月が綺麗だからなんだって話で

アセクシャルな人間の雑記

己をブスと言ってもいいけど己を面白くない人間とは言うな

ブスも言っていいわけないだろ昨日の私!私に謝って!
(今日のブログは綺麗な言葉の中で生きたい人は読まないでください。罵詈雑言の嵐です。)(綺麗な言葉の中で行きたい人はそもそも私のブログは読まない)(確かに)

今日は飲酒しながら書くので、投稿した時の文章が文章になっているか全然自信がありません。チャミスルのいちご味を飲んでいます。最高。でもそもそもやっぱり焼酎自体飲めなくなってますね、あんまりお酒の味を美味しいと思えない。果実酒は好きですよ、炭酸が苦手なのでロックで飲んでベロベロになりがちです。お酒のお供は無花果とヨーグルトです、全然お酒に合いません。今家に何もないんですよ、無花果とヨーグルト以外。マジで。

 

本題に入ります。

昨日、同期とご飯に行ったんです。前の職場の同期で、一人が今まで出会った誰よりもお金持ちなんですよ。どのくらいお金持ちかというと、あるクルーズ船が大好きでしょっちゅう乗っていて、そのお船で出会った「ご友人」は百貨店に行くと裏に通されて外商さん付きでお買い物するらしいです。入社した時、この子だけマジで生きてきた世間が違いすぎてお互い戸惑いがえげつなかったんですけど、彼は私たちの世間を知ることを頑張りました。今その子と交流が続いているのは今回一緒にご飯に行った、私を含む3人ですが、この3人はこちらの世間に慣れない彼でもどうでもよかったタイプの人間たちです。他の同期に関しては正直クソだったなと思っています。よく人のこと偉そうに評価できたなと。彼は世間知らずなんじゃなくて、私たちと生きてきた世間そのものが違うんです。そちらの世間のことを私たちは知らないけれど、その子は知っています。そちらの世間かあちらの世間か、それだけの違いです。その子の誘いで、その子の行きつけのフレンチを食べて来ました。びっくりしたんですけど、彼がつくやいなや表にいるおじさまにめっちゃ話しかけるんですよ、タメ口で。すげ〜と思いながら「今日はお土産持って来てないの〜。来週も来るからその時に持ってくるね」って聞こえて来て来週も来んのかいとも思いましたが、本当に小さい頃からの常連さんらしくて、ご家族で来ていたこともあってスタッフさんたちも全員彼を知っているような状態でした。面白すぎるんですよこれがマジで。一回体験してほしい、自分よりも一回り以上年上だろうなって方達に彼の友人だからってだけで死ぬほどペコペコされるのを。死にます。申し訳無さすぎる。彼にはまあおつきあいってものがあるからそれでいたらいいと思うんだけれども、私たちにまでそんな遜らなくていいんですよ。どう考えたってそんな扱いを受けるような人間ではないので。びっくりする。入社したての頃、だから6年前くらい?にも彼に連れて来てもらったけど、その時もこんな感じだったっけ?もうちょっと普通じゃなかった?今回は閉店してお客さんがいなくなっても私たちお話してたからね。迷惑だろ早く出ようや。しかもビビったことに、何も言わずにでっかい皿でたくさんのデザートが運ばれて来たんですけど、あれめっtyっっtytytytytytyちゃサービスだったっぽいです。メニューを思い返しながら帰ってた時に、メニューの注意書きで「デザート全盛りは+500円」みたいなことが書いてあったことを思い出したんですよ。多分全盛りだったんですよ。500円…!すみませんねほんと…そんなにサービスしてもらっといて「あんまりお上品なフレンチではないよな」「大味な感じで大衆向けにしているのかな」「うるさい店だな」「私たちもこんなに声がでかいのに怒られないんだな」「つか声のトーン落とそうや!」「うるせえ!!」とか思ってほんとごめんなさい。でもほんとうるせぇ。彼が一番声がでかい。もうちょい静かに話したい私は。私はよく声のでかいお客さんの話とかよく聞いてクスクスしちゃうタイプだから、自分たちのテーブルがうるさいと自分の下着姿を見られているみたいでとても恥ずかしい。でも声大きいんじゃない?って言えなかった自分が一番恥ずかしかった。

数億年ぶりにパスタを食べました。私何するにしても数億年ぶりなんですけど、パスタは本当に数億年ぶり。実家で親にナポリタン作ってもらって以来だと思う。いつだろう、4ヶ月くらい?全然億じゃねぇな。ちょっと塩味でしたけど美味しかったです。っていうかさ!!そうだ、思い出した!!私が食べたパスタは400円プラスのパスタだったの。プラス料金のメニュー選ぶだけで「余裕あるね」って言ってくんのやめてくんない!?!?!?!余裕ありますし、美味しいもの食べるために仕事してますし、決められた金額の中で美味しいものを食べるのもいいですけど、ちょっとお金払ってちょっと美味しい特別メニュー食べるのも楽しいじゃん。そのために働いてるんで。つか人が何食べようがよくね。さすがに私の「サラダチキンしか食べない」とか「キャベツだけ食べてます」とかは何か言われても仕方ないと思っているんですけど、メニューで提示されてるものくらい普通に選ばせてくれや。いちいち言ってくんなほんと。なんかの時にも言われて同じようにイラっとしたんだよな。人が食うものに口出すな。好きなもん食わせろ。そんなこんなもあってめっちゃ美味しいフレンチ、というわけにはいきませんでしたが美味しかったです。

それでね、タイトルの話になるんですけど、昨日彼がとってくれた写真に写ってる自分がなんかもう凄まじかったんですよ。あれ?私の顔ってこんなだったっけ?と思う感じで、これぞBAD!って感じの落ち方したんです。ツイートもしていたから見りゃわかるんですけど、凄惨。だって他撮りの写真で一番ひどい顔面だったんだもん。ちょっとやせてきたなとも思ってたのに今までのどの写真よりも太ってたし。他の3人の写り方もすごかったからそういう写真だってのはわかってるんだけど、やっぱり自分のこととなるとそういうわけにもいかないよね。お腹すいたな。サラダチキン食べたいけど外寒いし絶対に出たくないな。そもそももうまあまあなスピードで飲んでて立ち上がれない。顔も赤いし。そうだ、今ハマってるサラダチキンお知らせしておきますね。TANPACTのバジル味です。これす。

www.itoham.co.jp

めちゃ美味しいから見つけたら食べてください。近所の人は私の分を残しておいてもらえたら。なんの話だっけ。サラダチキン美味しいよって話なんですけど、キャベツ生活には終止符が打たれそうです。お腹の調子はよかったしキャベツ用に買って来ていた調味料もまだ残っているのでしばらく量を減らして続けるとは思いますけど、このサラダチキンになりそうでちょっとドキドキしてます。他に食べたいものがないんだよな。これをお腹いっぱいになるまで食べ続けるとかだったらどうしよう。タンパク質も摂りすぎると脂肪になっちゃうらしいですよ。ぜったいイヤじゃん。ちょっと待って、酒が進めば無花果が進まんし、無花果が進めば酒が進まん。ただ他に食べたいものが思い浮かばないので仕方ないんですよね。唐揚げとかも別に欲しくないし。てかなんの話だっけーーーーーーーーー!!!

