月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

何もできない自分がもどかしい

でもきっとできている。今私がやらなきゃいけないことは、できている。それでいい。

 

そう思ってはいるけれど、やっぱりもどかしいものはもどかしい。過去の私と比べたらいけないのもわかっているし、過去とはやっている仕事も違うのだから、比較対象にできないこともわかる。ぜーーーんぶ、わかる。

でも、わかるのとできるは、また違う。まるで学生の時の勉強のよう。できないのはわかったことになってないって言われるアレ。本当にその通りだと思う。

 

頑張ったらいけないけれど、人より簡単に頑張れる人間としてもう二十何年も生きてきたから、こんな状態でもある程度はやれてしまう。そして、過度な頑張りを超えた頑張りはやったらいけないラインだと理解ができているけれど、それより下の過度な頑張りまではまだやれてしまう。そのあとで具合が悪くならないと、今の限界値近くまでやってしまったことに気がつけない。そういうものなのだと思う、やってしまう、というのはもう仕事における習慣だ。

 

ここで自制しないとあの3ヶ月が無かったことになってしまうし、それだけはどうしても避けたい。ただ、「仕事をしながら」頑張らない方法がわからない。

仕事をしない日に頑張らないのも、仕事を忘れることもできるようになった。日々私を苦しめていた強迫観念とも言える全てのルーティンを失くすこともできたし、新たなルーティンを産むこともない。これは本当に大きな変化で、10歳の時に始まった苦しみがついに消えた。仕事が始まった日、ルーティンを守らなかったことを不安に思わない自分に10歳以来初めて会って、うれしくて泣いた。これで生きるのが少しは楽になる。

 

仕事の日に頑張りすぎないでいられるようになるのも、時間がかかるのかもしれない。早くそうなりたい気持ちを持たない方が、楽かもしれない。

今日は病院で「やりすぎるとまた再発するからやらないように」と言われた。「再発する」ということは、今は落ち着いている状態だということだと思う。なくなってはいないけれど、ある程度は問題ない状態。うれしい。私は病気の肩書きなんてひとつもいらない。あって安心する人もいるだろうし、SNSのbioにずらずらと並んでいる人もいるけれど、私は何ひとついらない。自分を狭めてしまう何もかもがいらない。

とはいえまだ治療中なので、仕事においては病気に甘えてる方が賢いのかもしれない。会社の大好きなお姉さんにも「もっと甘えたらいいのに。やらないって言っていいし、これ以上今日はやれない、やらない、があっていい」と言ってもらえたけど、これがなかなか難しい。昨日はちょっとできたかなと思う。やることがなさすぎて半日、休職中に溜まったメールを整理した。メール整理で半日使うのはヤバい。ドキドキする。そんな感じで給料泥棒な自分に吐きそうになったけど、まあ実際今週やらないといけなかったことは全部しっかりやり遂げた後だったし、まあ。まあいいんじゃないの、そもそも余るはずのなかった時間なわけだし、と思うことにした。メール整理はドン引きして吐きそうになったけど。

 

もう全部、仕事において今の状況は仕方のないこと。また来年には忙しくなっているだろうから、今の状況を楽しめるくらいになりたい。早く体力が戻ってほしい。もしかしたら一番頑張るべきは、仕事じゃなくて体力づくりかもしれない。なんか今そう思った。

広い広い宇宙のことを考えると(急に宇宙の話が出てきたけど私は暇になると宇宙のことを考えます)、私の一生なんて一瞬にも満たないので、この先は何の辛いこともなく生きていきたい。ハッピーハッピーとかではなく。

 

とにかく、辛いことがなく生きていきたい。

 

言葉の赤子

書けなくなった。書いてるじゃないかと思うけど、その書けるじゃなくて、それまで心から溢れてとまらなかった気持ちの泉が枯れた。枯れたのに、その下には外に出さないとおかしくなりそうなくらい言葉の赤子が蠢いていて、どうしようもなくて毎日食べたものを吐いている。思い出したのだ、私が吐く時は「言いたいのに言葉にならないこと」が溜まっている時だということを。

 

私の過食嘔吐の歴史の中で、今ほど明らかに体重が減ったことがなかった。絶対に健康的な痩せ方ではないけど、正直うれしい。今だけのことだから喜んでいいことにしている。どうせいつかまた元の体重に戻るわけだし、面白いほどぐんぐんと落ちる今は「わぁ」と思っていればいい。ただ、流石に私の頑丈な歯もここまで毎日吐いてれば虫歯になってしまうよなとか、朝がだるいなとか、仕事に集中できなくなってきたなとか、生理が重すぎるなとか、当たり前の不調は起こるわけで。そこに対しての焦りはあるから、できることなら過食スイッチも入れたくないし、嘔吐スイッチも入れたくない。

じゃあどうして急にこうなったのだろう、と考えたところ、今死ぬほど寂しいことと、謎に不安なことと、仕事を苦痛だと感じていることが原因の様に思えた。ただ、死ぬほど寂しいからと言って誰に会いたいわけでもないし、誰かを求めているわけでもない。不安だからと言ってそれが何に対しての不安なのかがわからない。仕事の何が苦痛なのかも全く心当たりがない。私が今ここに存在して、朝起きて、今日は何も起こりませんようにと祈って、毎日やるべき仕事をやって、頭を回すために食べられるものをとにかく胃に入れて、当たり前のように終わらない仕事を遅くに終わらせて、お腹がすいたなと感じる脳を落ち着かせるために何かを口に入れて、好きな韓国語の勉強やドラマを見るけどその一瞬の楽しさが虚しさを際立たせて、明日もまた仕事だからと適当な時間に眠るこのサイクルが、なんとなくな吐き気を催す。昨日の私も今日の私も明日の私も何も変わらなくて、私だけじゃなくて昨日の全ても今日の全ても明日の全ても同じく変わりがなく、仕事は同じ様に日々精神をすり減らして、心の軟骨が無くなり瞬発的な感情しか得られない。これがとてつもなく嫌だ。

