も外しちゃダメだよ』って言ったらどうする?」

あー、無理です刺します。

 

なんということでしょう。私はフレディが「バイセクシャル」であることを否定された部分に全意識を持っていかれてしまい、とんでもない読み違いをしてしまっていたのだ。

確かに言われてみれば、あの時メアリーは「あなたはゲイよ」と言ったけれど、本当はゲイでもバイでもよかったのかもしれない。あれは、おそらく意地悪だ。「自分の元を去ってしまう愛する人」というよりも「浮気した裏切り者」に対しての意地悪。男が好きとか女が好きとかは関係ない。

冷静になってメアリーの立場で考えると、指輪外さないでなんてふざけんな!と思う。そりゃそうだよ、無理だもん。「私だって幸せになりたいもん!あなたは私という理解者がいて、だいすきな恋人もいて、大事なバンドメンバーもいて、最高な環境を作れるかもしれないけど、私は下手したら一生ひとりかもしれないんだよ!」ってなる。「指輪は?」って聞かれてぶん殴らなかったメアリーはほんとうに素敵な女性だ。私なら一発殴る。マジで無理。

いやぁ、びっくり仰天。なんという勘違い。間違った感情移入。ただの浮気でした!解散!!

 

なんてことはさすがにできないので、これまでを訂正するためにも、私の感じてきた孤独について少し書く。ただ、「浮気やんけオイ」となる前までは今年観た中で最高の映画だと思えたくらい好きで、救われた部分もあったことは忘れたくない。読み間違いがあったとは言え。

 

私はそもそも、心で求める関係性と、欲が求める在り方が違うことにおける苦悩が描かれていると思っていた。でも浮気であることを認識した上で考えると、私が肯定された気持ちになったことも少しズレてる。「欲」と「心」が両方生まれた以上、余程のことがない限り両方が同じ方向を向いていないといけない。その2人が誠実さを求められる関係性だと。

そう、フレディとメアリーはお互いに誠実でなければいけなかった。それを裏切ったのはセクシャリティに関係なくフレディであり、あの展開になるのは当然のこと。それにもかかわらず、その後も彼を心配して慈愛を降り注いだメアリーの懐の広さたるや。

 

私の話をする。誰にも欲がうまれなかったころ、私はずっとさみしかった。誰かに対して心はあるのに欲が伴わないから「大切な人」という言葉を嘘だと思われたり、欲があることが前提とされて、そもそも知ろうとしてもらえなかったり。

ときどき私と一緒にいたいと思ってくれてる人がいても、結局理解されないだろうなと考えてしまってそれ以上にはなれなかった。理解した様子でも、実は理解したフリで私の心を捕まえようとしているのかも、と疑心暗鬼だった。

だから、私も自分には「恋愛」的な愛は無い人間なんだと思った。欲が伴わななきゃいけないと考えると、どんな気持ちも起こらなかった。欲さえ含めなかったら大切にしたい人は何人かいたけれど、そんなのどれもうまくはずがなかった。

 

ひとは、心と欲が伴わないと一緒にはいられないのだと理解するのと同時に、どうしても救われたかった私は、自分と同じタイプを探した。「心も愛、欲も愛、両方必要」と思わない人を。

でもいなかった。相手の中では心と欲が同居するのが当たり前で生理現象まで伴うから、こうじゃなかったらどうなるの?と混乱された。

たしかに、多くの人にとって身体の反応というのは非常に信頼性の高いもので、心や頭では大丈夫と思っていても、身体は拒否反応を示すと「ああ、自分はこれはいやなんだな」「むりなんだな」と認識を改めることができる。だからおそらく人間は身体が反応することに重きを置く。フレディだってそうだった。大切で大好きな恋人と電話をしているのに、誘うような男性に自分の身体が反応した。ああ、自分は男性とも繋がりを持てるのだ、とあのとき知ったのだろう。浮気のクソ野郎だとわかっても、あの時スクリーンの中で困惑していたフレディが忘れられない。