そうだ、自分を面白くないっていうなって話。待って、ブスって昨日自分に言いつづけたんですけど、そうするともっとブスになりそうだし少し傷ついたので、やっぱり他撮りがどんなに酷くてもちょっとは可愛いかもしれないと思って生きることにしました。個性的な顔。それで。

んで、昨日そのお金持ちくんが自分のことを「もうあの当時の棘はない、面白くない人間になったよ」って言ったんです。きにすることじゃなくね!!!!!当時の棘は棘でもなかったし、尖ってると言われたのは世間が違ったから文化が違っただけだし。今の君がまろやかになったと思うのはこちらの世間を知って慣れたからだと思うし。それは別に面白くないってわけじゃないよ〜と思ったんですよ。てかね、尖ってる=いいことってわけでもないから。悪いことでもないけど。面白くない=悪いことってわけでもないし、面白くない=面白くないってわけでもないんですよ。彼はずっと前のままの自分が良かったんですかね。それとも周りに「やっぱいきて来た世間が違うんかな」と言われているのが心地よかったんかな。だとしたら物足りなさを感じてしまうのかもしれないけどね。辛ラーメン食べたくない?いや、いらないです。はい。それでさ、ことあるごとに「面白くない人間になったよ〜」っていうんですよ。うるせえ!!!!!面白いと思ったこともねーけど面白くないと思ったこともねーから!大丈夫!!君は君のままでいたらいいよ、その時いきやすい世界でいきたらいい。大丈夫、この子面白いな〜って思ったことないから。他の同期にもこの子面白いな〜って思ったことなかったから。みんなガキだな〜とは思ったけど。(自分も含めね)

ねむ〜〜〜〜〜〜。そうだ、女の園の漫画家さんが描いてる『カラオケ行こ!』って漫画知ってます?私こっち先に読んでたんですけど、これめっちゃ面白いんでオススメです。

www.amazon.co.jp

え、映画化すんの?すげ〜〜〜〜〜〜〜〜。絶対面白いです。時間もちょうど良さそう。最高。

お酒が回って来ましたね。眠たい。私ね、お酒飲むと、身体が生命活動を終了しようとするんですよ。体温がね、もうね、ぐんと下がるんです。寒くなって、身体がガタガタ震えて体温下がるんですよ。多分死ぬ前なんですけど、毎度毎度、どんなに暑い日に飲んでも寒い日に飲んでも、お腹いっぱいで飲んでも空きっ腹で飲んでも、生命活動が終了しかけるんです。即二日酔いみたいな症状になるし。お酒飲むの向いてないんですけど、それでも飲みたいと思う日はあるじゃないですか。むしゃくしゃして飲むとかじゃないんです。つまんないな〜面白いことないな〜と思いながら飲むんです、一人の時は。友達と一緒の時はとっても楽しいお酒を飲みますよ?でも一人だとね、そもそも一人のご飯もクソポンコツなのにね、美味しいお酒なんて飲めるわけないじゃないですか。味は美味しいですよ、お酒の味の部分を除けば。ところで、お腹が空いたんですけど。誰かTANPACTサラダチキン買って来てくれないですか?今あれしか食べたくないです。てかずっとあれだけ食べたいです。これキャベツにハマった時も言ったな。キャベツ、一ヶ月くらい続けたかな?そんなには続けてないかな、3週間くらいかな?それはもはや一ヶ月でしょ、ははh¥。疲れた〜首が上がらないな、頭が思い。お酒が回るとね、生命活動が終了しかけるのと同時に頭がもたげてくるんです。頭が重たくなってね、首だけでは支えきれなくなるんですよ。重〜〜。誰かに支えててほしい。眠たい。寝ます。お休みなさい。

金木犀

去年の秋、「この」香りが金木犀なのだと初めて認識した。秋は昔ずっと香ってた香りがするとは思っていたけれど、まさかそれが金木犀だとは思ってもみなかった。

私にとって金木犀のあの香りは、小学六年生の時に使っていた学校のトイレの香りだ。情緒もクソもない。おそらくトイレの裏手に金木犀の木があったのだと思う。置いてあった芳香剤は石けんの香りかラベンダーの香りだったし、トイレ掃除担当だった頃に強烈な香りだなと思ったクレンザーも金木犀とは少し違ったはず。

ただ、一年中香ってた気がする。小学六年生に関しては秋以前の記憶がないので、金木犀の香りと秋が結びつかないのだ。

 

あの香りのどこが人の心を揺らすのだろう。

小学六年生の秋、私を対象としたいじめが激化した。昔はそれが秋になると思い出されて憂鬱な気持ちになったり弱ったりしてそれこそ心を揺さぶられたけれど、何度も揺さぶっていると人は慣れる。日本人がそれなりの震度の地震に動揺しないのと同じように。もう今やこの香りを嗅いだからとて、崩れ落ちる心はない。

いつだって、コンクリート打ちっぱなしの、洒落てるんだか手を抜かれてるんだかわからないトイレの、横長の窓から見えた秋空だけが脳裏に浮かぶ。

 

あの頃私は、トイレの掃除が好きだった。毎週金曜日は裸足でサンダルを履き、床を磨いた。

デッキブラシは憧れの魔女のキキが飛んだものにとても似ていたけれど、トイレから飛べてしまったらそれこそ情緒が台無しになると思って、一度もまたがってみたことはなかった。それでもキキと同じデッキブラシを手に出来ることが嬉しかったし、学校から逃げられる週末が来たことも実感できた。

夏でも冷たい空気で満たされた少し不気味なトイレは、私のオアシスだった。

 

金曜日の掃除は、まず水道に緑のホースを取り付けて、床を水浸しにしてクレンザーを撒く。それこそトイレに充満する金木犀の香りを消すかのごとく、これでもかという気持ちで。

和式トイレが3個、洋式トイレが1個だった。1番奥の個室にだけ気をつけて、手前の和式トイレにはタンクまで濡らしてしまう勢いで水もクレンザーもぶち撒ける。

そこから、クレンザーをもこもこに泡立てるようにデッキブラシで床を擦り、便器を丁寧に洗い、タンクを拭き上げ、今度はこれ以上の泡が出来ないよう静かに大量の水を流す。このあたりで、もう私の安息の時間が終わってしまう実感が出てきて少し苦しくなっていたけれど、この世の水全部を使ってしまうのではと思うほどの水量を流し続けることでいつも誤魔化した。