 

言葉の赤子が出てこられるほどの衝撃があればこの過食嘔吐とも一時休戦状態になるが、その衝撃自体、毎度馬鹿みたいに大きすぎて大抵辛すぎる。どんなに頑張っても止められないことが止まるのだから当たり前だけれど、「死んでしまうなぁ」と思う程度のショックが必要で、いくら止めるためとは言えそれに耐えることを想像すると、まだ毎日吐いていた方が楽に思える。正直もう10年の付き合いなこともあって、吐くことに苦しさや罪悪感なんてなく、「おうおう、スッキリしましたな」くらいで済むフランクな関係なのだ。ただただ歯と脳と顔のむくみが心配なだけ。それよりも赤子がどんどん増えていくことの方が数億倍辛い。お腹も空く。お金も減る。今こうして書いていても、やっぱりこの不安や気持ち悪さの核が何なのかわからない。心にあるのは「食べることは、誰かと食べられたら解決できる」ということだけ。これも、誰かと食べなくなればまた元に戻ってしまうだけのことだから、特定の誰かを求めることはしないけれど。

 

赤子は自力では何もできない。自力で出てこられない。だから手を添えて押し上げるか、歩けるくらいまで成長させるしかない。そして赤子を成長させるには、日々の精細度をもっと上げなければならないし、よくよく見つめて何を欲しているのかを察さないといけない。けれどそんなエネルギーはないし、見つめようとしたところで見つめるべき対象も居場所もわからない。胃の上くらいのところを中心に肋骨いっぱいに広がっているこの、雪が降りそうな日の重たい雲の様な、コーヒーの上で溶けた見栄えの悪いマシュマロの様な、そういう気持ちの悪いものを鷲掴んで引っ張り出したい。喉の奥まで手を突っ込んで。食道の奥の奥、胃の入り口の弁を越えたところまで指を伸ばして。

それを吐くことでしかやり過ごせない。いや、やり過ごせてもいない。吐くごとに消滅していってほしいのに、靄は宇宙の端を想像してみた時の様にぐんぐんと際限なく広がっていく。身体の中は宇宙だというけれど、あながち間違えていないと思う。身体の隅から隅まで意識を巡らせて想像しうる毛細血管の終わりのそのさらに枝分かれした先を感じようとすると、絶対に空間の終わりの壁があるはずなのにどこまでもどこまでも進めてしまって息ができなくなる。それなのに胃袋には終わりがあって、そこに食べたものが泥になって溜まっている感覚になる。泥を胃の中に入れておくわけにはいかない。霞であればいいのに。

 

全部が全部、赤子が歩けさえすればいい話で、本当はここまで苦しむことではない。何をそんなに難しくしてしまっているのかがわからない。こんなところにいて楽なこともいいこともひとつとしてないし、心の底から早くここを出なければとも思っているし、浸ったところで何も生み出さないことも分かっているから、できることなら身体の裏表をひっくり返したい。めくれたら出てこないもの全部を出せるのに。

 

誰もいない海を見たい。

 

 

 

 

 

 

 

昨日は絶対にご飯をおいしいと思いたかった

昨日は誕生日だから、悲しいご飯を食べたくなかった。食べるなら、絶対においしいと思いたかった。だから「誕生日おめでとう」の代わりにスタンプを3つ送ってきた弟を捕まえて、「今日夜ご飯食べに行かない?」と誘った。

 

弟はやさしい。私には弟が2人いて、昨日の弟は上の方の弟。上は勤勉かと思いきやそれなりに怠け者で、だけどそこそこまじめ。勉強を続けることが得意で、私は1ミリも理解できていないよくわからない謎な研究を大学院と謎の研究所でやっている。謎すぎて、院生なのにどこかの社員でもあるらしくて姉は何もわかっていない。

下の弟はただただかわいいので、なんでも私が買い与えてしまおうとして、本人に止められることが多々ある。「なんでも買うよ、欲しいもの教えてくれたら」って言ってるのに「自分のことに使いなよ」って言ってくれる。自分のことに使った上で聞いてるんです。

 

上の弟は昨日は大学だったらしいのだけれど、「何時でもいけるよ」と言ってくれたので自分にしか都合のよくない時間に呼び出した。姉の突然の誘いにイヤな顔ひとつせず、姉が何も考えずロクシタンで買ったシャンプーとコンディショナーがふたつずつ入った重たい紙袋と、姉が何も考えず買った本の重たい袋を持ってお店まで歩いてくれたし、思いがけず両手が空いた姉に腕を組まれてもイヤな顔ひとつせず姉のフラフラ歩きに付き合ってくれる、やさしい弟。

去年までの私なら、誕生日だからと弟を呼び出すことはなかった。いくら美味しくご飯を食べたいからと言って、誰かを付き合わせるのは申し訳なくて気が引けただろう。でも今年は、といっても10月か11月に入ってから急に、「求めたいものがあるのに求めない意味がわからない」と思うようになって、実際に求める行動をとった。

まるで青天の霹靂。正解かどうかもわからない想像をして身をひくより、欲しいなら欲しいと言えばいいと、今は思う。それで手に入れられなかったり断られたりしたら今はまだその時ではないだけだし、何も傷つくことはない。