 

愛の上での正しいってなんだろうね、とほざいてた数日前の私に答えを示そう。

人を愛する上での正義は、相手に対して誠実であることだ。それ以外は関係ない。セクシャリティはただの分類だ。対人である以上、愛だというなら誠実でなければならない。それが正しくあるということだと思う。

 

フレディの浮気に気づかず希望いっぱいの映画だ〜〜なんて思っていたけれど、浮気とか許せない勢の私からしたら超豪華な絶望映画だった。でも、恋人氏に意見を聞いて「たしかにあなたの言う通りです、セクシャリティなんて関係ないですぅ...」と落ち込んだ私に、「これまではマイノリティの悲しみに囚われて動けなかったのに、マイノリティ以前に人間であるし、そもそも愛のことをこんなに考えられるように変わったつきのがすごいね、人と付き合ってそこまで変わる人ってなかなかいないと思うよ」と言ってくれた恋人氏がすごい。

 

絶望したとは言ったけれど、ライブシーンやレコーディングシーンはずっと鳥肌ものだったし、ライブやPVの再現度、音楽に関してはもうスタンディングオベーションものだった。普通のシアターで見たので、これがDOLBY ATMOSのシアターだったらもっともっとすごかっただろうなぁ、とすこしもったいないきもちもある。

私は恋愛映画として観てしまったからこうなってしまったけれど、ノンフィクションや音楽映画としては最高だった。

 

とはいえ結局判定ミスだったので、今年最高はパシフィック・リム アップライジングに決定。新田真剣佑かっこよすぎる。親戚になりたい。

 

 

恋人氏からひとこと

「なんでそんなに泣けるのかな〜っていろんなところで不思議に思ってたんだけど、浮気だってことに気づいてなかったんだね。さすが、ザコぴよ」

 

 

おあとがよろしいようで

1ヶ月弱経ってせっかく落ち着いたのに、アナザーストーリーとか放送されてしまって愛が爆発してしんどいので書き殴りを。自己満ブログなので、PloomTECH読んでくださったときよりも、暇で暇で暇で暇でもう暇すぎて死んでしまいそうな時に読んでもらえたらと思います。正直、なんの話?みたいなことの詰め合わせです。支離滅裂だと思うけれども、お笑いの話するときはこんな調子なのでデフォです。ちなみに、2年連続で恋人氏はこんな話を何日もかけて聞かされていてかわいそうだなぁと私も思っています。

 

我が家は死ぬほど厳しかったので初めてお笑い番組を見たのは高校生だったのだけれど、それからしんどいくらいお笑いが好きになって、中でも漫才がすごく好きになった。お笑い番組は見られるものは全部見て、その頃やってたヨシモト∞ホールでのライブの配信を見るのが日課。今では全てなくなってしまったけれど、マンスリーよしもとをはじめ、お笑いポポロお笑い男子校、お笑いハイブリッド、お笑いギャオマガジン、お笑いTVLIFE、などなどたくさんのお笑い雑誌があって余すことなく読んでいた。今は声優さんの雑誌がたくさんあるけれど、あれよりもすごい勢いでお笑いが雑誌コーナーを占めていた記憶がある。

高校生になってやっと解禁されたお笑いという文化を全力で楽しんでいたあの頃。

もらったお小遣いはお笑いと映画にしか使っていなかったけれど、私は娯楽の面ではとても満たされていた。

 

賞レースはNON STYLE が優勝した年のM-1 から全部、THE MANZAI が賞レースだった時も、またM-1 が再開してからも全部見ている。リアルタイムで見られなかったNON STYLE 以前は全部DVD借りて見た。めちゃめちゃ見た。NON STYLE 以降は、確か敗者復活もリアルタイムで見ていた気がする。大学生の時はテレビがなかったので人の家で見ていたのだけれど、誰も捕まらなかった年はテレビ買うかめっっっっっっっちゃ真剣に考えて、結局ネットカフェでみた。実はそれまでネカフェに行ったことがなくてとてつもなくドキドキした記憶がある。テレビのリモコンの使い方が難しくてよく分からず、その年のオープニングは2分ほど見れなかったのだけれど、あの時「ネカフェに行ったらテレビ見れるよ」って言ってくれた友人ほんとうにありがとう。リモコンはゲームにも使えるやつみたいで全然分からなかった。なにあれ。説明書読んでも分からなかったよ。もう少し思いやりを持って、ゲーム初心者にもわかりやすいようにしてほしかったなぁ。