山から直接引っ張ってきた水道から出る水はいつも冷たかった。夏には気持ちのいい冷たさの、冬は一刻も靴下を履きたくなる冷たさの水で足を洗い、金曜日のトイレ掃除は終わる。

 

掃除中クレンザーの黄色い化学的な香りでいっぱいだったトイレは、泡を流しきるとすぐ金木犀の香りに包まれていた。私はその香りが苦手で、しゃばしゃば振って香りのシートに液を補充するタイプの芳香剤を振りまくっていた。ラベンダーの香りは児童たちには不評だったけれど、私にとってはつらい金木犀の香りよりずっとマシだった。

今は金木犀の香りがすると、心が揺れない代わりに、足が冷える。冷たい水がどこからか流れてくる。パソコン室で過ごす昼休みの間に溜まった涙を洗い流していた水。死にたいと酔った心を覚ましていた水。

もう二度と香ってくれるなと、いつも思う。

 

 

 

 

 

咀嚼嫌いのランチタイム

来週から週4出社になる。

出社して働く分には何も問題ない。軽い連絡を口頭で済ませられるし、いじめ疑惑のある上司は周りの目を気にして大人しいし。

ただ、お昼ご飯に困る。食とうまく付き合えない身としては、食べたいと思っていない時間に、しかもその時間にしか、食事を摂れないのは結構な痛手だ。とりあえずお腹は空いてしまうので、この2週間は週3回の出社日のお昼を飲むゼリーで過ごした。会社の裏手にあるセブンイレブンは、飲み物と飲むゼリーの種類が豊富で良い。

今日は流石に何か咀嚼をしてみようと思い、プロテインがどうのという魚肉なのか何肉なのかわからないソーセージ?ウインナー?を買ってみた。何も情報が入ってなくて笑える。バジルソルト味だったことだけ覚えている。美味しかった。バジルというより大葉のような味がした。

来週は飲むゼリーとこのプロテインソーセージにしてもいいかなと微かに思っている。

とはいえプロテインソーセージに関しては、顎がちょっと疲れたことが気にかかっていて、採用へのあと一歩を踏み切れないでいる。このソーセージは軽く弾力があって、ちょっと長い。私は仮面ライダープリキュアが書かれた子供向け魚肉ソーセージくらいがちょうどいいのだけれど、プロテインソーセージは仮面ライダーソーセージの一箱分くらいある。ちょっと多い。

飲むゼリーは杏仁豆腐のものがおいしい。ただこれはちょっとゼリーが硬くて吸引にエネルギーを使う。そのせいで若干上顎が痛くなる。上を向けばダーッと流れてくるような飲むゼリーはないのだろうか。吸わさせないでほしい。流させてほしい。

今日も明日も来週も、私は咀嚼が嫌いだ。

 

 

 

コンタクトレンズ総額4万円弱を捨てた話

先週の土曜日に会計を済ませていたコンタクトレンズ両目半年分総額3.6万円を、TOHOシネマズ新宿のロビー階にある女子トイレの手前側個室の赤ちゃん座らせるシートに置き忘れ、思い出した2時間後に探しに行ったらご丁寧にネットで買える顧客番号の紙だけシートに置かれていて、3.6万円は綺麗さっぱり消えていた。

引いた。自分に。

 

そもそも事は9月の頭まで遡る。

仕事の人間関係が急に苦しくなり、縋るように日帰り旅行の計画を立てた。川下りと吊り橋を渡ることだけが目的の、他には何も付属のない旅の予定だった。行き帰りは高速バスで、目的地までは高速バスの停留所から電車で30分ほどの場所。四季折々の渓谷の景色が楽しめるとうたう川下りは穏やかそうで、吊り橋も緑緑しい森の中にかかっていて絶景を拝めるらしい。

どうしても吊り橋を渡りたかった。今までの人生で吊り橋を渡った事はなく、吊り橋にこれといった思い入れがあるわけでもない。ただ漠然と、宙に浮いてる気持ちを味わいたいと思っていた。ちょっと生から離れるような、そんな感覚。非日常な場所で少しだけ、足を浮かせたかった。あわよくばどこかに飛んでいってしまえないかと。

それからどんどん仕事(人間関係)がキツくなり、忠誠を誓っていたこの場所からもこの上司からもいつかは離れなければと思いながら、怒り悲しみながら、それでも依存に慣れている心はいつかまた以前のように参謀程度には戻れるのではないかと希望を捨てられずにいて、日帰り旅行までなんとかたどり着こうと這って進んだ。ただ、おかしなことに、少しずつ旅先への興味が失われてきて、楽しみにいきたい気持ちよりも「行かねばならない」という謎の感覚に囚われていた。

 

旅行の日は朝からどうも普段と違った。私は自他共に認める幸運な人間で、やめた方がいい事は何かしらの邪魔が入ってやらずに済むことが多く、やった方がいい事は追い風が吹くかの如く事が進む。私に学ぶことが必要とされる時はそれ相応の試練が用意されているし、おかしいなと思って立ち止まらなかったら大事になっていた、というようなことが多々ある。

この日は朝から邪魔が入っていた。予約していた川下りの時間に着くためには1時間半しか猶予がない高速バスしかなく、よほどのことがない限り間に合わない事はないだろうとそのバスを取ったのだが、事故渋滞で1時間半遅れ、予約に間に合う電車が出る5分前に停留所に着いた。PASMOが使えない駅で、慣れない運賃表を読み、滑り込みで電車に乗った。電車は途中、対向電車とすれ違うために待たないといけない区間があったのだけれど、その電車が7分遅れているとのことで長い間停車していた。昼食を取ることを考えるとギリギリだった。予定から2時間遅れでなんとか目的地に着き、無事川下りの受付はできたものの、本当に船が出るのかわからないほど川は増水していた。どう考えても「死んだら自己責任だと叩かれそうだな」と思うほどの川の様子で、いつもならキャンセルして帰る気持ちになるのにこの時はどうしても川に降りたかった。

予定の時間まで40分ほどあったので吊り橋に行ってみようかと探してみるものの、自分がどこにいるのか分からず橋自体もなかなか見つからない。看板はあったし、その方向に歩いてきたはずなのに、どうしても道が見つからなかった。お昼ご飯を食べたいお店があったため、吊り橋は川下りの後に回して食事に向かった。美味しい馬刺し定食を食べた。ここが一番平和だったかもしれない。その後すぐ川下りの時間になった。私以外にも3組乗客がいて、私が死ぬ時はこの人ただも一緒か、と思うと少し嫌な気持ちも減った気がした。船はおそらくよほどのことがない限り運行中止にはしてきてなさそうな雰囲気で、増水した荒れた川でもすいすいと観光客をもてなした。私は川岸の花にも木にも線路にも魚にも興味がなかったので、山から立ち込める靄をひたすら眺めていた。ガイドさんの説明はほとんど聞いていない。

