月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

身バレ必至の大学時代の話

映画の勉強をする大学で、録音部に入って音の勉強と映画の音の人になるためのいろんな訓練を受けていた。

私はマイクが重たすぎ+筋肉なさすぎ+体幹なさすぎ+すぐ疲れてしまうというポンコツ要素が揃っていてマイクは持てないので、座って音を聴く責任者をほぼずっと担当していた。録音技師という。

 

録音技師は、カメラマンの女房役だ。カメラマンは監督の女房役。
カメラマンのパートナーだからと言って、監督のパートナーかと言われると、私はあまりその感覚は持てなかった。突き放しているわけではないけれど、カメラマンと監督の間の強い信頼感には勝てないというか。入り込む余地がないというか。
もちろん音が関わってくる相談だったり、監督が作品をどうしたいと思っているかの相談にはちゃんと乗る。こちらから相談することやアイディアを出すこともある。

でも、やっぱりカメラマンと私の間にあるような熱量で監督と向き合えていたかな、と考えると足りなかったなぁと思う。

 

私のいた大学は、1年に2回ほど授業で映画をとる。4年生は卒業制作の1回。30分の映画を作るのに4ヶ月程度を使うので、あまり多くは撮れない。だから正式に部署が分かれてからは5回しか作ってない。あとは学生同士の自主映画。私はあんまり一緒にやりたいと思う監督がいなかったので、撮影はやってない。脚本のお手伝いと整音はしたけど、撮影現場は行ってない。

なぜか。答えは簡単。そのカメラマンと信頼関係を結べる気がしなかったから(頑固かよ)

 

や、正直選り好みするべきではないし、どんな相手ともやれた方がいいに決まっている。普段の仕事だってそうだと思う。みんなそうしていると思う。でも、撮影現場でたまにある「降りる」というアレは、まあこういうことだったりする。監督を信じられない、自分の上司を信じられない、作品への面白さを信じられない。。。
契約書を交わすとそういうことは圧倒的に減るだろうけれど、そもそも学生が有志を募ってやっているものなんて、急にスタッフが一人二人来ないとか頻繁にあるし、スタッフが集まりやすい監督、集まりにくい監督なんてのが授業よりわかりやすい形で表に出てきてしまったりする。

で、類にもれず私も信頼している男の子以外の女房役になりたいと思えず、その結果撮影現場で録音技師を担当することはなかった、というわけだ。

 

なぜ信頼している一人の男の子以外と組みたくなかったかというと、これは完全に私が悪いのだけれど、どうしてもカメラマンには脳内を犯されてる気分になってしまうからだった。
なんせ、私たち二人は学生監督を支える柱の一本で、しかも他のスタッフ達よりも全ての場面で圧倒的に決定権があり、私たちの働きかけ次第で監督の決めることが変わってしまったりするのだ。他のスタッフたちも普段は友達なのに、急に突き放したりする。私の同級生達はしんどいことがあるとみんな逃げたい子達だったので、カメラマンと二人して踏ん張ってみんなを留めたり、監督とカメラマンと三人で作品にとっての正義をぶつけ合ったりしなきゃいけなかった。それでもみんな、何かあると「お前に任せる」「俺は良くないと思うけどお前がいいと思ったらいいんじゃね?」とかって言って、一線を引く。「俺らにそれを決める権利はないから」って。ひどくね(笑)
そんなの、とんでもなく孤独な気持ちに襲われるに決まってるじゃないか。

私が唯一受け入れられたカメラマンの彼も、似たような感じだった。普段はとても人気者で慕われていて、楽しそうにしているのに、いざ映画が動き出すと一気に孤独になる。私は彼の苦しい顔をたくさん見ていた。多分彼は監督の苦しい顔をたくさん見ていた。私の苦しい顔を誰がたくさん見ていたのかは知らない。いたのかすら知らない。

 

学生だからなのかなんなのか、一緒に作品をよくしたいと思う気持ちはみんな持っているはずなのに、どうしても孤独だった。孤独だと、孤独同士集まった。初めてその孤独を知ったのが、2年生の最初の実習の時。監督の男の子も死ぬほど孤独だったと思う。私たち二人もかなり監督に対して怒りを覚えることがあって、その瞬間に監督を一人にさせてしまった。役職的にトップに立っていない人間は、上の立場の人間の動向をよく見ているのだな、とその時とてもよく理解した。カメラマンと私が監督に対して一線を引いた時、他のスタッフも監督と一線を引いてしまった。本来私たち以外に監督に寄り添うポジションであるはずの助監督も一線を引いてしまった。

そんなことをしていて、作品がよくなるはずがないのである。これはもう明確にわかりきっていることで、その日の撮影は本当にダメダメだった。でも、私とカメラマンである彼は息が合っていたのか、その日二人で初めて飲みに行き、「なんで監督のことを見放してしまったのか」「そもそも作品をどう解釈してるか」「我々がお互いに何を求めているか」というのを朝までずっと話した。二人ともあまりお酒が飲めないので、終始素面のまま朝まで話した。(次の日も余裕で撮影)
まあその話し合いのおかげもあってか次の撮影から流れが出てきて、なんとか納得に近い形で全ての撮影を終えることができた。

 

多分、カメラマンの彼と私にとってこの時の出来事がかなり大きな成功体験として記憶されており、『誰となら監督を一緒に支えられるか』『自分の撮る画を誰の音で彩ってほしいか』『誰の画をよくする音を作りたいか』というのをその先何度も考えなきゃいけない時に絶対にお互いの顔が浮かぶようになってしまった。

「俺はここをこうしたい、お前は?」「録音優先だとこうするけど、画を優先するとこうじゃん?監督の意見聞く前にここですり合わせしとこう」「お前は多分そうだろうなぁ、俺もなぁそうなんだよなぁ、でも監督はそうじゃないんだよな」「頑固だしね、監督」「な。まあ俺が説得してみても無理だったらお前が後から助けに来てな(笑)」「いいよ(笑)」みたいなことを話せるくらいまでお互いの感覚を分かり合えていたので、そりゃそうだよねという感じ。

 

あと、確実にビジネスパートナーなのもよかった。大学生で色々ギラギラしているお年頃なので、「あれだけ一緒にいて、思考を共有していて『相手のことがよくわかる』と思ったり好きになったりしないのか」と何度もなんども聞かれたが、マジでない。その場に二人ともいた時はお互いに「マジでない」と言ったりもした。マジでない。本当にない。というか、そりゃそうなのだ。「この作品についてどう思うか」みたいな話はするのだけれど、カメラマンが普段の男子大学生の時は普通に何を考えてるかなんて気にならないし、それは向こうも多分一緒で、『監督を支える』『作品をよくする』というミッションが課されている時のみタッグを組む相手、という感覚だった。普段からタッグを組みたいなんて思ったこともない。
あとは、単純にその男の子の好きな女の子のタイプがおっぱいの大きい小柄な女の子だから+私は私で恋愛感情を抱かないから、というところで恋愛感情が湧いて起こるわけがなかった、というのもある。マジでない。