 

今年は、応援していたコンビが三回戦で敗退してしまったことを引きずっていて敗者復活をリアルタイムで見られなかった。毎年10月以降はM-1 にメンタルを支配されてると言っても過言ではない。ちなみに今年も準決勝に進出したコンビを見てとっても荒れた。超荒れた。泣いたし。今年がつらすぎて、来年は応援してるコンビの名前を絶対に出さないことを決めた。私が「応援してる!」って発言したコンビは全然優勝できないし、毎年悔しい思いをされてるので、もう邪魔しない。ショックすぎて一週間仕事に身が入らなかった。来年は「相席スタート」も「コマンダンテ」も「Aマッソ」も名前言いません、本当の本当に。絶対言わない。気になったらネタを見てみてください。

 

とはいえ、今年決勝に上がった人たちはほとんどがずっとずっと応援してきた好きなコンビばっかりで、この人たちが争わないといけないなんてしんどい、けど絶対面白いだろうなと思っていた。その傍らで、優勝できるだろうなってコンビばかりの中に、ゆにばーすとか霜降り明星とか若いコンビがいるのかわいそうだなぁ、来年またってなっちゃうのかなぁ、と思ってもいた。でもご存知の通り、霜降り明星が優勝。せいやくんがすごく気持ちのいい喜び方だったし、うわー!ってなってた粗品さんがかわいくて最高だった。ほんとうにすごかった。私にとってはいっっっっっっちばん面白い年だった。後半ずっと笑って、わー!!って言ってた。川瀬さんは自殺してしまうんじゃないかってくらい憔悴しきってしまう結果だったけど、まだ引退しないことになってよかったなぁと思っている。

 

今年、自分の中でいちばん印象が変わったなと思うのはジャルジャルだった。

私はレッドシアター時代のジャルジャルが大好きなので、コントをしてる彼らが好きだ。南くんってネタがあるのだけれども、それがかわいくて好き。だからM-1 に出てセンターマイクの前でコントしてるのをみてめちゃくちゃ腹が立っていた。漫才が好きだから「これは漫才じゃない!」とも思ってしまうし、ジャルジャルのコントが好きだから「あなたたちはコントの人たちだから!」と思ってしまって、決勝メンバーに入ったのを見るたびに毎年、またか!もういいよ!コントに集中して!!と荒れていた。めっちゃムカつくって今年も言っていたのだけれど、1本目をみて彼らの漫才で初めてゲラゲラ笑って、大好きなジャルジャルだ!ってなった。あのネタはすごかった。いつもなら突然変なことを始めて、しょっぱなから二人だけの世界を作るはずが、今年は掴みのボケに対して後藤さんが客席に「すみませんね」って言葉を投げ、その後の導入が「小学校の時にやってた遊びを久しぶりにやると楽しいんですよ」で始まる。これはジャルジャルらしくなく、漫才だなぁと思った。そのあとはもう思う存分にジャルジャルワールドだったけれど、これまでよりもちゃんと漫才の形にしようとしたのだろうな、と思った。

アナザーストーリーで描かれていたのもそこだった。中川家の礼二さんに認めてもらいたいと思うふたり。漫才を一生懸命探すふたり。「いつのまにか漫才に一生懸命になってしまってる、人生が漫才におかされてる」と表現した福徳さん。その隣で「漫才病や」と言った後藤さん。ふたりとも苦しそうな表情だった。毎年礼二さんは89点をつけて「漫才じゃない」とコメントする。ジャルジャルは自分たちはコント師だと思ってM-1 に出てるのだと思っていたから、去年福徳さんが泣いたのも驚いたし、こんなに礼二さん礼二さんって思っていることも意外だった。