愛されたいと思うなら、誰かを愛する前に愛されたいと言ってしまっていいとも思った。愛されている実感を得られたら幸せな気持ちになるし、その幸せを持って誰かのことを愛そうとする燃料にできる。誰かに愛されるためには自分から、のような言葉もあるし私も今までそう思ってきたけど、先に「愛されたい」「私は愛されてますか?」「これがあると私は愛されてると思える」と口にしていいのだと思う。

 

だから、私は自分を愛するために、弟を呼び出して一緒にご飯を食べ、荷物を持ってくれた弟のやさしさを摂取した。それをイヤな顔せずに与えてくれた弟に感謝している。君のおかげで私は昨日の夜、自分のことを大事にできた。

 

愛に飢えてるわけじゃない。小さい頃からちゃんと愛されて育ってきた自覚もある。

ただ、いつからか人が愛してくれるよりも自分が自分を貶すことの量が上回って、結果的に大事にされてないと自身が感じてしまうことが多かった。というかそれが常になった。そうすると求めることが烏滸がましくなくって、求めることが悪いことだと思うようになって、素直な気持ちのその上に「すなおなきもち」という仮面をつけた感情が乗っかって、そこに対して素直に生きるようになっていた。でも私はずっと、それが本当の「すなおなきもち」でないことはわかっていたし、いつかはその一段を取り去ってあげないとその下の「すなおなきもち」が腐ってしまうことも気がついていた。

だから、28歳はちゃんとその仮面を剥いで、自分にやさしくすることにした。

 

本当は私、ちゃんと自分のことが好きだし大事なんだもの。

 

 

夢の中だけで会える人

夢の中で会えるととてもうれしくなる友人がいる。もう随分長い間会っていないけれど、会えたらおそらくちょっと照れくさい時間が数分あって、そこを越えれば昔のように話せる友人。

ある程度適当に応対しても、甘えても、弱音を吐いても全部受け止めて(受け流してたのかもしれない)くれてた人だからか、夢の中でも私を平然と甘やかし、くっつき虫な私に嫌な顔ひとつせずずっと腕を組んだり腰にまとわりついたりさせてくれて、「お腹が痛い」と言えば「寝る?」と足を伸ばしてくれて、「疲れた」と言えば肩にもたれさせてくれる。

この人が出てくる夢を見た時は一生寝ていたい気持ちになるし、朝は目が覚めて帰る世界がこちら側なことを恨むし、二度寝までは出てきてくれるので二度寝の時間がない時はその日一日がっかりした気分で過ごす。

夢の中のこの人とだけは、結婚したいなと思う。私の中の結婚の基準が自分でもよくわからないけれど、おそらく都合が良いからかもしれない。私にとってとても都合が良いから、夢の中のこの人のことが、私は大好きなのだ。

 

だから絶対に現実で会いたくない。

現実で会ったら、私の中にあるこの人の像が今のとても優しく都合のいい姿から自動的且つ強制的にアップデートされてしまい、二度と今の姿なこの人は出てきてくれなくなる、気がする。

実を言うと、とてもとても人として好きだった人なので、会いたい気持ちは会いたくない気持ちと同じくらいあるのだけれど、会ったときに得られるであろう喜びと夢に現れた時の喜びを比較した時、夢の中のこの人がいなくなってしまうことの方が損失が多い気がしてしまって、夢の中のこの人のことを好きな間は絶対に会いたくないなと思ってしまう。

 

この人が現実でどんな仕事をしていて、どこに住んでいて、どんな様子なのかは知りたくない。知りたい気持ちも同じだけあるけれど、現実の情報は何も知りたくない。元気であるならそれで良い。

この人が今どんな見た目なのかも知りたいけど知りたくない。夢の中の、9年前の、最後に会った時の私の好きな見た目のままで良い。背が高くなっていたとしても低くなっていたとしても、痩せていたとしても太っていたとしても、髭を生やしていたとしても爽やかになっていたとしても、情報の更新はしなくていい。話す時は絶対に見上げなきゃいけなかった記憶の中の姿のままでいい。

その人の中の私もアップデートしたくない。年相応に甘えん坊で、生意気で、仲良しで、時々ぎこちなくなって、一緒にいた6年とちょっとの私のままであってほしい。

 

夢に出てきた日から一週間は、毎日、「今日も出てきてください」と信じてもいない神様にお願いをしながら目を瞑る。大体お願いは聞いてもらえないし、聞かれたとしても早くて3日後。

毎日会うことはできないのに望んでしまうので、何もすることがない時間は直近の夢を反芻してしまう。何度も何度も反芻して、消えていく夢の分量をできるだけ少なくして、次出てきてくれるまで記憶に残そうとしてしまう。

でも大体3日目にはもう反芻することに飽きてしまうので、今までに見た何百回という最高のこの人の夢について覚えているものはひとつもない。今年だけでもおそらく10回は出てきていて(月1)、確か夏に2日連続で続き物として見れた夢が本当に最高だった気がするのだけれど、内容は何も、ちょっとの欠片も覚えてない。

 

絶対に毎日夢に出てきてほしいけれど、毎日出てこられたら私は絶対に起きなくなるし、絶対に泣くし、絶対に心身に不調をきたすと思うから、今くらいがちょうどいいのかも。

でも、週2くらいでこの人の夢を見られたら私、元気が出るかもしれない。

神様、上記いかがでしょう?