 

卒業制作のひとつ前の実習のとき、初めて彼とグループが分かれた。これは先生たちが勝手に決めたので自分たちではどうしようもなかったのだけれど、初めて分かれて、分かれたとお互い知った瞬間私は録音技師をしないと選択した。嫌だもの。彼以外に脳内を犯されるのは無理だもの。あと、ここで録音技師をやってしまうと卒業制作のときに録音技師はしない、という暗黙の了解もあった。

そんなことを知ってか知らずか、その日の授業終わりに彼がふらっと録音部のゼミ室にやってきて「お前今回技師じゃないよな?」と聞いてきた。「そっちは?」と返すと、「俺は卒業制作でカメラマンやるから譲った。だから卒業制作の時はお前が技師な」と彼は言った。ちょっと嬉しかったので、「でも卒業制作は3本か4本作品あるのに、選ぶもの被るかな?しかも下手したら争奪戦だよ?」と返したところ、「いやー、正直お前と選ぶ作品が被らない気がしない。ここまで全部示し合わせもせずに一緒のもの選んでんだから、余裕でしょ。だから技師な、絶対な」とまたもや嬉しいことを言ってくれた。

正直、女房役としてけっこう認めてくれてるんだなぁと実感できて、かなり嬉しかった。「どうせなら今回も同じで全部の実習お前とやりたかったな」って言われたのも嬉しかったけど、さすがに気恥ずかしかったので「私はたまには別々でもいいかって思った」なんて返した。

 

その半年後、卒業制作の準備が始まった。前の実習の時の約束通り、私は彼と同じ作品を示し合わせもせずに選び、録音技師を担当することが無事きまった。この前とは逆に、私が撮影部のゼミ室に行って彼がどうなったかを探ることにした。

 

「お前ちゃんと技師になれた?」
「......なったよ」
「何その間。なれなかった?録音部そんな技師やりたいやついる?」
「いや、ミキサーにはなったよ」
「え、じゃあやりたい作品から外された?」
「いや、、、」
「なら最初に選んだ作品違った?俺これなんだけど...いやいやいや、今回はこれ一択だろ、これ以外になくね?」
「...これ以外にないよねぇ」
「いやいや、まてまてまて、いやお前案外もう一つの方に行くって言いかねないなとも思ったけど、最終的にはこれだろうと思ってたわ、ちがうの?」
「ちがくない、それやる笑」
「は?これ?おなじ?」
「うん、同じ笑」
「おいー!焦ったわ!」
「はは!おもろ!笑」
「だるいわー」
「焦ってやんの〜。これ以外やるわけないじゃん、そっちこそカメラマンなれたの?」
「当たり前よ、何のためにここまで授業態度よくしてたと思ってんだよ」
「いやそれは知らん興味ない」
「は?冷たいかよ。まあでもとりあえず、これで一旦俺らは何とかなるな」
「何とかなるかなぁ、脚本けっこう難しいよ?アップばっかりにしたくなるようなことばっかり書いてあるよ」
「これアップばっかだったら俺らが死ぬし編集部にキレられるわ」
「繋げない画になるよね。たぶん現場は喧嘩起こるだろうなぁ」
「俺が何言っても見捨てんなよ」
「こっちのセリフ。あと現場終わった後も見捨てないでね、いつもポスプロ(編集期間)で興味なくすじゃん」
「それは保証できん」
「じゃあ私も見捨てるかも」
「嘘じゃん」
「ははっ。とりあえず編集部とは仲良くしとこ」
「それな。あとお前演出の教授と喧嘩すんなよ」
「たぶんするわ、嫌いだもん。絶対口出ししてくるじゃん。あんたもカメラ取られないようにしなよ」
「取られそう」
「取られたカットが使われたら私音つけたくない」
「作品のためにも死守する」
「ぜひそうして。編集部にも言っとこ、そんなのうちらの作品じゃないから教授が回したカット使わないでって」
「それだな」
「いやーそれにしても」
「卒業制作まで一緒にできてよかったわ」
「ね」

 

青春か?????

 

青春だった。この年の夏が一番楽しかったかもしれない。いろんな人とたくさん喧嘩してたくさん泣いてたくさん話し合ってたくさん怒ってたくさん笑って。ロケハンと称して知らない街を彼の運転で走り回ったり、別のロケハン帰りに車両担当の先生にコンビニのアイスを奢らせたりして。セミが鳴く前に音録りが必要だから、って彼に運転させて色んなところに録音しに行ったりもした。

やっぱり彼は撮影が終わると若干作品自体から興味を失って、「薄情だなやっぱり!」と責めることになった。私はいかなるときも見捨てなかったのに。

 

あの彼との日々は、私の中で「性別を意識しなかった人との楽しかった日々」として一番濃く記憶に残っている。正直どちらかが性別を意識したり、好意を抱いたりしてしまうとあそこまで上手くいかなかったと思う。

これは私の唯一の成功体験だ。だからこそ、また他の人とも性別の壁を超えられるんじゃないかと感じてしまう。

私が「男女でも友情が成立する」と思っている根拠はこれだ。彼と私は、友情というよりビジネスパートナーだったけれど。

 

それでもやっぱり、男女の友情は成立すると思いたい。思わせてほしい。

 

 

 

 

 

 

ちなみに演出の先生とは死ぬほど喧嘩した。

 

 

 

すぐアガペーとか言う奴

stand.fm

 

とまあ、夜中にstand.fmでキレ散らかした上に泣くまでしたのだが、まだ腹落ちしないので書く。

 

私のことをとてもよく理解している人だと過去にその人を表したことがあるが、ここで前言撤回する。何も理解していない。
そして私も彼のことを理解していなかった。そしてもう理解したいとも思わない。

 

そもそも、世界くらい恋人相手でなくても広げられるだろうがよ。お前の世界どんだけ狭いんだよ。
「恋人さえいればいい」タイプはなんでこうも全員「世界は恋人でできている」になってしまうん。
いや、まあそれは人それぞれなので良い。どうでも良い。ああそうですか、そうなんですね、という話でしかないからそこをディスるのは違った。ごめん。

だから私の「恋人だけが世界じゃない」「自分の大事な人たちだけが世界じゃない」という価値観も「へえ、そうやったんや」でええやろが。なんでこんなだるいことになるん。ほんっっっっっっとうに好かん。

 

私「数年一緒におったらそりゃまぁ影響は何かしら多々ある」

何某「誰かと一緒にいるってそういうところに意味があるよね、自分一人じゃ知れなかったことを知れるという点で」←これはわかる。ちゃんと会話。


私「でも、一人じゃ知れないことを知れる相手が彼氏である必要はないなという結論に至った」


何某「恋人でもいいしそうでなくてもいいと思う。その程度の相手だったんだよ。別に世界を知るために付き合うわけじゃないし。」←その程度の相手のくだりは関係ないやろ、と思うがまだ会話できてる。


私「(話は少し飛んで)恋人という存在は、叶えたいことがたくさんある私にとっては枷になることがわかった(単純な研究結果)」


何某「恋人作れって話じゃない。枷というほどならよっぽどひどい人に当たったんだね」←作れって言われたとそもそも私は思ってない。ひどい人云々も私はそんなこと一言も言っとらんがな、どこから飛んできた?