だから、今年の礼二さんが93点を出したあとの彼らの清々しい顔を見て、ああすごい人たちだなぁ、ジャルジャルが追い求めた最後の漫才は本当におもしろかったなぁ、と感動した。M-1 ガチ勢なのでもちろんそのあとの大反省会も打ち上げも、なんなら準決勝の密着動画もちゃんと見たのだけれども、去年はかなり悔しそうで泣いていた福徳さんが、今年はすごく晴れた顔をしていたのがよかった。もう大好き。実はあの1本目のネタは台本がなくて、場の雰囲気で後藤さんがツッコんでるというのを聞いて白目をむいた。すごーい!後藤さんすごーい!!サイコー!!!!!って打ち上げ見たあと思ってた。彼らのラストイヤーにこのネタを見られてよかったなぁ。

昔の黒Tシャツとチノパン短パンでやってた頃も好きだけど、お揃いのてろってろのスーツもすごく好き。超かっこいいよね本当に。だいすき。某動画サイトに上がってるラジオを聴きながらこれを書いてるのだけれども、今小藪さんがめちゃめちゃ褒めてる。最高。

 

スーパーマラドーナマラドーナ時代から好きで見てたので、近年の田中さんの「売れたくない」「M-1 しんどい」っていうユルいかわいさと、武智さんの隠せてない田中さんへの愛とが合わさって、ラストイヤーというのもあってめちゃめちゃ応援してた。怖かったけど、おもしろいネタだったなぁと思う。田中さんは普段全然売れなくていいって言ってるのに、アナザーストーリーには田中さんがボソボソひとりで壁に向かってネタの練習してる姿がうつってて、胸がぎゅーってなった。田中さんも一生懸命だった。スーパーマラドーナは武智さんが「漫才好き!M-1 好き!」ってのが目立つから気がつかなかったけれども、もうイヤやって言ってる人があんなに練習してたなんて、うるうるした。いろんな人が田中さんがMVPだったなって言ってたのがよかった。スーパーマラドーナがこれから楽しく漫才できたらいいなと思う。

 

和牛は、もう、あの、神様お願いって感じ。いつか報われてほしい。今年みたいなやさしいネタが好きだな、和牛は。ゾンビのネタすごくおもしろかったし、腰にまきつけたロープが見えたのが、本当にうまい人たちだなぁと。2本ともおもしろかった。演劇みたいなネタだったなぁ。この人たちはふたりとも仲良いから見てて楽しい。大好き。あのあとの和牛のラジオ、ふたりともちょっと涙声で私までうるうるした。なんでこうなるんやろうねぇ。アナザーストーリーの「しかし、彼らは決して漫才エリートではなかった」っていう回想の導入ナレーションもよかった。和牛にやさしい世界であれ。

和牛が上位3組に入ったことで敗退してしまったミキが、ブースを去る時に和牛に頑張れよって応援してたシーンがすごくグッときた。ミキも兄弟で仲が良くて好きなのだけれど、こんなにやさしい人たちなんだなと知ってもっと好きになった。ライバルなのにあんなに相手を鼓舞できるって、すごい。本当にすごい。あんな懐の広さを私も持ちたい。負けたのに、和牛のことも霜降り明星のこともめちゃくちゃ大好きで感動したって話をしてる弟の亜生くんはすてきだ。

ミキは敗者復活のネタもおもしろかった。プラスマイナスもおもしろかったし今年がラストイヤーだったので、まだチャンスのあるミキは無理かな?とも思っていたのだけれど、決勝に行けたことは本当にうれしかったし、ネタがちゃんと面白くてよかった。昔はどのコンビもよく敗者復活と決勝と同じネタしてた印象があるけど、違うネタをやれるミキはすごいなぁと思う。

ちなみに私は親友と一緒にミキを応援してます!どんなニュースもLINEで拾って送りあっています!大好きです!!そんな私たち一押しのインタビューはこれです。弟の亜生くんメインだけれど、すごく良い記事でした。読んでよかった。

form.allabout.co.jp

 

ちょっとね、私にはトムブラウンは難しかった!ロン毛と坊主が苦手なのかもしれない!難しかった!おう..........と思いながら見てしまった!!