 

 

「その時が来たら別れたらいいよ」って仙人でも言えん

 
急にこんなに韓国語を並べられても「は?」かと思いますが、今日はこの曲のお話をします。(歌詞読みながら、昨日のツイートに書いた歌詞の綴りを間違えているのに今気付きました)
 
訳しながら要所要所で口を挟んでいく形で進めます。
それではよろしくおねがいいたします。
 

나를 사랑하는 법은 어렵지 않아요
지금 모습 그대로 나를 꼭 안아주세요
우리 나중에는 어떻게 될진 몰라도
정해지지 않아서 그게 나는 좋아요

 

僕を愛する方法は難しくないですよ
今の姿 そのままの僕を ぎゅっと抱きしめてください
僕たち これから先どうなるかわからなくても
決まってないから それがいいんですよ

まずここね。まだ序盤だからあんまりごちゃごちゃ言わない方が自分のためなんですが、大抵大好きな人とのことであれば「先々大丈夫であるという確信が欲しいなぁ」と思うのではないのでしょうか…?
「この先のことなんか決まってないからどうとでもなるじゃんか。このままずっと一緒にいるかもしれないし、別れるかもしれないし。どう転ぶか知らんけど、なんやかんやその感じが好きだよ」とか言える!?昨日歌詞読みながら「정해지지 않아서 그게 나는 좋아요 」の部分「歌詞書き間違えてんじゃないの?」と思いましたよわたし。

てかそもそもなんでこの曲敬語なんだろうって気になるんですが、年上のお姉さんかお兄さん恋人に宛てた曲だったりするんですかね。恋人であれば年上でもタメ口使うらしいですけど。そういえばこの前友達と「ヌナって呼ばれたいよね」って話をしました。呼ばれたすぎる。「ヌナ」は男性が仲のいい年上の女性を呼ぶときにつける単語(もうちょいいい表現したかったけど何も思いつかない)です。「オッパ〜!」とか聞いたことあるんじゃないでしょうか、あれの男女逆版です。ちなみに男性が年上男性を呼ぶときは「ヒョン」という単語がつきます。ヒョンかヌナ宛かな〜。一旦自分に置き換えた方が楽しいのでヌナ宛のつもりで読みます。

 

話が逸れました。次行きましょう。

 

남들이 뭐라는 게 뭐가 중요해요
서로가 없음 죽겠는데 뭐를 고민해요
우리 함께 더 사랑해도 되잖아요

 

他人が言うことの何が重要ですか
お互いがいないと死んでしまいそうなのに 何を悩むのですか
僕たち 一緒にもっと 愛し合ってもいいでしょう

俺死にそう(恋人の心が強くて)(いない)
ただ、ちょっと理解不能なのですが、「お互いがいないと死にそう」って言える人間が「先々どうなるかわからんけどまぁ」とかってメンタルになるんですか?いや、歌詞上ではそうなってんですけど。私がよくやる全ての言葉に心の中で「今は」って枕詞つけてるのと同じ原理ですかね?「(今は)あなたがいないと死にそうです」ってやつ。この枕詞マジで便利だし私は常にこの枕詞をつけて生きてるんですけど、そのおかげで常に嘘つき扱いです。ご使用になる際は用法用量に気をつけてください。

でも、他人が言うことの何が重要かってところ、こっちの目が眩んでる場合や目が開いてない場合は他人が言うこと聞いてりゃよかったってこと割とありません?私はめちゃめちゃあります。とはいえこの曲の主人公さんに言われると「そうね、気にしなくていいのかもしれないね。私たちの間に愛があればそれでいいのよね」ってヌナは思いました(急な彼女ヅラ)

 

네가 다른 사람이 좋아지면 
내가 너 없는 게 익숙해지면 
그때가 오면 그때가 되면 
그때 헤어지면 돼

 

あなたが違う人を好きになったら
僕があなたがいないことに慣れたら
その時が来たら その時になったら
その時 別れればいいよ

号泣(号泣)

괜찮아...난 너 영원히 사랑해...って言ってあげたいけど永遠なんて誓えないなヌナ……そんな自信はないのごめんね……。でも、僕くんただただ「あなたがいないこと」に慣れるって、そんな…己が幸せになることも考えて…もうちょっとわがまま言ってもバチ当たらないと思うんですけど僕くん……。

どんな生き方したら「その時がきたら別れたらいいんですよ」って言えるんですか!?
要は「だからそれまでは僕たち安心して愛し合いましょうよ」ってことでしょう??人生何回目??
友達が恋人についてどんなこと言うかもちょっと気になるし、恋人よりも信用している友人に「マジでその人が好きなの?」って聞かれたら「何か気になるところある?」って聞きたくなるし、違う人のこと好きになられたらいないことに慣れるとか以前にめっちゃ嫌いになるし、つか他人のことエロい目で見始めた時点でまず無理だし、だからこそ「いなくなったら死にそう」なんて1ミリも思ったことないけど、こんな「あなたの全てを受け入れます」なんて気持ち、どこから湧いてくるんですか?

でも、この文脈における「その時が来たら別れたらいいよ」はドデカい愛だと思うんですよ。僕くんもヌナ(決めつけ)のこと本当に大切なんだとは思いますが、それでも「あなたが僕以外を好きになったら、その人のところに行っていいんですよ」「僕もあなたがいないことに慣れるようにします」「あなたのこと引き止めませんから」って言えるって、相手のことを考えに考えた結果だと思うのです。見方によれば「なんで引き止めてくれないの!」となるかもしれませんが、心がもうない人を引き止めることは果たして相手を思った行為なのでしょうか。果たしてそれは愛なのでしょうか。もう心が動かない相手のそばに居させることは、本人にしてみれば苦痛かもしれないし時間の無駄かもしれない。その人の幸せを思うのであれば、生きたいところで生きてもらうのが一番なのではないでしょうか。自分のためのエゴであればそばに置いて、引き止めて、繫ぎ止めるものだと思いますが、相手を思う本当の愛であれば、相手がより幸せであれる別の場所に送り出すことができるのだと、私はそう思うのです。(誰)