私「『枷だと思い至る=元彼やばい』という回路ではなく、『恋人をないがしろにすることは有り得ない』という大前提と『私が望みを叶えたい』という願望が同居できないことに現実的に気がついたので『恋人(に似たようなものも含む)=枷』という回路。いる・いらないの話ではない」


何某「わかる。だから『いらないならいらないでいい』って言ったし、俺もそう考えたこともある。とはいえ、そういう煩わしいことを考えなくていい関係もあると思う。ただいらないと思ううちはいらなくて良いよ」←直前の私の吹き出し読んだか?マジで読んだか?「Aではない」って言ってんのに「わかる、A」って言うな。


私「(半ギレ)煩わしいこと考えなくていい関係ってだけであれば、友人でいい。『煩わしくない→隣に置く』ってする必要がない。友人で事足りる」


何某「俺は違う。友人でも煩わしいこともある。アガペーとフィレオの違いで、アガペーが芽生えたらそれはもう友情じゃない」←煩わしくない=アガペーだとは一言も言っていない。

 

 

は??????????(ガチギレ)

 

 

私と何某の論理をまとめると、

”他者への好ましい気持ち”という集合Aと”恋愛感情”という集合Bがある時、

・フィレオ∈A/アガペー∈B
・”煩わしくない”と言う要素aはA∩B。(共通部分)
 →何某は「友人でも煩わしいこともある」としている=「煩わしくないこともある」とできる

ここまではほぼ双方の前提は同じ。

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図解

 

私は「”煩わしいと感じない”=アガペー」とは言ってない。
aはA∩Bなので、a∈Aでもあるし、a∈Bでもある。

なのに急に「煩わしいと感じなくなる=アガペーの芽生え」としてくることが、まず合点がいかない。

誰もそんな話はしていない。

そしてさらに、テーマは【”パートナーのいる人生”と”望みを叶えたい私の人生”が同居できない】というものであるのに対し、「煩わしくない人を恋人にすればいい」という結論を持ってくるのは

「これはオムライスですか?」
「はい、それはスプーンです」

って言ってるようなもの。(は?)

 

てか、その程度の恋愛感情をアガペーと言うなよ。みんな好きよな、アガペー周り。
すぐ「君のことわかるよ」って言う奴の感情がアガペーほどのものであるはずがない。
アガペーわかってるか?結構重いぞ??神の愛の一個前ぞ??
「俺は君を理解してあげられる」と発しつつこちらの言葉をよく読まないその心のどこが良心やねん。

フィレオと定義することすらも憚られるわ。

 

つーか神を信じていないくせに四つの愛になぞらえて自分の愛を語るな。

神が死ぬ。私は無神論者だから関係ないけど。

 

 

こういう奴はすぐ「運命の人が現れると、自然と惹かれあって一緒にいたいと思うだろうから、今はそれでいいと思うよ」って言葉でタコ殴りにしてくる。

私がアセクシャルだと知っているなら「いつか現れる」「いつか恋愛感情を抱く」って言うな。もしそうなる未来があるかもしれないとしても、言うな。
「同性が好きなんだ」って言ってる相手に「まだ運命の異性に出会ってないだけだから、出会ったらきっと異性を好きになれるよ」って言ってるのと同義。 

これが禁忌であることは理解してんでしょ?じゃあ言うな。同じだから。

 

あと、慈しみのある友情は存在する。

 

 

 

 

なにがアガペーやねん。神からいただくものやねんぞ。
うっっっっっすいわ。神が泣く。平和の道を行けなくて泣く。

 

忘れられない女はかわいい

別れた恋人のことを忘れられない人はかわいい。
それはそれはかわいい。かわいすぎてぶっ壊したくなるくらいかわいい。
私の目の前で泣いてほしい。それだけの思いを残した過去の恋人を思って泣いてほしい。
私が同じ空間にいるのに、私が見てるのに、それでも私のことを忘れてるんじゃないかって思うくらい泣いてほしい。
昔の恋人を思って、過去にすがって、感情をあらわにしてほしい。

 

私はかわいくない。もう、いろんなことを忘れた。
新しい家で暮らし始めたこの1ヶ月で、あんなに濃かったはずの2年半を忘れていった。
正直な話、まず声が思い出せない。顔はかろうじてなんとか、ギリギリ、靄がかかってる感じで思い出せる。着ていた服は覚えている。細かいことは思い出せないけど、スポーティーな黄色のジャンパーを着ていたことは覚えている。夏服は死んだ。

でもまあ、忘れても全然生きていける。余裕で。

 

そういえば、ここ最近立て続けに連絡がきた。
あちらのプライバシーもあるからなんの連絡だったかは伏せるけど、へえそうなんだ、くらいしか思わなかった。思えなかった。あ、また来てる、くらいの感じ。
2年半も一緒にいた相手への感情とは思えないくらい、波風が立たない。

 

凪。

 

友達になれないんだと思う。
別れた直後のnoteでは友達になれたら、って書いたし、彼ともそんな話をしたような気もするのだけれど、私は友達だった期間がない人間とは、それまでとは別に友達になるプロセスを踏まないといけないタイプの人間なんだな、と初めて知った。
あんなに「この人のためならなんでもできる」なんて思っていた時期もあったのに。

冷たすぎるだろ。

かわいくない。

 

この前2年半の私を知っている人に「あの時に書いていた気持ちは本当だったんですか」と聞かれた。
あれは本当。でも「魔法にかかってるみたいなものでしたね」とも言った。

結局、私は愛のない人間なのだ。付き合う前も、今も。
恋だの愛だのに通じる感情の全てがない。やっぱりね。
あの当時、私がその頃の彼女と別れたらいいのにと思うまでに彼を欲していたのは、まあ、要は寂しかったからだ。誰かに支えてほしかった。救われたかった。私の味方が欲しかった。
そして実際に救ってもらったから、私もちゃんと彼を支えなきゃと思った。
だからこそ、彼ももう一人で立てるようになるかなと思った瞬間、それまで平気だったことがダメになった。
これまでの私はどこに行ったんだろう、と自分が一番戸惑ったが、まあ、これこそが『これまでの私』だったんだな、と気づいてしまった。これまでの私は、一人でも楽しめて、仕事を好きでがんばれる私。むしろこの期間がなんだか特別な私だったのだと。