霜降りはリア垢でめちゃめちゃ興奮して書き尽くしてるので割愛で。粗品さん同い年なのよね、すごいことだなぁと思う。

 

アナザーストーリー見て感情爆発したのはかまいたちのところだったのだけれど、かまいたちは私の青春だったのであとで泣きながら書く。その前に敗者復活の話を1組だけ。

いや、金属バット!!!!!!!!!!

出てきて「ウェイ、さっぶ」、相方さんのコケコッコーというオチに「オラァ、あざしタァ!」え?やばくない?ツッコミが超パンク。「は?」ってめちゃくちゃネタ中に言う。有名人に「おん?ああ?」って絡む。敗者復活では言わなかったけれども、「おあとよろしいちゃいまっかのう」って締めが好き。でもね、めっちゃパンクなのにね、ちゃんとツッコミなのがすごい。あと割と緊張しいっぽいところが人間らしい。それと、二人の笑顔は最高。あれ?でもこのコンビもロン毛と坊主だな、なんでだろう、でも好き。ガサツで荒くてガラが悪い「お漫才」だけれど、とてもかっこいい。イカツいネタでも平気な人たちにはぜひ知ってほしい芸人さんたちだ。

あと敗者復活でもう1組、たくろうという2年目のコンビがほのぼのしてて良かった。

 

さて、さてさて。かまいたち。高校生の時、大阪の芸人さんで いちばん好きだったのがかまいたち。今年で14年目、最後にしようと思って出ていたかまいたち。好きな理由は濱家さんの顔が好きだからとかではない。好きだけど。

GYAO !の大反省会と打ち上げと、あまり良くないけれどいろんなところでアナザーストーリーをかき集めて見てほしい。とりあえずいい話の邪魔になるので、今回のふたりの好きなところを先に書いておく。

まず、1本目が終わってウケて、他の芸人が待ってるところを通る時にガッツポーズをできる、その自信があるところが好き。意外と点数振るわなかった時に「あーまじか」みたいな顔になってちょっと不満そうなところが好き。そのあと暫定ボックスに行く時に他の芸人の前で「もっと点数出てもよかったのに」って言えるところが好き。霜降り明星がウケるたびに自分たちの負けの可能性を噛み締めてるところが好き、苦しかったと思う。結局霜降り明星に押し出されて敗退した時のコメントで、意味のわからないこと言っちゃう濱家さんがかわいい。実は「ここからはKOC王者として見させてもらいます」ってコメントするからって山内さんが言ってくれてたのに、変なこと言っちゃったの本当にかわいい。すぐさま始まった大反省会で自分たちの座り位置を確認するために一個ずつ数えてる濱家さんかわいい。それに気づいて座りにいく山内さんかわいい。座るべき椅子を教えてあげる濱家さんすてき。濱家さんがクシャって笑うのがかわいい。山内さんはいつ見てもやっぱり中国人のネタの人に見える。キリがないから終わり。

私がかまいたちを知った時には、もうすでに人気があるコンビだった。私が見るお笑い番組に出ていて、結構激しい言い合いをするネタのコンビだなぁとは思ったけれど、でもふんわりと漂うやさしい雰囲気が好きになった。その年、私の地元に大阪よしもとの芸人さんたちが来てライブをしてくれたのだけれど、その時もかまいたちがいちばんウケていた。すごくすごく面白い人たちだと思った。