15時過ぎに終点に着き、そこから何事もなく乗船場まで戻った。帰りの電車まで1時間半あったので、今度こそ吊り橋に向かった。どうやら先ほど行こうとしていた道は反対側の整備されてない方で、正規の道を通ると分かりやすく、5分ほど歩いただけで着いた。山から立ち込める靄がかなり好きなこともあってかっこいい景色だなと思いはするものの、以前の旅行で感じた、心に風が抜ける感覚は得られなかった。雨だからだと思った。吊り橋は案の定独特の浮遊感があって、ずっと求めてきた感覚のように思えた。このふわふわと地に足がついていない感覚。どこかにスッと飛んでいけてしまいそうな感覚。ずっと欲しかった。希死念慮がなくなってもこれだけはなかなか消えてくれない感覚だった。いい思いをした、と思いながら元の道に戻っている途中、何の看板もないけれど横道に入っていける階段があったので登ってみた。「これは戻った方がいいよ」と声をかける自分を無視して進むと、何かの施設の裏に出た。特に大した場所でもなかったが、少し怖くなって駅に戻ることにした。

 

最悪なことに高速バス乗り場に戻る唯一の電車が運休していた。ちょうど吊り橋を渡った時間に、大雨の影響で止まったらしい。たまたま元の計画より前1時間早めに駅に向かったため、タクシーに乗れれば問題なく乗車場に行ける余裕があり、運良くタクシーが一台だけ駅前に停まっていたので約30分の道のりをタクシーで移動した。〆て5千円。一時期タクシーで帰宅していた民からすると5千円はポンと出せる金額だ。とにかくあの村を出られたことにひどく安心した。

高速バス乗り場に着くと、予約したバスの1本前のものが停まっていた。怖い思いをしてお腹が空いていたので駅のキオスクで何か買おうと覗いたら何もなく、駅の待合室も人が多かったため、バスの停留所で1時間待つことにした。すると、バスから運転手さんが出てきて声をかけてきた。

「お嬢さん、何時のバスに乗るの?」

「18時発なのでこの後です」

「これに乗せてあげようか?」

あれよあれよという間に、運転手さんの手で私のこの地からの脱出時間が1時間も早まった。そのまま無事に東京に帰り着いたが、調べたところその1本後のバスは遅れに遅れ、それになっていたら私は終電を逃して家に帰り着けなかったようだ。優しい運転手さんがいて本当によかった。

 

帰り着き、いつも通りの生活に戻り、翌朝は行くべき病院の予約を翌週にずらし、少し起きて食事をし、昼寝をした。低気圧による頭痛がひどかったのだ。それから3時間後、部屋が暑くて目が覚めた。目が覚めた途端、いつも静かなウォーターサーバーが急にボコボコと音を立ててボトルを凹ませた。玄関付近で壁が鳴り、寝ているすぐ横の窓がガタッと音を立てて、上の階の住民が走り、窓側の壁がバキバキッと鳴った。信じてなくても分かる、私はあの村から何か連れて帰ってきた。やばいやばいヤバい!とにかくパニックになってベッドから動けず母に連絡した。連絡したってどうにもならないのだが、こういうのは1人で抱えるからどうにもならないだけでもしかしたら母がどうにかできる可能性も秘めてないこともないかもしれないしそんなこともないかもしれないけど何となくどうにかなるかもしれないだって私より25年多く生きてるんだもん!

母に連絡しているうちに雷が鳴り始め、もはやホラー映画乙、という気分になってきたことで逆に落ち着きを取り戻し、塩を入れまくったお風呂に浸かった。「何を連れてきたかわからないけど私はまだ生きたいです」と一生懸命心の中で唱えながら身体を清め、幾分かマシになった気持ちでお風呂から上がった。ただ、何となく嫌な気持ちになった感覚というのはすぐには無くならないもので、ソワソワし続けることに腹も立ち始め、大量の塩をこれでもかというほど玄関とトイレとベランダに撒いた。アパートを塩で囲ってやろうかとも思ったけれども、他の部屋に潜んでる何者かが塩によってできた結界に閉じ込められて出られず結果として悪影響を及ぼしたら嫌だなと思い、自分の部屋だけ玄関とベランダに線をひいた。心の中では何者かをボコボコにした。私は何者かにパワーで挑む、ホラー映画だと最初に死ぬモブキャラだろう。でもホラー映画の世界ではモブが一番幸せなのだ、序盤で殺されてしまえばもうそれ以上怖い思いをしなくて済むのだから。

 

朝、気持ちよく目覚めた。もう何もいない。いる気もしないし影響もない。最高の朝だ。今日は昨日受け取るべきだったコンタクトを受け取って、スタバでアフォガードフラペチーノを飲んで、映画館で『ヘルドッグス』の2回目を観て連休最後を締めくくるぞ。終わり良ければ全て良し。昨日までのことなんてもう無かったかのよう。今日のメイクはいつもとアイシャドウを変えてみた、かわいい!涙袋のグリッターも2種類を使い分けてみた、かわいい!去年着られなかったお気に入りのワンピースを着てみよう、ちょっと痩せたのか入った!かわいい!今日の私は最高!お金も払ってるからコンタクトレンズは受け取るだけだし!半年分もあるからまあまあな荷物だけどこれで眼鏡の不便な生活も終わらせられるから全く問題ない!店員さんが「何かソースかけますか?」って受け取りのところで急に聞いてくれてカスタムしたフラペチーノも美味しい!本も面白い!ああなんて最高な日!!映画もやっぱり面白いな〜私の中の坂口健太郎に世の中の坂口健太郎がやっと追いついた最高!!だから気の狂った役が合うって言ったじゃん〜〜〜!!!!

 

 

コンタクトレンズどこ!!!!