別に演じてなんかいない。あの時の私は愛情があったし、別れるとなった時も情はあった。
でも1ヶ月顔も見ず、思い出しもせず、考えもせずにいると、私の体からものすごい勢いで彼のための成分が染み出していって、昨日だか一昨日だかも忘れたけど今週のどこかで、ああ空っぽだわ、と思った。
私ってこんなに薄情な人間なんだなぁ、とも思った。

 

ついさっき、クリスマス前に恋人と別れた女の子が「まだ全然忘れられない」「忘れるためにいっぱい予定を入れて考える時間を無くしてる」とツイートしているのを見た。
かわいい。かわいすぎやしないか。生きにくくないか。むしろ人はみんなそうなのか。それがみんなの生きるってことなのか。そんなことをたくさん経験してみんな大きくなっていくのか。かわいいなぁ、みんな。大好きだよ、そういう人間みたいなところ。

かわいいなと思った。バカにしている意味合いではなく、純粋に、こんなに思われる人はしあわせだろうな、と。元恋人冥利に尽きるだろうな、と。
まあ私は誰かにそこまで思われたくないけど。人の恋愛的な好意は気持ちが悪いから。

そこまでして思い出したくなくても忘れられない人もいるのに、私はといったらとんでもないことにこの2年半のこともかなり忘れている。
写真は全部消した。そもそも友達との写真だって滅多に撮らないのに、いらないでしょう。もらったものも結構捨ててきたから、ああこれそういえばあの時の、みたいなものはほぼない。この家の中に思い出させるものが何もない。
住んでいる駅はひと駅しか変わらないからひょっとしたら電車で一緒になることもあるのかもしれないけど、毎朝毎晩そんなこと考えながら電車に乗らない。

本当に記憶に引っかかることがないのだ。さすがに引く。

 

元気になった私は一人でも楽しく生きていけているので、今のところ「頻繁にご飯を食べに行ってくれてぜっっっっっっっっっっっったいに性欲を見せてこない最高の添い寝友達がいたらいいな」くらいしか思ってない。
人と一緒にご飯を食べるのと寝るのができればそれでいい。それしか好きじゃない。

幸い、今はご飯を食べに行ってくれる知り合いが何人かいて、全然それで私は元気に過ごせている。その人たちがみんな誰の前でも男性だから絶対に一緒には眠れないけど。
性別が男性で唯一性欲を感じずにいられる人間は一人しか知らないので、その人が上京してきてくれたらいいのに、とここ最近は思っている。

 

忘れられない、とか言って夜な夜な泣いてみたかった。
消せない写真をふとした瞬間に遡って見つめてみたかった。

その感情に興味がある。

 

生まれ変わったらいつか、忘れられない女になってみたい。

 

 

 

2020/02/15の朝のおしゃべり

話し相手がいないと言うのはなんとも、なんとも。

Twitterにいつものように垂れ流したり、ちょっと体裁を整えてnoteに載せたりするけど、話す気楽さに比べるとどうにも手掛かりすぎる。

もっとこうさ、まあ私のnoteはしゃべり口調みたいなもんだけど、それでももっとこうこんな感じでさ、おしゃべりしてるみたいなそういう軽さのコミュニケーションが取りたいよね。

 

1人で生活してるけど、1人で生活してる誰かから「きょうさー」つって電話がかかってくるのは勘弁してほしい。

私もかけられない。勘弁してくれと思われてそうだし。てかわざわざ「電話をかける」必要がある時点でおしゃべりに勝てない。同棲のいいところは面倒な何かを通さずに身一つで「おしゃべり」できることだったんだなってなんとなく思った。

 

始発に乗れなくて、次に乗ったら逆に進んでちょっと笑っちゃった。「これ逆じゃないよね、あ、大丈夫だね」って確認した上で逆だったからね。

方向音痴だけど電車すらも乗れなくなったっぽい。やばいね。

始発あたり、わりと人いるんだよね。まあ始発に乗れてればもう着いてる時間だから、まあ、ね。人いて普通なのかもしれないけど。

 

あ、バレンタインデーだったからかな。彼氏のお家泊まって帰ってるとことか。いや彼氏の家なら泊まるかな、泊まるかもね。ちょっと闇深そうだからかんがえるのやめよう。

 

さっきね、常に使ってるプリペイドカードにチャージしたんだけど、気になって残高の計算してみたのね。まあ案の定残高やばかったんだけど、物を揃えなきゃいけない引越しってめちゃめちゃかかるんだね。それに毎日ランチ外食してるしね、そりゃ減るよね。引くわー。残高の少なさに引いた。

 

早くお金持ちになりたいな。

最寄駅でちゃんと起きれますように。

もうこれ以上信念を失ってくれるな馬鹿野郎

これから書くのは痛文で、私がこれから先の人生を生きていく上でもう絶対に忘れたくない信念みたいなものについての私宛の手紙なので、笑っていただいてもディスっていただいても批判していただいても嫌悪していただいても構わない。この数年のぬるま湯から脱した今、これからの後悔をできるだけ最小限に、そして死ぬ間際にできるだけ納得できる人生だったと強く思えるようにするための、私のための文章だ。他の人たちは読むだけ時間の無駄かもしれない。

 

お前は本来、強い人間である。人に厳しい。が、自分にも厳しい。相手に求めるレベルも高けりゃ、自分に求めるレベルも高い。その高さに打ちひしがれる時もあるが、絶対にできるからそのレベルを落としはしない。絶対に、お前自身が心から望んだことは叶えられるのだ。

叶えるということは、それ相応の努力をするということである。その努力は、世間的に見て清いものだけではないかもしれない。お前が得意とする媚売りやらコネを使うことなんかもそんな類のものだろう。けれどどうだ、果たしてそれは悪いことか。何かを得るために媚を売ろうがコネを使おうが、別に良いのではないか。知ったこっちゃない。お前はそこまでして、その望みを叶えたいのだ。そのコネを得るまでも相当な準備をする。媚を売るにしてもそこにつきまとうリスクから身を守ることもする。たとえ世間的に好かれない手だったとしても、努力をしない人間にもがいている人間を批判する権利はない。聞く必要のある言葉など、一切ない。ただ、こちらとしてもそこまで偉そうなことを言えるようにするには、ただひたすらに挑戦し乗り越え、望みを叶え続けなければならない。でないと、ただの口だけ人間である。クソダサい。