でもそこからしばらくM-1 ではあまり名前が上がってこず、むしろ私がもうテレビでお笑いを見なくなってから、彼らはキングオブコントで優勝した。

高校生の私は知るすべがなかったので知らなかったが、彼らを知った年のM-1 予選で山内さんがネタを飛ばし、かまいたちは敗退してしまっていたらい。アナザーストーリーで知った。まさかそんなことが起こっていたとは。昔から自信のある発言をする人たちだとは思っていたけれど、その自信がなくなる時期があったとは思いもしていなかった。あのあとよく見たのは確かにコント師のふたりで、わざわざお笑いを追いかけなくなった私は、かまいたちの漫才をしばらく見る機会がなかった。

ネタを飛ばした山内さんの、しばらく言葉が出ない様子がつらかった。そんな山内さんを責めずに「これが今のかまいたちの力だったのかな」と言った濱家さん。ひょっとしたらこのことで二人は喧嘩をしているかもしれないけれど、少なくとも私の見られる範囲の中ではかまいたちは素敵なコンビだ。

それから8年、コント師として日本一になっても、彼らはM-1 に出て、決勝まで進んだ。4番目に呼ばれてちょっと早かったかな?とも思ったけれど、あの順番でかまいたちが出ていないと会場はいつまで重かったのだろう。かまいたちは例年よりも緊張気味の客席をしっかり爆笑させ、そのあとのコンビもそのあとに続くことができた。ネタも最高だった。きっと作戦だろうけど、濱家さんが山内さんにツッコミながら笑っていたのがすごく良かった。本人たちのああいうところを見るとこちらもネタに乗りやすいので、お客さんの緊張が解けたのはそういうところもあったのだと思う。すごく良かった。だからこそ残念だった。私は見るだけなのでわがまましか言わないけれど、正直来年もまたみたい。スロットで大負けしてもう行かないって決めても翌日並びにいっちゃう山内さんが、今年で終わりって言ってるM-1 でも似たようなことしてくれないかなって思ってしまう。濱家さんが「仲間感ありますよ。ずっと同じ劇場でやってきてるので、決勝決まったメンバー見て、ゴールテープの前に横一列になって手繋いでる気分になりました」って言ってたけれど、また戦うあなたたちが見たいです。大好きです。

 

今年は、私の青春がいちばん詰まった大会だった。本当に楽しかった。

来年はM-1 が終わったあとに生配信する二つの番組をやめて、もう早くお家に返してあげてほしいなと思う。あの場で戦うってとてつもなくしんどいことだと思うし、みんな優勝したくてきてるだろうから、せめて負けてしまった人たちは早く解放してあげてほしい。もちろんファンだからあんな番組があると楽しいし見るし、番組があるおかげで私も満足できた部分がたくさんあるけれど、こちらの欲を満たす以上に芸人さんたちに早く休んでもらいたい。せめて来年は。来年あるのかな。アナザーストーリーなんてあそこまで撮りためてるの見せらせたら、もう終わってしまいそうな気持ちになるけれど。生配信のあの番組がなくても、私はM-1 が好きだから大丈夫ですよ。

これにて、私の青春はおしまい、かな。たのしかった。芸人さんたち、ありがとう。

 

おあとがよろしいようで。

 

 

さよなら禁煙 (思いがけず長編)

f:id:tskmrso:20181225120034j:image

とうとう買ってしまった。Ploom TECHを。

今の会社に入ってからの二年間で、寝る前に二本吸わなきゃ寝られないところとか、二箱持ちがデフォルトなことろとか、チェーンスモーカーなところとか、そういった全部をやめていけるように頑張っていた。そのおかげで今ではもう三ヶ月か半年に一度吸いたくなるくらいで、ほぼ卒煙も近かった。まあ、ここからが一番遠いと思うのだけど。

 

事の発端は二週間前、出社前に寄ったゼブンイレブン。

ゼブンイレブンのおにぎりは梅こんぶが好きだけれど、あれはひとつ食べてしまうとふたつみっつと止まらなくなるのでもうずっと買ってない。人の舌をとりこにするヤバい成分でも入ってるんじゃないかな。