ま、私は「その時が来たら別れたらいいよ」と言われたら「それはつまりどう言うこと?」と軽く1時間ほど詰めますが。(ここまでの2427文字が塵と化す)

 

お腹すいてきたな。2番にうつります。

 

너를 사랑하는 법도 어렵지 않아요 
한 번 더 웃어주고 조금 더 아껴주면
우리 사랑하는 법도 어렵지 않아요
매일 처음 만난 눈빛으로 서로를 바라봐 주면

 

あなたを愛する方法も難しくありません
もう一度笑って もう少し大切にすれば
僕たちを愛する方法も難しくありません
毎日 初めて会った時の眼差しで お互いを見つめたら

僕くん、なんか急に重たくなった…?ちょっとなんか様子変わった気がするのは気のせいですかね。
実は昨日、1番の歌詞で興奮しすぎて力尽きてて、2番の歌詞については今初見なんです。なんか、ちょっと雲行き怪しくなってきましたね。下手したら盛大なちゃぶ台返しあるかもしれないし、むしろそのちゃぶ台返しが私の理解できない「人を好きになること」の芯の部分かもしれない。ちょっとドキドキしてきました。

「もう一度笑って もう少し大切にすれば」の部分、これはとても勉強になったのですが韓国語は「してくれる」と「してあげる」の矢印の向きを区別しないそうです。ちょっと難しくてここの訳が正しいかどうか自信はないですが、要はお互い笑いあって、大事に思い合いえば僕はあなたのことがもっと愛おしくなるし、あなたもより愛されたと感じられるでしょう、みたいなニュアンスですかね。わかんないですけど。そんなこと感じたことないんで。拗ねてません。

でも「もう少し大事にする」ことが特に難しくないと考えているということは、現状若干妥協してますよね…?それで「その時が来たら別れたらいいよ」って、実は案外ドデカ愛じゃない可能性ある、、、説ありますかね?
それか、ちょっとマンネリ気味な二人なのかもしれませんね、長年付き合ってきて最初の頃のように何にでもにこにこしなくなったけど、もう一度些細なことで笑い合えるようになれば、あなたのことをもっと愛せるんだけどな、って。あ、こっちかもしれないですね。

てことは僕くんとヌナ、一回別れ話出てますね、これ。
だから「あなたに好きな人が他にできて、僕があなたが居ないことに慣れて、その時が来たら別れよう。でも今はまだその時じゃない、やり直せる」ってことだわ。あー、そうだわ。(断定すな)
そんな状態で初めて会った時みたいにキラキラした目でお互いのこと見るって結構難易度高そう。いや、難しいでしょどう考えても。私はできません。忘れてます。

 

……あなたたち別れても死なないと思うな。僕くんは死んでしまうって気持ちがあるかもしれないけど、多分ヌナはその気持ちがあるときとない時があると思うよ。
しかもこれ、ヌナ多分友達にめっちゃ「別れなよ〜、もっといい人いるって〜」って言われてんでしょ。絶対そう。でも僕くんなんだかんだヌナのことめっちゃ好きそうだなぁ。けどこれひょっとして僕くんが今までヌナのこと適当に扱ってた可能性ない?とか言いつつ、ヌナが僕くんに「年上の人めっちゃいいな」とか言ってた可能性もあるね。年下の僕くんが大いに傷ついてきた歴史があるのかも。じゃないと先に「そのままの僕をぎゅっと抱きしめてください」って出てこない気もする。

僕くん、重たいとかなんか色々悪口みたいなこと言ってごめんなさい。二人の別れの危機は大抵二人の努力不足だったりするから、僕くんだけに非があるわけじゃないね。ごめんね。
ヌナ、何が心配なんだろうね、そんなに。周りがボコボコ結婚してるのかもしれない。でもさ〜、結婚は己のタイミングでしたいよね、わかる。周りが結婚しまくってるからって焦らないでほしいよね、僕くんが結婚したいなぁって心の底から思えた時に結婚したいよね。それまでは別に恋人でいいと思うんだよな、一緒にいることに変わりはないんだし。わかる〜!(何が)

 

途中、すでに出た歌詞の繰り返しなので一気に飛ばして最後のサビに行きます。

 

네가 원하든 말든 널 잡을 거고
내가 더 이상 지쳐 걷지 못할 때
그때가 오면 그때가 되면
그때 헤어지면 돼
그때 헤어지면 돼

 

あなたが望んでも望まなくても あなたを捕まえているし
僕がこれ以上疲れ果てて 歩けなくなった時
その時が来たら その時になったら
その時 別れたらいい
その時 別れたらいいよ

ねえ僕くん、ヌナ思うんだけど、人を愛する時に疲れ果てるまで頑張らなくていいんじゃない…?でも僕くんはもう無理だって思うまでは、その人のこと愛したいんだね。そうか…ヌナちょっと誰か一人を愛するという意味の愛がよくわかんないからそこまで頑張りたい意味が理解できないんだけど、でもすごいね…好きではあるんだね、知らんけど…。私の愛は友人と家族に対してのみだから疲れることがないんだけど、大抵「疲れ果ててもう無理ってなったらやめよう」って思ってる時って割ともうその時が来てる場合が多いかなとヌナ思うんだけど、どうかな…。

僕くんに語りかけてる最中に思ったのですが、この最後のサビ、一個も敬語がないんですよね。しかも他のところは散々敬語だったのに、「헤어지면 돼」だけは絶対に「헤어지면 돼요」って言わないんですよ。てことは、ラスサビはもしかしたら僕くんの独り言なのかもしれないですよね。私割と幻覚強めで生きているのでこれも深読みの筋違いかもしれませんけど、可能性として無きにしも非ずじゃないですかね。
独り言でこんなこと言ってるの、私だったらつらいな。この恋人そんなに素敵な、離れるのが惜しい人なのかな…全然そんな風に思えないけど…。(妄想)