昔のお前は、その努力ができる人間だった。

それなのにこの数年のお前はなんだ。まるで腑抜けだ。まだがむしゃらに月500時間働いていた新卒の頃の方がマシだ。
あの時は努力の塊だった。鋼の身体さえ持っていれば、おそらくどこまでもやれた。仕事が楽しかったからだ。仕事の内容に恵まれていたということではなく、その仕事ができることが嬉しくて嬉しくてたまらなくて、一分一秒でも長くその音と一緒に居たかったからだ。あの時間、お前実は幸福感でいっぱいだっただろう?一人で暮らしていても、両親とわだかまりがあっても、死にたくても、あの頃は必死に自分のなりたい姿を正面に見据えてそれを叶えるためだけに走っていた。だから心の底から幸せで、いつ死んでも構わなかった。後悔をできるだけ抱かない時間を生きていたから。

この数年、恋人氏のおかげで両親への負の感情を清算できたのは非常に良いことだった。それがあって今お前は急速にこれまで落としてきた感情を回収している。楽しいな、毎日。今のお前は、成長している最中である。絶対に。
ただ、今の職場に来てから、恋人氏と付き合ってから、お前は盛大に逃げることを覚えた。自分を守るために逃げるなら良かったのだが、全くもってそうではなく、自分の甘えを正当化するために逃げるようになった。馬鹿か。馬鹿だ。生きてきてこの2年が一番甘えていた。勉強がしたくなくて不登校になったり遅刻早退を繰り返したりの高校時代よりも甘えていた。

周りの人間に対しての愚痴が多くなったし、周りの人間の行動がやたらと目につくようになった。本来のお前はそうではないだろう。誰かが甘えているから私も甘えていいなんて、これまでに思ったことがあるか。誰かより私はマシだから甘えていいなんて、思ってきたか。ないだろう。誰かの行動をみて甘えを学んだことがあったか。ないよな。『私がこんなにしんどいのは親のせい』とは思っていたけれど、『甘えていい』はなかったはずだ。クソだ。甘えていいことはない。ロクなこともない。頼ることと甘えることは違う。そんなこともわからなかったのか、馬鹿になったものだな。

 

お前は実際は頑張り屋だ。頑張ることが好きな、頑張り屋だ。何かが達成できた時が一番嬉しかっただろう。自分の環境は自分で作っていく人間だ。他人に用意してもらおうなど思ったことはなかったはずだ。誰かのせいにしながらも、自分にも非があることは理解できていた。賢かったからそのくらいできて当たり前だ。
それがここ数年は自分に非はなく、自分はできていて、この苦しさは全て外的要因のせいだと考えていたな。馬鹿だ、周りに飲まれていることに気づけ。その苦しさは、お前が甘えをまとって弱くなったからだ。目を覚ませ。

今のお前の周りは質が良くない。入社した一年目に比べて、三年目の今の質の悪さは筆舌に尽くし難い。これまでの人生において、かかわりあう人間のレベルは最低だ。そんな馬鹿馬鹿しい流れに変わっていっていることに気づかなかったことが、何よりも馬鹿になった証拠だ。お前が馬鹿になっていったから、集まってくる人間の質も下がっていったのだ。おい、今の言葉を読み間違えるなよ、「こんな状況になったのは私のせいなの…」なんて加害者意識を持たせてやる言葉ではない、ただ単にお前がそういう人間を引き寄せる馬鹿に成り下がったというだけのことである。

 

人間は、周りの人間のレベルと自分の意識によって、引き上げられたり引き摺り下ろされたりする。引き上げることができる人間と、上がろうと踏ん張れる人間は強い。本来のお前の周りは引き上げられる人間ばかりであったし、お前にも上がっていこうとする強さがあった。お前の望みは、自分のレベルを上げていくことでしか叶えられない。
ところが今の会社の人といるようになってから、恋人氏と付き合ってから、明らかにお前は弱い人間になった。上がろうとしなくなった。上がろうとするよりも下げる力の方が強いと認識し、そのうち下に下がる方が楽だなと感じたからだ。恋人氏の悪口ではない、ただの事実だ。

恋人氏が鬱になって、寄り添い方がわからなかった。何か彼に決定的なことをぶつけると死んでしまうのではないかと、一昨日までそう感じていた。だから「大丈夫だよ」「私はいなくなったりしないよ」「頑張ってるよ」「できるよ」と言いながら、いろんなことを受け入れてあげることで寄り添うこととした。おそらくそれは、こんな長期にわたってやっていいことではなかったのだろう。

彼はとても甘えただ。こういってしまうと傷つけることになるだろうが、構ってちゃんで嫉妬深い。この嫉妬深いというのは異性に対してなどの意識的なものでなく、私が上を向くと彼の無意識が彼に痛みを生み、自分を見てくれと声を上げてしまうことだ。伝わるだろうか。本当に体調は悪いのだけれど、それは彼自身も無意識に操作されていて、「こっちに来て俺をみて俺を心配して優しい言葉をかけて」という感情が大小問わず沸くのだ。これは私自身が引き下げる側として過去に身を以て知っているので、仕組みとしてはほぼ間違いない。
人間の無意識というものは強烈で厄介なものであるのだ。それを振り払うのが人間としての心の強さであり、人間としてのレベルを上げていくものの一つでもある。

 

わかるか?お前が恋人氏に「会社で働かないで自分でお金を生みたい」と言われた時にかけるべきだった言葉は、「それができるようになるために生活資金をまず稼げるようになろうよ」だ、「おお、いいね、働かなくていいのが一番だよね」じゃない。休職してから一年ほど経って「俺は頑張れない、ダメなんや」と言われた時にかけるべきだった言葉は「私と一緒にいてくれるつもりなら、踏ん張ってほしい」だ、「そんなことないよ、私はそんなあなたが大好きだよ」じゃない。「俺は無能なんや」に対しては「これから努力して有能になればいい」だ。もしくは全て無言。

どうだ、お前が間違った言葉をかけてきたせいで、今恋人氏は私から優しい言葉をかけてもらえるのを待つようになったではないか。甘えたで、母が息子を思うような気持ちを彼はお前に求めているではないか。何を言っても受け止めてもらえると思っているではないか。彼がそうじゃないと言っても、お前がそう感じているならそうなのだ。というか周りもそう感じている時点で間違いない。
仕事が始まってからはひどい有様だ。ある程度元返るかとは思っていたが、それにしたってひどすぎる。ただ優しいことを吐くことを求められているのなら、それは母親にさせろ、お前がやることじゃない。お前と彼は対等だ。お前が親との確執を乗り越えられるようにしてもらった分や鬱から立ち直らせてもらった分、忙しい時に助けてもらっていた分、毎日の分、お前だって同じだけ彼に寄り添ったし寄り添っている。もうやった。不足はない。足りている。