そんなことを考えながらチアシード入りのアセロラドリンクを持ってレジ待ちの列に並んだとき、レジ前に作られたキラキラと光る箱たちのブースが見えた。ほんとうにキラキラしてた。

パッケージは別にキラッくらいなのだけれど、《ストロベリーマンゴー メンソール》という文字が、最近の夜景やイルミネーションばりに、それはもうとてつもなくキラッキラして見えた。私の目には。運命。

ストロベリー、だいすき。マンゴー、だいすき。メンソール、超絶だいすき!!!!というような具合でこの瞬間に頭のネジが何本か緩んでしまった私は、まだ味も香りも知らないストロベリーマンゴー メンソールへの恋に落ちた。

 

「あなたのこと好きですよ」とは少しも思わせないことが得意な私は、ストロベリーマンゴー メンソールにもこの態度を貫いていた。二週間、ストロベリーマンゴー メンソールという言葉を発したのはツイート一回と家で恋人氏に一回。たぶん。(自覚している分なので、恋人氏に聞けばもう少し多いかもしれない)

それでも私の頭の中はストロベリーマンゴー メンソールのことでいっぱい。しんどい。あと半分残ってるアメスピの緑に少し罪悪感を抱きつつ、

「あ〜恋人がいるのに違う人のこと好きになっちゃう人の気持ちってこんな感じか〜」

と、完全に浮気を疑似体験した感覚だった。

 

しばらくそうやって悶々と過ごしていたのだけれど、先週の金曜日、もう想うだけでは我慢ができなかった私はPloom TECHを使ったことがある会社の上司にインタビューした。私は使用感を詳しく教えてほしかっただけなのに、ところがこの上司は私からダダ漏れの「ストロベリーマンゴー メンソールを吸いたい!!!」を察知してしまったらしく、クズ男よろしく

「じゃあ吸ってみてよ、それで俺にも感想教えて」

なんて言われてしまって、もう私のストロベリーマンゴー メンソールへの気持ちは大爆発。

私は基本的にチョロいので、こういうタイプの発言には大抵免疫がない。余裕で免疫をつけられるレベルで周りはクズだらけだったのだけれど、私が免疫をつけてこれなかった。

以上からお察しの通り、この日帰ってからの私の話はほぼ全部この上司の話でした。恋人氏はつまらなかったと思う。ごめんね。

 

そんなこんなでストロベリーマンゴー メンソールに恋してる私のために、恋人氏がおととい「東京駅にPloom TECHのショップがあって、試せるらしいよ」と調べて教えてくれた。なんて素敵な彼氏なんだ、最高。

でも確かその時の私はこの気持ちを暴走させたくなくて、「ふーん、そうなんだ」くらいにしか返さなかった気がする。返しが完全に童貞。もうちょっと話を膨らませられただろ、と反省している。

でも「俺も気になるから行ってみる?」と恋人氏は言ってくれて、「(絶対買うことはないだろうけどまあまあまあまあ見るくらいなら良かろうよ、試しに吸えるしね、まあそれくらいならいいんじゃないかな、上司にも試しに吸ってみたけどそれで満足でした〜って報告できるしね)行く!!!!」という流れでクリスマスデートが東京駅に決まった。

 

もうそこからは山を転がる雪玉の如し。

ショップに着いて恋人氏が店員さんに試し吸いをしたい旨を伝えると、順番に案内するから少し待ってくれと言われた。チョロいので、ほうほう、店員さんがひとつずつ教えてくれるのね、なんてやさしいお店なの、と心を掴まれるはずではないところでばっちり掴まれた。そのお店もストロベリーマンゴー メンソールが私のことを出迎えてくれて、私の頭も心もストロベリーマンゴー メンソールでいっぱい。おかげでPloom TECHのアクセサリを見て待っている間の記憶はそれほどない。

 