 でも、もしかしてこれ仕返しみたいな気持ちもあるのかな、とも思うんです。「あなたが望んでも望まなくても あなたを捕まえているし」の部分。
「好きな人が他にできたら(中略)別れたらいいよ」ってそれまで言ってるのに、恋人が望もうが望まなかろうが彼が疲れ果てて限界だと思わない限り、離してくれない可能性があるってことですよね。もしかすると「恋人に好きな人ができる」のと「僕が疲れ果てる」ことのどちらが先に訪れるか、という時間勝負な状況にすでに置かれているのかもしれませんが、結局最後に思う「その時」は「僕の限界が来た時」なんですよ。相手の都合じゃなくて己の都合で最後が決まるっていう。お前の好きにさせてたまるか、みたいなさ。これもうヌナ好きな人いるんじゃないのもしかして。知らんけど。

 

以上、直訳に近い意訳と個人的解釈でした。
1番と2番の間で地球がうらっ返しになったんかってくらいのどんでん返しが起こりましたね。

結局私の中での結論は、この曲はドデカ愛ではなくしっかりエゴが入ってる人間らしい(恋)愛の歌になってしまうのですが、まあ建前はめちゃめちゃデカい愛に見えるのすごいですね。

 

ここまでを踏まえて私の解釈の歌詞を下記にまとめます。
訳詞みたいなデカい顔して堂々と韓国語の下にいる日本語が、私の捏造版「僕くんのきもち」です。

나를 사랑하는 법은 어렵지 않아요
지금 모습 그대로 나를 꼭 안아주세요
우리 나중에는 어떻게 될진 몰라도
정해지지 않아서 그게 나는 좋아요

僕を愛することがそんなに疲れましたか
あなたが見ているのは いつの 誰ですか
僕たちの終わりがどんなものか まだ何もわからないですね
あなたの中にはもちろん まだ僕の中にも正解はないのだから

 

남들이 뭐라는 게 뭐가 중요해요
서로가 없음 죽겠는데 뭐를 고민해요
우리 함께 더 사랑해도 되잖아요

他人の言うことを聞くのが好きですね
あなたが一緒にいるのは僕なのに
僕たち 一緒に愛しあわないと意味がないんですよ

 

네가 다른 사람이 좋아지면 내가 너 없는 게 익숙해지면 
그때가 오면 그때가 되면 
그때 헤어지면 돼

あなたが他の人を好きになったら
あなたが居ないことを 僕が平気になったら
その時が来たら そんなことが本当に起こったら
その時は あなたの手を離してあげてもいいですよ

 

너를 사랑하는 법도 어렵지 않아요 
한 번 더 웃어주고 조금 더 아껴주면
우리 사랑하는 법도 어렵지 않아요
매일 처음 만난 눈빛으로 서로를 바라봐 주면

あなたを愛することはそんなに難しくないんです 本当は
笑いあって、大事にしあえてさえいれば
それができなくなってしまっているから 難しく感じるんです
初めて会った時の気持ちなんて もう覚えてないでしょう

 

남들이 뭐라는 게 뭐가 중요해요
서로가 없음 죽겠는데 뭐를 고민해요
우리 함께 더 사랑해도 되잖아요

僕らを知らない人が言うことの 何が大事ですか
あなたが居ないなんて 僕は耐え難いのに
あなたは何をそんなに悩んでいるんですか

 

네가 다른 사람이 좋아지면 
내가 너 없는 게 익숙해지면 
그때가 오면 그때가 되면 그때

あなたが違う人を好きになったら
僕が あなたが居なくても大丈夫になったら
そんな時が来たら そんな風になってしまったら その時は

 

그때 그때
その時は その時は

 

네가 원하든 말든 널 잡을 거고
내가 더 이상 지쳐 걷지 못할 때
그때가 오면 그때가 되면
그때 헤어지면 돼
그때 헤어지면 돼

あなたがどんなに離れたくなったとしても
僕の限界まで その手は離してやらない
もう頑張れなくなったら どうにもできなくなったら
その時は あなたの好きにしていいから
まだ どこに行かないで こっちを向いて

 

本当はこんなひねくれた曲ではないと思うので、口直しにBTSのジョングクさんの素敵なカバーを貼っておきます。

soundcloud.com

以上で大捏造大会を閉会いたします。
お疲れ様でした。

 

(解釈記事書ける人大尊敬した)

 

 

永遠に夜でいて

朝が怖い 怖い ただ怖い

目覚めたらすぐ走りだして

終わりまで全力疾走

走ってしまえばなんてことはない

どこまでも走れることは知っている

走る その一歩目が近づくのが怖い

 

走れない 走りたくない もう足が動かない

それでもずっと止まれなくて

気がついたらこんなところ

止まらない 止まるのも怖い

一度走り出したら最後

走れない 走りたくない もう足が動かない

それでも私は今日も走る

 

眠らないで 目覚めないで

朝が私の手を引いて

なんてことないやさしい顔で

真っ赤に焼けた鉄の靴を

息を止めて 夜まで走って

 

走れない 走りたくない もう足が動かない

夜が爛れた足を撫でる

気がついたらこんなところ

夜といたい 夜のままいたい

夜の腕を抜けたら最後

走れない 走りたくない もう足が動かない

だからずっと抱きしめていて

 

逃さないで 渡さないで

夜は私の手を引いて

なんてことないやさしい顔で

真っ青で深い海の夢を

息をさせて 朝から拐って

録りおわってお風呂洗いながら考えたこと(その間3分)

さっき韓国語の勉強をもっと頑張りたいなぁ、と思いながらstandfmの収録したものをTwitterに流して、お風呂入るために洗ってたんですよ、その時にすごい自分天才じゃん→いやそれはダメだろってなるようなことを考えついて、じゃあなんでそんなダメだろ案件が思いついてしまうのか考えたので、聞いてください。들어주세요.