 

 

スタバから移動させた記憶もないけれど、なんとなく思い起こせば映画館でドリンクを買う前に寄ったロビーのトイレの赤ちゃんシートにジャストフィットだ〜と思いながら入れた気がする。スタバじゃないと思う。きっとトイレだろう、と思って見に行った。長蛇の列に心が折れかけながら並び、目当ての個室が空くまで後ろの人に「忘れ物を取りに来ただけなので先にどうぞ」と声をかけ続け、開いた途端にその個室に入った。赤ちゃんシートの上には、眼鏡市場でもらった自分の顧客番号が書かれた「ネット購入のすすめ」的な紙が置かれていた。明らかに私のものである。コンタクトレンズはどこにもない。しっかりきれいに左右6箱ずつ計12箱、〆て3.6万円。どこぞの誰かに持っていかれたのだ。

きっと、3週間か2週間前に「上司痛い目見ろ」と呪ったのがいけなかった。人を呪うと自分に返ってくると聞く。痛い目見ろ、はかなり優しくまろやかにしたわけで、本当はもっと酷いことを願った。絶対にそのせいだ。結局タクシー代とコンタクトレンズ代で4.1万円。ホテルと新幹線代を合わせればそんなものだろう。変な気持ちに囚われて行き先を決めず、危なそうなら計画を変更して、いっそ新幹線で行ってどこかに泊まってくればよかった。とは言えやってしまったことは仕方がない、きっと今回はこうなる運命だったのだ。危ないことは考えない、危ないことがわかっていて実行に移さない、死ぬかもと思うならやめる、人を呪おうと思わない。全部これを学ぶための代償だったのだと思う。むしろ、コンタクトレンズを失くしたことでえんがちょできた、と考えれば安いものかもしれない。

 

これからは「明るく楽しく元気に健康な気持ち」で、「人が多く明るく王道で活気のある」観光地に旅行することを誓う。

狂っても「どこかに飛んでいけるかも」などと思わないように。

 

あと私のコンタクトレンズ盗んだ人へ。そのコンタクトレンズには多分私の方で切れた悪縁が乗ってるので碌なことにならないと思います。気をつけてくださいね。

 

 

 

 

偏食家の脳内

まな板を良いものに変えて、果物ナイフといい包丁(肉を切る)といい包丁(野菜を切る・中華包丁とかでもいいかもね)を揃えたら、もしかしたらちゃんとした食事をするようになるんじゃないか、と少し思ったりする。絶対そんなことないのに。確かに、切りにくい包丁といつ買ったかも覚えていないまな板のコンビは非常にものを切りにくいし、そのせいで包丁を使うような料理はできるだけしたくない。少し前まで3週間連続<納豆味噌汁・市販の卵焼き・絹どうふの厚揚げ2個を焼いたの>を食べ続けていたが、これは完全に包丁がいらない食事だった。野菜も肉もない。今は飽きて、毎日毎食<キャベツの細切り(千切りより太い・私は千切りができない)をレンチンして塩昆布とごま油とごまを振りかけたの>を食べている。これが美味しい。この世で一番美味しいものなのではないかと思うくらい、最強に美味しい。今回ばかりはキャベツを切らないといけないので包丁を使うが、逐一切るのが面倒なので、キャベツを買ってきた日に一気に切ってジップロックに入れる。ジップロックを生み出した人は天才だと思う。昨日は太く切りすぎて入らなかったので夜ご飯に3分の1玉くらい食べてしまった。さすがにお腹が張った気がする。キャベツはそのまま生で食べてしまえばいいじゃないか、とも思うかもしれない。ところがここ最近わかったことがあって、どうやら私は生野菜の消化が下手くそらしい。前はサラダが大好きで、これまた毎食大きなボウルいっぱいの生野菜を食べていたのだけれども、これを食べ続けている間は何をどう頑張っても便秘がよくならなかった。そこで温野菜に変えてみたところ、便秘が完全に解消されて、お腹が張る感覚もなくなった。なんと、私は生野菜に合わない体をしているらしい。小麦粉もなんだか具合が悪くなるし…もうお前は何なら問題なく食べられるんだ…?そんなこんなで、キャベツも温めて食べると調子が良くて、快適に過ごせているというわけだ。多分ガチガチの細胞壁をぶっ壊すのが苦手なのかな、知らんけど。温野菜で食べられるって考えたらそのくらいしか思いつかないよね。にんじんやかぼちゃ、ブロッコリーなどの温野菜にも挑戦してみたけれど、たくさん咀嚼しないといけないのが本当に嫌だった。まだ前回切って保存している彼らが少し残っているから使い切るためにあと一回は彼らの温野菜を作らないといけないけれど、もう少し顎の体力が戻ってからにしたい。そう、私は咀嚼が大嫌いだ。面倒臭すぎる。かといってドロドロのものを食べるのも勇気が湧かないけれど、白米を毎日食べるならおかゆを毎日食べたいし、ポトフを毎日食べるならミネストローネを毎日食べたい。できるだけ小さくしたものを食べたい。だからキャベツも温めて小さくするし、ちぎるのではなく細切りにする。細切りにしたらフォークで巻いて、パスタのように食べられるから好きだ。パスタは小麦粉の魔物が大量に住んでいて太刀打ちできない(前述の通り具合が悪くなる)ので、キャベツでパスタの気分を味わっている。キャベツの芯が大嫌いだけれど、温めると柔らかくなって問題なく食べられる。生だと噛まないといけないし嫌な甘みが出てくるけれども、温かくなると繊維をちぎるだけでしっかり噛まなくてもなんとかなる。キャベツをするすると飲み込むことでお腹は大丈夫なのかと心配になったけれど、今の所何も問題がないので良しとする。キャベツの話は終わりでおかゆの話に移る。先日おかゆを久しぶりに作った。2日間作ったのだけれど、1日目は半合、美味しすぎて一瞬で食べつくしてしまったので翌日は1日分のつもりで1合分作った。結果、30分で全部食べてしまって罪悪感が半端じゃなかったので今後おかゆを作るときは絶対に半合までしか作らないことにする。私はあればあるだけ食べてしまう。我慢ができない。味付けはシンプルに塩が美味しい。2日目は色々入れて作ってみたが、たとえ野菜がたくさん入ったとて出汁類は増やさない方が良さそう。それよりは塩を増やした方が味が濃くならなくて美味しい。中華がゆも好きだけれど、家で自分で作るのなら普通のおかゆが美味しいと思う。中華がゆはそれこそ秒でなくなってしまう。ところで、新宿駅京王線の近くに、好きなおかゆやさんがある。一番好きなおかゆやさんは中華街にあるが、そんなところまで頻繁に足を伸ばすことはできないので、中華がゆを食べたくなったときはそのお店に行くようにしている。ただ、ここは私が社会人何年目かのタイミングでメニュー変更が行われていて、それまで豊富だったメニューがかなり減ってしまったし、量も減って実質値上げが起こっている。今となってはこのお店の他に美味しいところを探したいくらい、過去のお店の良さを知っている身としては辛いところがあるのだけれど、それでも背に腹は変えられないし悪くはないのでたまに行く。頻度がたまにになってしまったのは、私が外でお米をあまり食べないようになったからだ。食べすぎるし、だいたい吐きたくなるのでよくない。そんなことばっかりだ。吐きたい気持ちが起こるようになってからもう10年になるけれど、そろそろ吐きたい気持ちともおさらばして、気持ちよく食事をできるようになりたい。そうなるためには、1人でも小麦粉の悪魔と戦えるようになることと、1人で家で食事をしても美味しいと思えるようになる必要がある。前者はもう戦うだけだと思うのだけれど、後者についてはどうしたらいいのかが全くと言っていいほどにわからない。人に相談しても、その人たちは問題なく食べられる人なので解決できないし、割と何年も八方塞がりだ。そういう下手なことしかない。もっと上手く生きたい。昼休みが終わるのでここまで。