思い出せ、彼はお前が不健康に彼に寄りかかった時に何をした?お前の睡眠薬を全て捨てたよな、それからお前は睡眠薬がなくても眠れるような体を無理やり作ったよな。それをお前もやらなきゃいけなかったんだ。よしよし、今日もお薬飲んで寝ましょうね、じゃない。
彼に必要なのは、自分で強さを育むことだ。無茶ができる身体とか物理的な話ではなく、自立した心のことだ。「僕を見て」をやめさせろ。お前が死ぬ。そんな甘えた感情にお前自身のレベルを引き下げられるな、情けない。お前がこれまでしてきたことは優しさでもなんでもないからな。ただの甘やかしであり、大きな失敗である。

そもそも、なぜコミュニケーションを放棄している状態を許容する?それはどんなに親しい相手でも許していいことではない。ちゃんと言葉にさせるべきだ。お前はどれだけ「言ってもらわなきゃわからない」って言ってきた?言葉にできないなら、「まだ言葉にできないから待ってほしい」と言わせるか、お前からも何もいうべきではない。お前も似たようなスタンプを送り返せ。もうこれ以上甘やかすな。5歳も年上なんだろうが、お前は母親じゃない。恋人氏が「じゃあ俺も甘やかさないよ?」と言ったならそれでもいい。そんなところに取引を持ち込むような人間は大した大人じゃない。お前のレベルが下がっていく一方だ。

 

何より、昨日と一昨日で「前のパキッとした芯のあるあなたに戻った」と3人に言わせたことを恥ずかしいと思え。ヤバいことだぞ。全員に腑抜けだったことがバレているのだ。お前だけが気づいていないんだ、馬鹿か。でもお前の変化を理解してくれて、それこそお前であると肯定してくれる人間がいてよかったな。そういうところも本当に運がいいよな。幸せ者だな。
いいか、お前は恋人氏と共に生きる以前に、お前の人生を生きているのだ。下へ下へと降りていくのは、先生との付き合い方と同じではないか。もうあれはやめたのだろう、なら上を向ける生き方をしろ。強さを取り戻して、もっと強くなれ。お前は運がいい、努力もできる、味方もいる、そして賢い、地頭がいい。この前バス乗り間違えて空港経由して待ち合わせ場所に行ったトボけをやらかしたけどな。
お前が何かを成し遂げようとして、成し遂げられないことはない。お前は強い。ついてこないやつに構う必要はない、そんな時間はない。お前にはまだまだ叶えたい自分の姿があるだろうが。見失ってるなよ。

 

頼むから気合い入れてくれよ、腑抜けはもう終わりにしてくれ。
次はもう見限るからな。

 

 

会社のこと恨んでないよって話

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会社に対して、お金の恨みはあるけど、それ以外の恨みは何もない。うちの会社バカだなーほんとにって思いはあるけど、そんなクソバカが愛しかったりもする。多分もう関係なくなるから(笑)

ましてや、アシスタントなので全然お金もらえないことも理解してた。だから、アシスタントである以上今までの給料から変わりません、って言われるのは別に普通だと思う。

 

だから、この3年間、たっくさんストレスを感じるタイミングはあったし「二度とこいつと仕事なんかするかよ!」「この案件に絶対に私をつけないで!!」「全員クソ!!!」みたいな感情と「この人がまた私を呼んでくれてうれしい!」「お客さんが喜んでくれるものが作れてうれしい!!」「みんな大好き!!!」みたいな感情を行き来して疲れたけど、でもまあ、そんなに大して恨みはない。しかもそんなこと言いながらも、うちの部署で仕事相手と案件のNGがない人間は私くらいなものだったのでね、がんばったと思う。思わせてほしい。

 

私の周りには、自分が勤めていた会社に対して恨みを持ってる人が多い。恋人氏もそう。まあ恋人氏に関しては仕事のせいでうつ病になったので、恨みを持つのは自然な流れだと思う。というか、会社のこと恨んでいいから自分のことを追い詰めないでほしかった。そんな例とは別で友達も、先輩も、後輩も、Twitterの中の誰かも、目につく人のほとんどが「会社や仕事が憎くて」辞めて、辞めても「会社や仕事が憎い」人がいっぱいだなーーってぼけーーーっとこの前思った。

 

ほんとにね、残念なことにね、こんなこと言うとボコボコにされるかもしれないけどね、うちはしょーもない人たちの集まりなんですよ。うちの部署も。ほんとに。たまにすごい人もいるけど。

お前その仕事何年やってんだよ、私の何倍の給料もらってんだよ、みたいな人が私の揚げ足を取ろうとしてきたり、アシスタントに責任なすりつけてきたり、他の部署の人もそう言うものなんだなって思ってるから、何かあったらアシスタントに聞いてくる。他の会社の人たちは不都合なことが起こった時にアシスタントに聞いてこないでちゃんと責任者に聞きにくるぞ!!!外の技術者はちゃんと自分で責任取るぞ!!!うちらのせいにしたこと一回もないぞ!!!身内が一番敵やんけ!!!って思う。

 

まあ、まあね、わかる、恨む気持ちもとてもわかる。みんなそれぞれ大変だし。転職活動やって思ったけど、仕事しながら転職活動ってアホほど大変だったし。会社説得するのもだるいし。新しいところ行ってまた覚え直したり順応し直すのもめちゃめちゃ大変だし。てか白封筒買ってないから退職届私書いてないな、ヤバい早く買おう。今日買おう。

お金さえくれたら、人さえ良ければ、仕事さえ良ければ、やりたいことやらせてくれれば、自分はここに残っていられたのにって思うよね。ちょっと私も思ったし。

 

でもさぁ、前の会社もそうだけど、私は運のいいことに自分がやりたいことを最初から仕事にしてたからさぁ、場所が変わっても抱える悩みって大体いつも同じで、人も似たような感じだから同じようなストレスだし、なんか、言葉にイマイチできないけど、前の会社に恨みが残らなかったからこそ今の会社にも残りようがない、みたいな感じで。うーん...。

 

いや、愚痴は死ぬほど出てくるし、笑えるくらい恋人氏に愚痴を吐き続けてきたし、ストレスで顔じゅうニキビだらけみたいになって会社をぶっ潰したくなった時もあったよ?明日会社潰れたりしないかなとかめっちゃ思うときもあった。

あったけど、まあ、ニキビだらけになった時くらいから「会社とか偉い人相手に色々話してみて、無理なら私はここを去る!方向性の違いみたいな感じだよね!」って思って。自分で言うことじゃないかもだけど、この1年、私は私なりに目の前に転がってきた「偉い人と話せるチャンス」をほぼ全部拾って、早急に理解してもらわなきゃいけないこととか分かりにくいうちの部署の立場の話とか、私たちアシスタントの仕事は見習いではないってこととか、そう言う話を全部した。