「お待たせしました」と声をかけられてめちゃめちゃお洒落なカウンターに座ると、かわいいお姉さんがPloom TECHの説明を軽くしてくれた。まったく覚えてない。

そしてお洒落な立方体のホルダーに刺さったPloom TECH本体と、8種類くらいのフレーバーの一覧を差し出され、お姉さんに「どれにされますか?」と聞かれた。たしか。

そんなのストロベリーマンゴー メンソールに決まってます!!!!!!と叫びたい気持ちを抑えて、まず、恋人氏がフレーバーを選ぶのを待った。一応慎ましい彼女でありたいという理想があるので、余程のことがない限りこういう場合は恋人氏の後に言うようにしている。

できているかは恋人氏のみぞ知る。たぶんできてないんだろうなぁ。

恋人氏が普通のたばこフレーバーを選んだ後に、少し考えて、「じゃあ、ストロベリーマンゴーで」とお願いした。もちろん考えたフリだけれど、そうでもしてないとわくわくでどこかに飛んでいってしまいそうだった。

 

そこから全部のフレーバーを試して、やっぱりメンソール最高〜!と言うような心地の中、何色にするかを決め、マウスピースをつけるか迷い、ケースを買うか迷い、一瞬我に返った。

 

「いやいやいやいや、待って待って普通に買う流れじゃん買うつもりじゃん。買うの?え??買うの??歯の治療の請求が10万円くるよ?来月お金ないよ?本当に買っちゃうの?せっかく禁煙できてるのに??本気??」と戸惑う私の天使。

「は?黒購入一択」と言い切る悪魔。

 

軍配は言わずもがな悪魔に上がった。もう天使なんかほんの一瞬、時間にしてどのくらいだろうね、よくわからないけどすぐ消えた。

恋人氏は本体は白を買って、最初に吸った普通のたばこフレーバーを選んでいた。私は黒の本体で和梨洋梨ミックスのメンソールを買った。

 

せーの、

「え!?ストロベリーマンゴー メンソールは!?」

 

解説します。

いつでも会える芸能人と滅多に会えない芸能人に会えた時にどっちの方がテンション上がりますか、それは滅多に会えない芸能人でしょう。

毎朝私を誘惑していたストロベリーマンゴー メンソール、この日はストロベリーマンゴー メンソールに会いにきたと言っても過言ではない。

でも私はそこで出会ってしまった...いつものコンビニにはなぜか置いていない、和梨洋梨ミックスのメンソールと。

もちろん恋い焦がれたストロベリーマンゴー メンソールもすてきだった。一吸いして、心がとろけた。ああ、これを私は知りたくてこの二週間ずっと胸が苦しかった。はあ、おいしい。そんな具合でデレデレだった。

お姉さんに「何か他のも吸ってみますか?」と聞かれて、メンソールだいすき勢の私は「そしたら、和梨洋梨のものを...」とまたメンソールを頼んだ。和梨洋梨って香りに違いがあるのかな?と、ストロベリーマンゴー メンソールの時ほど興奮はせずとも少し楽しみにして、お姉さんがセットしてくれるのを待った。

一口、煙を肺に入れて、おや?意外と普通のメンソールだな?これならやっぱりストロベリーマンゴーくらいまで考えたあたりで鼻に梨の香りがふわっと抜けた。

ずぎゃーんってきた。

 

はい決定、もうこれです。これでした。今日までずっとストロベリーマンゴー メンソールに恋い焦がれてきたのに。浮気性にも程があるけど、これ。ストロベリーマンゴー メンソールにはいつでも会える。でもこのミックスグリーンクーラーにはまたしばらく会えない。会えないなら今この時を大事にしたい。

ごめんなさい、ストロベリーマンゴー メンソール。いつか絶対あなたのもとに戻ってくるから...

 

ということで、私の華麗なる浮気により和梨洋梨ミックス メンソールを購入することになった。家に帰ってから吸ったらやっぱり最高だったので、思い切って浮気してよかったと思うのだけれど。

 

今朝はいつものセブンイレブンには行けなかった。