 

追記:夜です今。今晩のご飯にお肉を入れようと思って、<何かしらの豚肉でレタスを巻いたの>を作ってみたのだけれど、これが一番美味しい食べ物かもしれない。キャベツにはない満足感(肉)がある。ただ、価格や手軽さまで点数に含めるとするとキャベツの方が圧倒的高得点。レタスを分解し、まとめて丸め、さらに肉で巻き、だいたい一回だとお皿に入り切らないので二回に分けてレンチンする必要があり、さらに一口サイズに切る、というクソダル工程が発生するので、切っておいたものを盛り、レンチンするだけのキャベツには到底勝てない。あとキャベツの方がレタスよりも安い。キャベツを肉で巻くとキャベツの味の主張が激しいのであまり好みではなさそう。やはりキャベツは細切り、レタスは肉巻き。肉巻きは贅沢品認定。1週間に1回程度にしておこうかなと思う。ちなみに肉はおそらく豚バラになれば最高に美味しいはず。ダイエット中なので硬い部位にしたけど。たくさん痩せたら豚バラで食べる。明日も美味しいご飯が食べられますように(キャベツ)。

 

 

どの概念の箱に誰を入れるかということ

前回帰省した際に家族で友情と恋愛について話したことを、その場にいなかった上の弟に話したところ、恋愛できる族を理解できなかったこと・理解されなかったことの原因がわかったので残しておきます。

 

結論というか最終的な予測から言うと、要はその『恋愛』や『友情』の概念の『箱』に入れられる人物がいるかいないかでわかる・わからないが変わるのではないか、というところに行き着いた。※ちなみにこの『箱』に入れるのはそれぞれ特別な人間とします

私に『恋愛の箱』があるかないかは別として、今まで入れられるような人間がいたことがない。そのため、どれだけ恋愛感情によって人を大切にすることを説かれても何も理解できない。まるで宇宙猫。そして「恋愛じゃなくても大事にしたいと思う人くらいいるけど?」と半ギレになる。

下の弟は『恋愛の箱』と『友情の箱』がそれぞれしっかり存在しているので、私の『友情の箱』を見ると恋愛と友情の違いが見えなくて困惑するらしい。
彼にとって『恋愛の箱』には「大事にするべき人・ある程度のことは許容できる人」が入るのだけれども、彼の『恋愛の箱』の入場条件が実は私にとっての『友情の箱』の条件に当たるからだ。だから、私が『友情の箱』に入れている人間たちへの感情を語ると「それは恋愛ではないのか?」となる。
ちなみに彼の『友情の箱』の条件は「自分が仲良くできる人」であるだけで、特にそれ以上の条件も感情も存在しない。

 

私の『友情の箱』に入ったのがつまりは四天王と他少数の人になるわけだけれど、『友情の箱』に向く私の感情は一般的な恋愛に近いと言われた。私は恋愛感情がわからないのでピンとこないが、家族に説明したものを列挙してみる。

 

・何をされても許せる
・全てにおいて優先される
・どんなに連絡が来ても煩わしくない
・なんでもないことを連絡したくなる
・なんでもないことでも連絡してほしい
・その人の周りごと愛したい
・否定する気持ちが起きない
・全てを受け入れたい
・世界で一番幸せになってほしい
・私のことを好きでいてくれると嬉しい
・私のことは一番に思わなくてもいい
・でも思ってくれてたらとても嬉しい
・私の持ち得る全てを使って想いを返したい
・本当は一番がいい
・違う人間と遊んでると嫉妬する
・私の家に毎日いてほしい
・私の家から違う人間と遊びにいかれると
 嫉妬心で爆発しそうになる
・でもウザがられたくないし
 資格もないので我慢する
・私の方が大好きなのに…!
・だから一番の友達でいたい
・奥さんや旦那さん、恋人よりも
 私の方が多くを知っていたい
・安全地帯や逃げ場になりたい
・こいつには何してもいいと思われてもいい
・お金は理由を聞かずに貸せる
・金額にもよるけれど
 正直、返ってこなくても問題ない
・返さないような人間を友達にしていない
 という信頼もあるけど
・私のお金で少しでも彼女たちが
 幸せになれるならそれでいい
・世界で一番幸せでいてほしい
・泣かないでほしい
・泣かせる奴は敵
・泣くなら私のところに来たらいいのに
・なんでそんな奴と一緒になったんだ
・世界で一番平穏に暮らしてほしい
・だからマジで許せない旦那がいる
・早く別れてほしいけど
・それが彼女の幸せではないので我慢してる
・だからどんな愚痴も聞く
・彼女が少しでも楽になるならなんでも聞く
・でもできることなら旦那は一発殴りたい
・例の奥さんも私正直まだ好きじゃない
・ただ2人で会うことを許可してくれたのは
 心からありがとうございます
・可愛い赤ちゃんを抱っこさせてくれて
 本当にありがとうございます
・頼むから絶対悲しませないでください
・彼はあなたのことがおそらく大好きなので
・絶対に絶対に絶対にあの時のように
 悲しい思いはさせないでください
・次があったらその時はどうしてやろうか
・どうにもしないけど
・絶対に幸せになってくれ
・あとの2人に近づいてくるクソ人間は
 1人残らず全員潰しますからね
・私の前に一列に並んでください
・ゲスい感情で近づかないでください
・悲しませたら一生許しません
・彼女たちはちょっと警戒心足りないので
 絶対に付け込まないでください
・恋人できたら面接に来てほしい…
・結婚した2人も面接に来てほしかった…
・絶対に無理だけど5人で一緒に住みたい
・同じ老人ホームに入りたい
・5世帯のアパート買って全員で住みたい
・四天王まではいかない少数の人にとっても
 できるだけ近い人でいたい
・何かあったら私のことを
 一番に思い出してほしい
・何もなくても思い出してほしい

 

だいたいこんなところだけれども、重たいことは自覚している。そしてこの重さが『友情』であることが下の弟にも母にも父にも理解ができないらしかった。
特に嫉妬心が友情で動くのが一番わからないと言われたけれど、私は恋愛で嫉妬心が動くことがよくわからない。