ほんとうに全部した。いろんな大人と話した。社長ともしたし、もともと仲良くしてくれてた人事の人とか総務の人とか、来年のお金の話を説明してきた偉い人とか。

うちらの仕事を理解してもらうために、あんまり偉い人たちの時間を食い過ぎないよう簡潔に、でも分かりにくいだろうからわかりやすい例えを考えたりして。

 

ってやったんだけど、まあ無理だったから、私は辞める。会社と私の方向性が違ったので。恨みはない。ただ、こんなに将来有望で耳も良くて感覚も良くて人柄も良くて四方八方に気を配れる優秀な「私」と言う人材を手放す流れを作った弊社はおバカだなーって思う(笑)

...うそ、たくさんストレス抱えて働いてた私は優秀でもなんでもない。さっきのは冗談です。

でも、私と同じ職種の私と同じアシスタントで、こんなに「音」に対しての好意だけで、どんな仕事でも乗り越えようとする人っていないと思うの。いるんだけど、あんまりいないと思うの。みんな嫌になっていっちゃうから。お金とか以前に、音が嫌いになったり、音の仕事が嫌になったりしちゃう。そこから派生してアニメが嫌いになったり、映画が嫌いになったり、ドラマやバラエティ、CMが嫌いになったりしちゃう。大体の人は。

私は音のことは大好きで大好きで愛してるし、私は音の仕事でのなりたい姿はちゃんとあったから、そうなりたいって然るべき相手にプレゼンもした。前例がないから認められないなら、私がその前例になろうかなとも思っていたし、それを会社に認めてもらうための動きを今年ずっとしてた。

そんな人、あんまりこの職種にいないよ?笑

 

だけどまあ、会社がそんな理想を追わないで「責任者」に早くなれっていうから、それならこのくらいお給料くれなきゃやれませんよって話をしたんだけど、お給料はこれまでよりも減らすよっていうから、それはできないよ無理だよそれ他の会社だと今の私の立ち位置の人間よりも低いお給料だよマジですか?って聞き直したら、マジだよって返ってきた。

それは無理(笑) 私も生活あるし。生活するために働いてるし。さすがに(笑)

 

会社で働く以上会社のための人間なので、会社にとって金を払うメリットのある人間でなきゃいけない。で、そのメリットとか会社の理想に則れずに歯車になれない、なりたくないと感じたなら、辞めるしかないと思うんだよなぁ。

 

脱線しすぎたので話を戻すけれども、バンドが解散するみたいに「方向性の違い」「価値観の違い」が私の退職理由だから、何度も言ってる通り恨みはない。細かい愚痴は別に恨みにはならない。

むしろ、一度どうにもならなくなって前にも後ろにも進めなくなった私に、また音の仕事をする機会をくれてありがとうって思ってる。おかげでもう音にしがみつかずに「自分の生きたい人との生活を営むための仕事」に変えようって思えた。

私はこの会社に入らないと人間になれなかったから、そういう出会いとか人としての色んなスタート地点に立たせてもくれた面でも、感謝してる部分もある。

 

馬鹿ばっかでどいつもこいつもしみったれてんな!来年のお給料の話それクソやばだからもうちょい考えたほうがいいよ!やばいというか頭おかしいよ!!あと人材を育てられなさすぎるのもマジヤバだよ!!!って悪口も出てくるけど、恨みはないです。

恨みはないけど、別に好きでもない、てかなんならあんま好きじゃない(笑)

 

でも、ありがとう。

クソやばだったから私はいっぱい成長できました。

恨んでないよ。

 

 

みんなが好かれる世界はないから

恋愛の話じゃないです。

 

久しぶりにブログに書きます。noteでは気まずくて書けないことをこれから書きます。

傷つく気がする人が読んでも、別に私は責任は取りません。すみません。

 

 

この前文学フリマ東京が終わってから、合同誌のみなさんと打ち上げをしました。

みなさんnote関連のことを一生懸命やってらっしゃる方々で、ここ最近個人的に『正直何ガタガタ言ってんの?は?』的なこと思ってた話の概要をその時に教えてもらえてめちゃくちゃスッキリしたんです。

もうその一件一件については色々と議論がされ色んな人が巻き込まれたくさん嫌な思いをした人が出たらしいのであまり言及しませんが、総じて言えることは「面白いかどうかなんてそれぞれの主観でしかないんだから、自分が面白いと思うものを作ればいいじゃん。お金もらってるわけじゃないんだし」ってことです。

 

私は、自分の仕事はプロだと思ってやっています。それでお金をもらって生活しているので。私の労力だけでなく、技術力や色んな能力に対してお金が支払われていて、それは会社から私にってだけではなくて「私を利用する人」から「私が所属する組織」にも支払われているので。

だから私は日々の仕事に関しては、プロです。プロだから、「ヤバほどおもんないな!」と思うものでもクオリティを上げるために能力を使うし、「これは詰めればバズるな!でもお金はもう赤だぞ?」ってものは船頭の動きを見て程よいところで切り上げます。モノによりますが。「クソが!誰がテメェなんかと仕事するか!」と思っても案件が終わるまでは顔を合わせて完成まで一緒に進みます。

「ヤバほどおもんない」モノも私がおもんないと思ってるだけで世間やクライアントはおもろいかもしれないので、自分の思う面白さは時として捨てることもたくさんあります。私はよく世間とズレていると言われるので捨てることは多いですし、イケる!と思ったものがめちゃめちゃに炎上していてあちゃーと思ったことも何度かあります。やっぱり自分が面白くないなと思ってしまっているものに付き合うのは苦痛だけれども、お金で私の能力を買われているので付き合う義務があります。クライアントの望むものを作り上げる義務もあります。

それらの義務を全うすることに加え、勉強もするし、色んな技術も磨くし、プロとして振る舞えなきゃいけない。

当たり前のことしか言ってませんが、これが私の仕事への考え方です。

 

一方で、私は文章を書くことは趣味で、それでお金をもらいたいなぁと思ったことは(意外にも?)ありません。なぜって趣味だからです。

ただ、今回の文フリは人様からお金をいただくことになっていたので、お金が発生する分いつもよりクオリティやら見栄えやらには気を遣いました。

noteで好き勝手に書くのはまあいいんですよ、読む人がストレスを感じすぎる見た目なのはどうかとは思いますが、とはいえあそこはSNS で自分の場所なので好きにすればいいんじゃないかなと思うんです。でも、700円払って買った本の見栄えがクソだとドブに捨てたような気持ちになるでしょう。700円あればコンビニで豪華ランチが用意できるし、はなまるうどんでもなかなかのメニューに仕上がりますからね。