 

自分の韓国語の勉強でまだまだ全然できていないのが下記の3点。

・単語を覚えられてない
・語尾とか接続系の言葉が頭の中で整理ついてない
・聞けてない(これまで聞いたことから組み立て直して口に出す=喋れるになるので、喋れないこともこの「聞けてない」に入ると思ってる)

 

正直、単語と言葉の整理については覚えりゃいいだけなのでやればできる。単語の勉強というのは私は単語帳を作ったり一日何個覚えたりとかは向かないので、日頃耳にしたり目にしたりした単語でわからないものを書き留めていけばいいと思う。書き留めてないけど都度調べているうちに覚えていってる(クッソ時間かかるやり方だけど)。言葉の整理なんかは多分もっと早くできると思う。パターンを覚えればいいだけなので、本腰入れてやれば正直10時間で基本的なところはいける気がする。時間はハングルを困らない程度にすっと読めるようになるまでに3時間かかったので、それと比べてこのくらいだろうなという予想。ただ、翌日熱出したので無理はしない方が良くて、多分3日くらいかけてそのことだけ考えるように勉強すればなんとか思い出そうとすれば出てくる、くらいにはなると思う。そこからはもう使っていけばいいだけなので。

で、一番問題なのが「聞くこと」なわけですよ。これが実際問題一番難しいなと思っていて、ドラマのセリフをずっと聞いてハングルの字幕を読んで、耳で聞こえる音と目で見ている文字を合致させながら、頭の中で意味も追っていく。で、難なく1話をスラスラと真似までできるようになる、というのを繰り返せばおそらくできるようになっていくと思うんだけど、如何せん牛歩なわけですよ。ニートで一日中韓国語のことだけ考えてればいいなら多分3ヶ月くらい頑張ればなんとかなると思うんだけど、社会人の3ヶ月に何時間自分の時間があるのかというお話で、実際に仕事終わった後からずっと韓国語のこと考えててもまだこんな調子なわけですよね。
もうすぐ3ヶ月経つんです。熱を出したから覚えてる、6/29から私は韓国語の勉強をちゃんと始めたんだけど、もう3ヶ月。聞き取れる言葉が少しできて、字幕とセリフの違いがたまーーーーーーーーにわかって、書きたいことは辞書を調べればかけて、翻訳機の翻訳が自分の言いたいことを指してないことにうっすら勘付けるつくらい。これが3ヶ月。いや、何も1年でペラペラになりたい!と思っているわけではなく、ちゃんと使える言語にしたいなと思っているだけなので急いではいないけれど、もう3ヶ月かぁ、こんなかぁ、とはなるわけで。

そこで「こんなかぁ」と思った私はお風呂に洗剤を振りまきながら思ったんです。

あれ、、、もしかして、、、、韓国語ネイティブ(日本語もわかる(重要))と付き合えば、「聞くこと」の部分にかかる時間が激減するのでは!?!?天才か?

と。

天才でした、だってそうじゃん。毎日聞けるんですよ、ネイティブの生きた言葉が。この「生きた言葉」というのは意識高い系のいう「生きた言葉」とはちょっとニュアンスが違うんですけど、目の前で動いて変化をしていく言葉、という意味です。
結局セリフというのはその画面の時間軸では生きているけれど、私の時間軸に持ってくると死ぬんですよね、固定なので。「好き」と自分が表現したい時、ドラマが例えば「나 너 좋아해」を教えてくれたとします。直訳で「私はあなたが好き」ですが、私は「あなたのことが好きです」も「好き、大好き」も「好きっていったらどうする?」も言いたいわけ。これは、そのうちそれぞれ「〇〇のことを〇〇だと思っている」「〇〇、〇〇すぎる」「〇〇って言われたらどうするの?」というセリフはきっと出てくるだろうからそれを待つのもいいし、ネットも大先生みたいなもんなのでそこで調べりゃ、チョアへ関係のことなんか死ぬほど出てくるのでそれで勉強すればいいっちゃいいんだけど、でもネイティブと一緒にいればもう、これ、爆速で解決すんじゃん、全部。
もっと文章が難しくなってくると、大先生もドラマも教えてくれないこともあって、その単語の活用(韓国語にも日本語の五段活用とかカ変みたいなのがある)とかがまっッッッッッたくわからんこれであってんのか?みたいなことばっかりなんだけど、これがネイティブ隣にいれば「こう言いたい時って〜〜であってるの?」とできるわけです。

面白いのが、日本語と韓国語は語順が一緒だし助詞の考え方も似ているので「〜には」と言いたい時は「〜に」+「〜は」をその順番で足せばいいだけだし、「〇〇してみる」時は「見る」が入ってくるしでとても文章を作りやすいんだけど、「〜と思う」という言い方に関しては直訳で「〜と」+「思う」という言い方もありつつ、もっと口語的な扱いで「〜ということと同じ」という言い方もあるんですよ。こういうのは自分で調べて初めてわかることで、「〜と」+「思う」がわかってしまっている人は多分調べないと思うんですよね。「〜と同じ」を聞いて初めて、なにそれ?ってなって、「〜と思う」になるんだ!とそこで気がつく。
まあそういう勉強の仕方も楽しいしいいんだけど、というか今の私がそうなんだけど、言葉を自由に操ろうとするとこれだとかなり先が果てしなくてたまに「遠いな…」と思ってしまうわけです。

 

で、若干疲れている私の脳内で飼ってる悪魔がこう言うんです。

「生きた言葉?本物の韓国の人に韓国語と日本語で会話してもらえばいいじゃん」

はぁ〜この悪魔天才なの?すごいね、でも私朝から晩まで韓国語を教えてほしいんだけどな、とチョロっと思ったんです。あ、今知りたいこの言い方、がいつ起こるかわかりませんからね。そうするとまた悪魔が言うわけです。

「付き合えばいいよ」

おおー!!君は天才か!?!??そうだね!?!?付き合ってりゃいつ連絡しても許されるしあれもこれもって言っても教えてくれそうだもんね!?!?