私は恋愛関係になると自分が2人の関係において一番じゃないと気が済まないゴミ人間なので、恋人が私よりも元恋人を優先してると「テメェが今大事にするべき人間はどっちだよKUSO⭐︎」とぶん殴りたくなってきたし、よその女性と比べられると「テメェはどの立場で私を傷つけてるんだ?🔪」というのを嫉妬心として表出させてきたけれど、果たしてそれが嫉妬なのかと言われると違う気がする。嫉妬というより、傷つけられたことを許せず怒っている状態に近いと思う。「私の家から違う人と遊びに行かないで😢」と思ったことはない。「行っていいけどテメェの帰ってくるところはないと思え🖕という感じだった。

私の中で恋人という存在は私のことを一番大事にするべき人間なので、大事にできないなら恋人という枠に居座るのはやめてください、という気持ち。今のところ、相手のことを「個」として認識できていないので私は恋愛なんかしない方がいい。

 

この恋人という枠に対しての感情も家族3人にはまっっっっっっっっったく理解されず、それどころか「姉ちゃんは人に非ず」とまで下の弟には言われたけれども、なぜお互い理解できないのか上の弟に聞いてみたところ、「特定の人物が入ってる概念の箱が違うからじゃね?」とのコメントが返ってきた。

目から鱗がぼろぼろぼろぼろぼろぼろ。

私の『恋愛の箱』の条件に人間味が全く加味されないのは大きすぎるバグとして一旦おいといて、下の弟は『恋愛の箱』に特定の人物が明確に入っていて、私は『友情の箱』に特定の人物が入っている。父と母もかつて(今も?)『恋愛の箱』にお互いが入っていたけれど、『友情の箱』の方は存在が薄い。
また、私にとって『恋愛の箱』は実態がまだよくわからず条件も確定していないもので、下手したら存在していない可能性まである。

つまり、そんな状態で恋愛できる人たちの感覚がわかるはずがない。

 

「恋愛感情がわからない」という『状態』を認めてはいたけれど、「なぜわかることができないのか」の『能力』についてはずっと納得できなかったところが、『箱の条件が未確定』且つ『存在が確認できない』という道具の足りなさが理由だろうと考えられるようになり、ようやく納得できるようになった。
能力の解放には条件と道具が必要なはずで、条件自体は揃ったとしても道具がなければわからなくて当たり前だと。

そうすると次はどうやってその『道具』を手に入れるのか、という話になるのだけれど、それはもう明確に『恋愛の箱』に入る人がまさにそれなのだと思う。

 

無理じゃんかよ。これこそバグだろ。

終了です。お疲れ様でした。

 

 

片側だけの自己省察の時間

今、自尊心が満たされることが何もないので、自分の好きなところ考えて自家発電します。
(今まで私の自尊心は仕事で満たされたりへしゃげたりしていたのに、休職して仕事に達成感を求められなくなった結果持て余しているというか、なんというか...自分のことを認めてあげられる場を失ったので応急処置的な。仕事に依存してるとこんなことになるんだな〜。今回の休職は勉強になることばっかりですね。ところで仕事以外でどうやったら自分を満足させてあげられるんですかね。)

 

1、ドタキャンも遅刻も許せるところ

これは自分がとてもよくやるから、責められる立場にいないというのと、その日その人が来ないこと・到着時間が遅れることは紛れもない事実で、何かの思いを抱くだけ無駄だから。怒るなんてもってのほか。
怒ってエネルギー使って少しでもカロリー消費したいならまだアリだけれども、怒りで消費できるカロリーよりも、楽しさで消費できるカロリーの方が効率良さそうだし。全て無意味。

あと自分も遅刻・ドタキャンのチケット1回分をゲットできるので、約束事に対峙するメンタルに余裕を持たせることができて、私には良いことしかない。
どんどん遅刻していただいて構わない。5時間くらいは映画2本観ていたら過ぎるので難なく待てる。ただ5時間待たれる方もプレッシャーだろうから、5時間はリスケか白紙がいい。

ちなみに私自身が最悪で、楽しみにしてる予定は8割型遅刻する。これはマジ。
奇跡的に間に合う時もあるけれど、15分前に到着とか絶対にない。間に合った時は高確率で、時間の計算ができないから準備が終わり次第到着時刻関係なく家を出た時。
だから遅刻されたら「そんなに今日楽しみにしてたのか〜」と思ってほしい。大体電車に間に合わなくて、予定より1-2本後になる。理由は化粧もしくは服が決まらないから。
だってほら、夜に決めてもさ、行く前に変えたくなるじゃんか。

 

2、親友の子供はちゃんとかわいいと思えるところ

かわいい。天使。この世の存在とは思えない。なんでも買ってあげたい。望まれたものは全て差し出したい。でも親である友人たちの教育方針の邪魔をしてはいけないのでグッと抑える。

男友達の赤ちゃんを「赤さん」と言って三千里先にいる存在の様に感じていたこともあったけれど、1年間友人から送られてくる写真を見てるとだんだんと友人に似てるところを見つけることができてきて、ちゃんと「赤ちゃん」になった。かわいい。
女友達の赤ちゃんに対しては、親戚の気持ちと言いながら実はめちゃめちゃ歳の離れた妹を見ているような気持ちもある。親友とも姉妹。親友の娘とも姉妹。家系図すごいことになってるな。

大きくなった時にクソババア!テメェは親でもないのになんなんだよ!なんて言われたらどうしよう。ニコニコしながらクソババアだよ〜親じゃないからクソババアって言っていいんだよ〜って言いそうだなぁ。クソババアでも金の無心でもなんでもありです、お金を出すかどうかは別だけど。友人に通したほうがいいことは伝えるし、伝えないでって言われてそれでもいい時は一緒におしゃべりしたい。近所の姉さんでいれたらいいな。

 

3、泣き始めたらすごく泣くところ

うわーん!って泣く。小さい頃に泣き喚けなかったのを取り戻すかの様に、大決壊したらうわーん!うえーん!うううううう...えーんえーん!って泣く。そして泣ききったら1人で「おもちゃ買ってもらえなかった子供か」って呟いて終わる。シュールすぎて泣いてる自分を上から眺めるのが好き。面白過ぎる。
夜に泣く時は、大泣きして枕をびしょびしょにして、結局泣き疲れてそのまま寝落ちする。

泣いてる間に「〜〜だったのに!私はこうしたかった!こうがよかったのにできなかった!なんでダメなの!」とかって全部言うのがとてもストレス発散になる。
ただ、泣き喚けるまではかなり時間がかかるので、泣き喚いた時は割と末期だと思う必要があるのがちょっと不便。でもシクシク泣いている自分も、大泣きしている自分も、まあ、ちょっとかわいいところあるなと思う。私の中のお姉さんな部分が、ああ〜よしよし、と頭を撫でてくれる。実際は誰も撫でてくれないので自分で撫でているわけですが。