今回、編集長である満島エリオさんには何度もレイアウトのことで修正を投げまくって投げまくって疲れさせてしまったけれど、あれはお金をいただくってことに対しての私の責任の取り方です。エリオさんもちゃこさんも文章でお金をもらっている人なので、そこを理解してくれるんじゃないかなと甘えてレイアウト修正しまくっていた部分もあります。おふたりが人気とか儲けのことだけを考えてしまう人だったら、私は多分合同誌に書いてないと思います。何様やねん、って話ですが私がクソみたいなクオリティの本を700円も払って買いたくないので。noteには気まずくて書けませんでしたが、信頼できるおふたりと一緒に載せてもらえるのはしあわせなことだな、と思ったから書くことにしました、実は。

 

打ち上げの場でも言いましたが、私はnoteやらはてブはただ好きで書いているだけ、自分の気持ちや創作の吐き出し場所として使っているだけなので、無意味に人とつながることもしないし人の集まりに行くこともしないし、徒党を組んで自分の立ち位置を誇示することもないです。好きでやっていることで疲れるのは嫌ですから。

あの場でも結構強い言葉を発したことで数人傷つけてしまったかなーと思ったことを頭の隅に置きながら今からものすごくクソなことを言いますが、私は「力を持った素人」は「とは言え素人じゃん」と思っているので、めちゃめちゃにフォロワーがいてフォローが少ない人とかにフォローされても変わらず「ありがとうございます〜」だし、ぐわーっとフォロワーやいいねが増えたところで「有名になってきてる!?」と思うこともありません。どうでもいいので。それで私が書けることが変わるかって言ったら全くなんの影響もないので。「めちゃめちゃフォロワーがいる素人」さんをすごいとは思いますが。わたしにはできないのでね。

そりゃね、憧れてる人にフォローされたりいいねされたりするとうれしいですよ。でも、あんまり素人で憧れる人はいません。素人で本当に面白い人は何らかの形でプロに発見されたりどうにかなったりすると思うんです。今はまだ見つけられてなくて今後変わっていく人もいるでしょう。でも「その可能性がある人」を好きでいようとすることもないし、多分読まないし、下手したらプロになっても知らないままだと思います。

 

ここまででだいぶ嫌われたかなと思うので、嫌われたついでに全部言ってしまいますが、「好きに生きようぜ!」なこのご時世この風潮の中で、好きでやってることで何でそんなにいばらの道をいくのかが本気でわかりません。好きにしたらいいじゃん。好きな人だけフォローしたらいいんですよ、最悪フォローしてミュートしたり読まなかったりしたらいいんですよ。自由なんだから。相手が傷つくかな?って思うんだったらバレなきゃいいだけの話です。

それと、自分のことを見てほしいなら欲しいだけの努力をしなきゃいけないと思います。それは多分365日noteを書き続けて誰が自分のことを見つけてくれるのを待つことじゃないんじゃないかな。365日書いてることを武器にして何かしらするのならいいと思うんですけど、受け身だとダメなんじゃない?って話です。受け身で見つけてもらえる人なんてそうそういません。一握りです。でもその一握りがめっっっっっちゃくちゃに目立つし、今の時代その一握りがいっぱいいるように見えるから「自分もあるかも」とかって思ってしまう。でも大丈夫、ほぼほぼ無いですから。一握りが増えたように思うのは「何者かになりたい人」の母数が激増しただけです。むしろ倍率は高くなってるんじゃないですか?知らんけど。みんなもわかってるでしょ?私もわかってます。

 

素人からプロの中に飛び込んで素人な気持ちでお金をもらい続けることはほぼ無理なんじゃないですかね。素人でお金をもらいたいのなら素人の中から出ないことです。プロになりたいならプロになるための明確な何かをしなきゃいけないし、使えるものは全部使わなきゃ損です。全部全部やっても報われないことが死ぬほどあります。まあこれもわかってるでしょうけど。

 

だから、noteって言うただのサービスに夢を見たって虚しいだけなんですよ。あれはただのSNS 、誰でも利用できるただの広い土地です。編集部のおすすめで回ってきたものでもいいね全然ついてないのあるじゃないですか。しかもおすすめにしてもコンテストにしても、選んでるのは個人なので「選ぶ人の主観の面白さ」が基準なわけですよ。そんなの、そのときの編集部や審査員にハマらなかったら選ばれないに決まってるじゃないですか。

仮に「何度も選ばれる人がいてずるい」と思っているのなら、それはその「何度も選ばれる人」があなたより上手なだけです。あなたがその人より「その時の審査員にハマるものが書けなかった」だけです。人が選んでるんだからそう言うものです。これが選ぶのがAIで明確な評価基準を設定していたらまた選ばれる人は違うし、人間の審査員が変わるとひょっとしたらあなたが選ばれるかもしれない、そんなもんなわけです。

 

文フリの打ち上げでも皆さんに「髪の話は特定の審査員にハマるものを書いたんですか?」って聞かれました。私にしてみれば新感覚な質問でびっくりしたのだけれども、やっぱり選ばれたいならそうするのが一番近道なんだろうなって思いました。noteの場合だと短期間で研究しなきゃいけないので大変でしょうけど。

私は研究するなんて面倒なので今後も好きに書きますが、あの髪の話は「私が好きに書いた」ら「私の憧れの人が選んでくれた」だけの話なので、審査員が違えば箸にも棒にもかからなかったことです。憧れの人が「全部読む」って言ってたから「読んでもらいたいから書いた」ら、ありがたいことに〜〜って流れなので、個人的には超絶奇跡が起こったなと思いました。てかその後もう一回同じ人が別のコンテストで審査員やるってなって、認知されてるしなハナホジとか思って狙って書いたんですけど、それこそマジで箸にも棒にもかからなかったです。だから、もしハマるものを狙うなら超超超超研究しなきゃいけないんですよ。めんどくさい。

 

もうみんな好きに書けばいいじゃん。好きにすればいいじゃん。その人とつるまないからって死ぬわけじゃないし、その人とつるんだからってデビューできるわけじゃないし、書きにくくなるわけでも書きやすくなるわけでもないし、声をあげたからってそれはただのサービスでお前のためのサービスじゃないし、声をあげなかったからって叩かれる必要ないし、そんなことで叩くやつは頭おかしいんじゃないかって思うし、人生賭けてるんならもっといろんな手段を持つべきだし、人を羨む暇があるなら書くなり観るなり話すなり聴くなりすればいい。

 

みんなもっと頭使って楽しく生きようよ。

それで自分の好きなこと書こうよ。

書くことを楽しいって思える人間に生まれてきたんだから。書くことが楽しくない人よりひとつ楽しめることが多いんだから。

みんな人の主観に振り回されるのやめちゃえばいいのに。

 

 

 

って思いました。