「それはダメだろ」

おや、誰でしょう、奥から目をさすりながら出てきたのは。

「相手のことなんだと思ってるわけ」

やけに正論を投げてくるのは、そう、滅多に出てこない私の中の天使。宿主に似て、相手のことを考えずにどんな状況でも正論を振りかざすのが得意です。

「寝起きの脳が動いてない奴はすっこんでろ」
「いいことしか考えられない脳だから寝起きでも問題ないんだよ黙ってろ」
「뭐라고?」
「俺の脳は善で埋め尽くされてる」
「キモ」
「ところで、そんな理由で人と付き合うのはやめたほうがいい。相手に失礼」
「相手はこいつが好きで、こいつは韓国語を教えてもらえる、でwin-winじゃん」
「だったら韓国語教師の家に住まわせてもらえばいい」
「それだと相手にメリットがないじゃん」
「恋人にしたってメリットないだろ」
「恋人は恋人でいることがメリットだろ」
「心はねぇのか」
「思ってなくても好きとかは言えるから問題ない」
「問題があったから色々あったし色々起こったんだろうが」
「でもあれは後半こっちにメリットがなくなったから破綻しただけで、メリットある状態のままであればなにも起こらないだろ」
「もし韓国語が習得できたらどうすんの」
「え、まあその時はもうなにもないので、まあ」
「そこがダメだろ」
「いや、だってwin-winじゃなくなるし、と言うことは対等じゃないから一緒にいる意味ないじゃん」
「じゃあ友達でいいだろ」
「友達だとあれ教えてこれ教えてって言うの申し訳ないだろうが、友達の人生の邪魔をするな」
「その友達の部分に恋人って文字を入れてみろよ」
「恋人=双方にメリットがある関係なのでなにしてもいい」
「サイコ」
「恋人なら多少のことは許してくれるしちょっとのわがままは可愛いってことにしてくれるでしょ」
「相手の人生の邪魔してんのよな」
「相手が選んだことだし自己責任。こいつと一緒にいるって選んだ自分を恨めよ」
「こいつが一緒にいると言う選択肢をチラつかせなければなにも起こらないかもしれないと言う可能性については?」
「むしろこっち的には四六時中一緒にいて韓国語を教えてくれないと、付き合うこと自体がデメリット」
「話通じねぇ奴だな、귀 뚫렸어요〜?」
「そもそも付き合う付き合わないをメリットデメリットで考えること自体、なにがいけないわけ?全員、好きと言う感情があるから見えてないだけで絶対考えてることだろ」

それね〜〜〜〜〜まあ私のこと好きな韓国の方はいないのでこの脳内会話は完全に無意味なのだけれど、この、メリットデメリットで考えていることが表に見えた途端「善くない」とされる現実!が、クソだと思う。みんな考えてるでしょ、知らんけど。「好き」って言う感情に覆われてるせいで見えないだけで、絶対あるって。

と、こんなことを考えながらスポンジを手に取り、バスタブを洗っていきます。

 

天使が言います。

「そもそもメリットデメリットを自覚した状態で、自覚してない人と一緒にいるのは善くないことなんじゃないか」

それも一理ある。結局その二人の行き着く先にきっとハッピーはないし、自覚ない方はおそらく私の考え方を「悪」にするだろうから、双方傷ついて終わるだけなきがする。でも結局、一緒にはいてほしいけど感情が追いつくことはない場合、どうしたらいいんだろうか。

「だから、一緒にいることを求めること自体間違いなんだって」

ですよね。そうですよね、わかってはいたんです、悪魔のこと天才だとは思いつつも、そんなことしてじゃあ相手はおもちゃか、PCか、外国語教師の代わりですよ、そんな扱い受けてどうなんだと。でもじゃあなんで恋人たちは一緒にいるんですか。恋人たちはなにがどうして付き合って、なにがどうして一緒にいて、相手のことをなんだと認識しているんですか。恋人ってなんですか。

「それはわからん。なんてったってお前の脳の中の天使なので」

クソ使えない奴はすっこんでろ!!!!!!(スポンジをバスタブに叩きつける)

 

結局、感情があればそれがいる理由になるのでメリットデメリットというのを考えなくていいのだと思うのだけれど、感情がない場合は一緒にいるかいないかを選ぶ理由がメリットデメリット以外ないと思うんだけどどうなんだろう。
だって実際、メリットがあったから付き合ったし、メリットがなくなったから別れたんですよ。メリットがない人と一緒に住んで、それはなに?同居?友達でもない人と?ってなるじゃん。だから別れたんですけど、これが悪だというなら悪にしてくれていいけどその善悪はなんかだいぶ、だいぶこう、恋愛至上主義的だなぁと思うんですよね。なんかね。

 

でもまあ良くないんでしょうね!コツコツ自分でがんばります!せめて友達!
クソみたいな思考は泡と一緒に流してしまいましょう!!アンニョン!!

 

 

지금 나가 들으묜 기분 좋은 말은 "너의 번역기가 되고 싶다 "
(질리지도 않네요)