だたし、追い詰められて泣いている時は別。あれは健康に良くない。

 

4、物を増やさないところ

服はちょっと最近増えるスピードが速くなってきたけれども、それ以外のものは全く増えないので偉い。極端に物がないわけでもなく、自分の一番落ち着く適度な物量で家を保てているので、家がとても良い感じ。だからといって引きこもれるかと言われると、それはまた話が違ってくるのだけれど。

服に関しても、好きなものだけが増えていくので精神衛生的に最高の状態が保たれている。仕事に来ていくだけの服とか、気に入ってない妥協した服とか、そういうのは一切いらない。そんな服がクローゼットにかかってると捨てたくなる。

私のクローゼットは私の宝箱。好きなものだけが詰まっているところ。だから「すごい派手な服だね!」と職場で言われても「好きなんです〜一目惚れしたんです〜」って返してる。その辺気にしないのも好き。
ちなみに社会的観点から静かな服のほうがいい時は、気に入っている静かな服を着ていく。ただ、半袖と長袖で一着ずつしかないので、連日だと詰む。

あと、増やす以前に欲さないのも偉いと思う。これ欲しいかも、と思うことがまず少ないし、欲しいかも?と思ってもその程度ならしばらく日数を置いて考えられるので、「なんでこれ買ったんだ?」となることが滅多にない。
ストレスが溜まっている時は本を爆買いすることになるので、読んでいない本がいくつかあるにはあるけれど、結局読むので問題なし。許せないほどの買い物はしたことがなくて偉い。

 

5、今まで頑張ったところ

短所でもあるし、親子のことに関しては両親に心配も迷惑もかけてきたけれども。
正直、極端で過剰に頑張ることができる人間だったから(過去形)、今までの仕事に関して、ある程度「ここまでやったから、もう」と自分に合格点をあげてこられたのだと思う。

音の仕事だって、やれるところまで常々やっていたから未練はない。好きだから近くにいたいなと思うことはあっても、また同じ仕事をやりたいなという気持ちはない。解消された。
正直、私がやれることはやってきたと思う。楽しかった。頑張ってよかった。一番好きな時間だった。
死ぬギリギリにいたけれど、それでも楽しい思い出だけを記憶に残せているわけだから、一生懸命ギリギリまで頑張っていたんだと思う。

今の仕事もそう。ものすごく頑張ったからおかしくもなったけれど、戻ってきた時に優しく迎えてくれる他部署の人がたくさんいたのが本当に嬉しかった。
全然私の近くにいない人が、私がたくさん仕事をしていたことを知っていてくれて、無理をしていたのも理解してくれて、復帰した時に顔を見せにきてくれたり、ふらっと話に来てくれたり、わざわざ個室をとって一対一で話をしてくれたり。正直すごく嬉しかった。

もう昔ほど会社にとって役に立つ人間ではいられないと思うけれど、それでも「あなたが辞めなくてよかった」と言ってくれる人いることが、心からありがたかった。
あまり自信がなくて大きな声では言えないけど、そんな人がいてくれるのは、休む前までの私が死ぬ気で頑張っていたからかもしれない。よく頑張ったと思う。えらかったね。

 

6、極端なところ

ハングルを一晩で覚えたのはもはややりすぎで面白かったので、良いことにしている。翌日知恵熱を出したのはもはやギャグ。可愛すぎるだろ、おバカで。

極端の代表例が「もう絶対に誰とも付き合わない」と思っていること。
未来に対して絶対なんて言い切れることは何もないので、もしかしたら青天の霹靂で突然「恋人できた〜!」とか言って浮かれ野郎になるかもしれないけど、自分のできること・できないこと・したくないこと・マジで無理なことを考えると、絶対に恋人なんか得ないほうがいい。
おそらく器用な人たちは寂しさがあれば色々折り合いをつけて誰かを求めることができるのだろうけれども、私は誰かがそばにいることを考えた時に「相手に何も返せない」と思うので絶対に恋人なんか求めたらいけないと思っている。絶対。

さて、ここで自分がいかに恋愛に向かない人間か、考えてみましょう。

⑴できること:
・掃除(やらないといけないから)
・洗濯(やらないといけないから)
・食事(やらないといけないから)
・料理(やらないといけないから)
・仕事(相手に依存していると弱みを作ることになるから)
・記念日に何か買ってくること(関係を保つ努力)
・「好きだよ」「愛しているよ」と言うこと(関係を保つ努力)
・他にも言ってほしい言葉を言える(関係を保つ努力)
・趣味の共有(これは興味がある)

⑵できないこと:
・⑴以外の全て(最低限以上のことができない)
・正直⑴もできればあまりやりたくない(これはクソ)

⑶したくないこと:
・日々の優先的な連絡(必要性を感じない)
・電話(必要性を感じない)
・相手を束縛すること(必要性を感じない)
・恋愛感情に応えること(相手と同等の対応ができない)

⑷マジで無理なこと:
・束縛されること(死)
・私に恋愛感情あるんだよと言ってくること(死)
・体の関係を持つこと(死)
ニート(もうお腹いっぱい)
・連絡がないことで心配されること(連絡不精)
・口喧嘩で私に負けること(興味をなくすきっかけになりうる)
・結婚を迫られること(メリットをプレゼンしてほしい)
・好意に応えないといけないと焦ること(本当に返せない)

上記から、どうしたって絶対に恋人なんか作らないほうがいいと考えます。

ここまで分析して論理的観点から道を塞ぐのも、まあ、正直バカだと思う。どうやったって誰かといたほうが楽なのに、「どのみち私のそばに来たっていいことないので、だったら来させないほうがいいじゃんね」と、1か0の考え方しかない。
でも、そんな自分と3年付き合っているともうここまで極端で頑固すぎるのも、なんだかかわいく思えてくる。だから進歩しないわけだけど。

 

7、本気でお金持ちになれると思っているところ

絶対になれると思う。生まれた時からその気がしてる。

 

このくらい出せたら充分じゃないか?意外と書けて驚いてる。
実際、自分のことを5歳くらいの子供だと思っている節があるので、自分に対してかわいいなと思うその感情はなんというか…なんだろう…庇護欲?に近い気がする。それに加えておバカでしょうがないなぁ、みたいな気持ちもある。というか、おバカだから見守ってないと何するかわからないんだよな、というお兄ちゃんお姉ちゃんな気持ちが強いかもしれない。自分相手に年上対応してるのも意味がわからないな。

まあ、おバカじゃないとわざわざ自家発電なんかしないでしょう。

 

ここまで愛すべきおバカにお付き合いいただき、ありがとうございました。